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Gone is the Romance that was so Divine [AtBL再録2]

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 映画はどこへ行くのか。

 《どこの国の人間だということを問題にするなら、自分は、映画国の市民だ》と、ジャン・ルノワールは言ったという。問題にするまでもなく日本国の人間であるわたしは、映画国などという存在を信じられないし、ましてや市民でもない。
 しかし日本に(というより首都東京に、と限定した上で)生息して、外国映画(に限定しなくてもよいが)を観るといった体験が、ますます、ルノワール的な状況になってきていることは、市民でない者にも充分に理解できる。
 早い話が、六本本のさる劇場――あのゴダールを目玉商品にこけら落としにして出現したデパート資本によるあれではないほう――で、『危険な年』を観ていると、ジントニックに入れる氷の個数をゲンミツに指定するイギリス人が出てきたところで、まわりに四割はいた〈毛唐共〉が爆笑するから、一体、何のギャグかわからずに面妖な気分になったり、また、歌舞伎町の中のハンバーガーを席で喰おうとすると従業員がとんできて取り上げてゆく劇場で、『ダイナー』を観ていると、ミッキー・ロークが映画館――なつかしの『サマープレイス』を上映していたね――でデイトした女の子にポップコーンのカップに突き入れた自分のチンポを握らせようとするところで、数人の〈毛唐の女共〉が「ミッキー!」と喚声をあげるから、一体なに者かこの人種は、と考えこんでしまったり……と、そんな遭遇がかなり増えてきているのだ。

 わたしはこうした環境において精一杯、「排外主我者」であろうと思う。ジョージ・オーウェルの「ニュースピーク」の一九八四年、やたらカタカナばかりの外国映画タイトルがオールド・タイマーたちを嘆かわせたわけだが、一方では、『女高生日記・乙女の祈り』などのタイトルが『女○生日記――』に改変されているという、風俗営業法改悪の余波を、誰が本気で取り上げただろうか。
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 映画国のブールヴァールには、一大消費ネットワーク資本と大新聞資本が結託した「有楽町マリオン」などという多目的ビルの屹立する風景が良く似合う。そんな年だった。そして同じマルチ情報操作資本が、「映画界の良心を消すな的名作」を「採算を度外視」して上映し続ける(アリバイのための)拠点小劇場を点在させて、この大通りを守備する陣型をつくるであろう。もちろんこうした拠点小劇場には、近郊ベッドタウン・ターミナルの市場を主導するスーパーをも多目的文化システムエ場に組み込んでゆこうとする戦略の実験場たる性格が、第二に付与されている。
 ここに、変貌する都市空間の中の映画環境の問題だけをみ、日本資本主義の必死の延命――第三次産業の未開拓領域に猛烈なイマジネーションの触手を伸ばしてゆくエネルギー備蓄の総力――をみない者は、たんに映画を観すぎたエポケーのポケーッとした恍惚状態にはまってしまっただけである。つまり――。

 資本は交通路を引き、そのあとに家を建てる。「家」は、内装はともかく、骨格的には、電気製品並みの耐久年数が確定的に算定されるようでは、商品たりえない。新らしい「商品」が、多少とも消費者の需要に応じたかのような幻想を付加された上で、たえまなく与え続けられねばならない。どうしても国内に少しばかりでも市場が開拓される必要があるのだから。――それが資本の側から要請された「映画環境の変容」の内実でなければならない。
 当然の結果として、いわゆる名画座、自前のシネマテークの存命が困難になってくる。ごく最近も、韓国映画『風吹く良き日』、台湾映画『坊やの人形』などを最後に、鈴なり壱番館が閉館されたように――。
 名画座は、テレヴィやヴィデオによって、最終的には灯りを消されることだろう。これは時代の流れなんかではなくて、くどいようだが、文化戦略の転換によって引き起こされた当然すぎる末路なのである。これに強いられて、観ることが変容させられてゆく、と捉えるだけでは充分ではない。
 映画体験の諸側面――批評する回路から作り手による製作過程までも含めて――が、変容させられてきているのだ。
 要するに、西武資本による作品プロデュースがすでに実現(その作家なり作品なりに具体的な論難を向けているのではない)していることに、製作―配給-宣伝-上映、という一貫したシステムが環境を規定するだろう未来の形を、はっきりと見ることができるわけである。ここでは、シネマテークと映画を作ることは一致していたというヌーヴェル・ヴァーグ派の見事なかまえは、ネガティブに簒奪されるのだ。こうした環境に生きる作家の困難性はかつてない不可視なレヴェルにあるだろう。

 このような「映画国」がやはり企業国家ジャパン・アズ・ナンバー・ワンのしみったれたアニマル面をしていることは否定できない。風営法改悪に呼応した一人の在日トルコ人――そう言えば、『ハッカリの季節』というトルコ映画日本初公開だかの作品が本年はあった――が、決起して、「トルコ」の通称を撤廃させる。何というミエミエの手口だろうか。新名称は、浮世風呂になるのか、泡雪サロンになるのか、個室浴場になるのか、知らないがどうせなら、「女○生」や「女子○生」と同じに、看板に伏せ字――ト○コ――を使ったほうがよい。それが一九八四年ではないか。
 こんな場処では、わたしは、不退転の「排外主義者」である他ない。

 映画という、かつてあまりにも神々しかったロマンスは去ってしまったのか

 だから、わたしにとっては、トリュフォーの死も、タルコフスキイの亡命も、さして興味をひく事件ではなかった。今になって『ノスタルジア』のいいわけがましさが納得できもする次第だが、一体、タルコフスキイ映画は祖国との緊張を失ってどこへ行くのか、やはりヨーロッパ映画になりおおせてゆくか。
 なるほど、映画国・目抜き通りの国際市場には、今年も、韓国・アフリカ・イタリア・スペイン・フランス・ポーランドなどなどの、多少まとまった映画祭形式のものが盛況だったし、なかでも「ブニュエル全集」のような特異なものから、「ソビエト映画の全貌パート2」や「ドイツ映画大回顧展」のような長期の規模のものまで、映画を選択し観歩くことの市民的自由はこの上もなく満喫できたようなのだ。
 そこで、ブニュエルの遺作『欲望のあいまいな対象』には心底まいった、何回見てもすごい――なんてことをおちょぼ口で喋りまくる市民的自由も、もし望むなら、可能でないこともないだろう。

 むろん、映画国大通りのソフトな管理社会化におびえる一非市民のペシミズムなどは、このように簡単に、一個の具体的な作品に相対することによって吹き飛ばされてしまうものである。これほどに映画国の市民(非市民ではあっても)とは、善良なのである。これ以上の善良さは考えつかないほど善良なのである。
 いっておくが、ブニュエルの遺作は、かれという得体のしれない途方もない天才が半世紀の作品活動の末期に作りえた稀有の傑作である。すごいのが当り前だから、ふつうの作品を見続けている限りでは、ペシミズムの歯止めはどこにもない。

 右記の外国映画フェスティバル実行の点でも少なからぬ役割りを果した情報誌が、デパート資本と結託し、情報消費をコンピューター・システムに囲い込む戦略を打ち出してくる。読者が、情報誌の情報を選別し解体構築するのではなく、より露骨に、読者が情報誌の情報網によって選別され、ディコンストラクションされるという事態が、加速的に進行してくるだろう。
 これをニュー・メディアとただ名付けることで充分なのかどうかわからない。
 ME革命が消費の現場をもシステマティックな管理状態に糾合してゆこうとする。こうなれば映画批評は無用化する。「情報」であればよいのだ。
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 例えば四方田犬彦は書いている。
  《今日の韓国映画を支えているのは、ソウルという都市をいくえにも包みこんでいる昂揚とした雰囲気である。八○年代にいたって文教部による検閲統制が緩和されたことも、なるほど第三の黄金時代の一因であるかもしれない。ともかく韓国という国は活火山がプツプツと噴火を続けているような様子で、ヤたらめっぽう元気がいいのだ。
 一本の作品が評判になるや、ただちに劇場の周囲に行列が生じ、上映中にフィルムが途切れると声が飛ぶ。本篇上映に先立って、観客全員が起立して、スクリーンに流れる国歌に耳を傾ける。街角という街角は古いのや新しいのや、映画のポスターでいっぱいだ。韓国映画の興隆がこのまま続けば、それはメランコリックな選良意識に満ちたニュー・ジャーマン・シネマではなく、陽気で奇想天外な多様性を特徴とするイタリア映画に似たジャンルとして発展することだろう。
 韓国の大学生に告ぐ。早い者勝ちだ。君たちはただちにソウルにタウン誌を作りたまえ!》

(「韓国映画のヌーヴェル・ヴァーグ」、『シティロード』一九八四年六月号・二十一ページ)

 これは典型的な情報のニュー言語であり、そして、なおかつ、どぎつく政治的な言葉である、といえる。最終行のはしゃぎぶりは中上健次にじつに相似である。
 四方田も参加していたスタジオ200主催(協力――大韓民国大使館、韓国映画人協会、韓国文化院)の現代韓国映画特集の、第三回が、全斗煥来日、首都戒厳令化体制のあおりで二カ月延期になる前の発言であるから、かれが、韓国の学生たちが全-中曾根による「日韓新次元」への抗議行動を英雄的に闘っていた事実(この国には報道されなかったのだが)を知らなかったことを糾弾することはできないかもしれない。しかしなんというカマトトぶりだ。こ
うした人物に対しては、韓国映画上映に韓国大使館が協力している事態と、ドイツ映画上映にルフトハンザ航空やドイツ外務省が協力している事態は、全くレベルの道うことなのだという、ごく初歩的な説明からかからねばならないのだろうか。わたしは暗澹としてくる。

 ソウルに留学し、おそらく日本人として、最も多く最近の韓国映画を見ているこの蓮見教授門下の優等生に対して、それはあまりにも失礼ないいがかりではないだろうか。それに、国内的な消費市場開拓への狂奔に正確に呼応したところの、日韓新次元の高度な政治劇が果たすだろう文化侵略のヌーヴェル・ヴァーグについて、わたしごときがかれに向って指摘するまでもないことかと思う。
 従って、わたしは前記引用部分について、四方田の自主的な修正、もしくは自己批判を善意に待つことにしたい。
 三ヵ月くらいは待ってやってもよろしい。四方田クン、キミは『映画芸術』誌上で《オレはこう見えてもスカーフェイスだ。どっからでもかかってきやがれ》と酔っぱらって怒鳴っておったが、わたしも、寛容な人間である。三ヵ月待って、反省の色がない場合は、改めて、キミに、韓日文化ロビーイストの称号を贈ろう。キミの役割りは中上の映画版であるのみだ。わたしのテキは中上以外ではなく、四方田ていどの秀才面(スカーフェイス)を相手にする気などないから、あとはどうか心安らかでいたまえ。
 一九四〇年前後の朝鮮ブームが皇民化政策の前景であったことはよく識られている。また再びの「韓国」ブームに、歴史の過酷な茶番を見ない者は、その存在自体が茶番なのだ、というべきである。
 一九八四年外国映画総括は、帝国帝都戒厳令下の歴史的和解――忘却――の一事を捨象しては成立しないし、それが国内的には帝国都市改造の劇場再編成に如実に象徴されてきたということを見逃がすことはできない。
 かくて映画は去りぬ。
 かくて……。

「日本読書新聞」1984年12月24日号


【後記】
 この小文を第十二面に載せた『日本読書新聞』はこの号をもって歴史を閉じた。
 そのことを予測してつけたタイトルではない。内容にしてもそうであり、一九八
四年の映画状況の一局面に関するものでしかない。
 にもかかわらず歴史文書の形を呈してしまったことによって、ずいぶん以降の書き物の姿勢を規定されたように思う。
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