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ぼくらが非情の大河をくだるとき4 [AtBL再録2]

つづき


4 貧困という河
 次に問題とされるべきは、日本映画が階級対立への視点からほとんど召喚されてしまったこと、つまり貧困をテーマとして扱えなくなってきた局面である。
 これは、この国の体制が暴力的な収奪の形をとる支配形態を、ごく一部の領域を別にすれば行使する必要のなくなったほどに、高度な爛熟を示して階級解体の完成の途を進んでいることの明瞭な反映とみることができる。

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 ここでもまた輸入映画からの追撃が対照化されるだろう。ギュネイの『希望』であり、候孝賢の『坊やの人形』、李祐寧の『老兵の春』、李長鎬の『風吹く良き日』『寡婦の舞』などである。ここにはなまなましい貧困それ自体があるというばかりではない。
 『老兵の春』の場合なら、兵役によって婚期を逸してしまった初老の男が貯金をはたいて(もちろん仲をとりもつ業者の多大の中間搾取を経て)娘ほどの年令の山岳民族の娘をもらうところからくる悲喜劇に、階級対立、少数民族の問題が明瞭にきりとられてくるのである。

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 『希望』はまたギュネイの個性が輝く映画である。ありえない宝物を探し求めて自己破滅する下層プロレタリアートの像が、かれの全身によって呈示されるとき、狂って地面にツルハシをうち続けるその肉体の動きがじっと凝視されるとき、それらは通り一遍の人間観を一掃してしまう。全身がバネのようにしなって、ツルハシをふりあげうちおろすその身体の狂暴な動きには、悲哀にみちた非能率と原始的なとどめようのない暴力の発露があった。

 しかし『坊やの人形』や『寡婦の舞』がみせる戯画化の節度のなさや技術的な拙劣さに対して何をいうべきなのか。これらの国の映画史の若さを想うべきなのか、大衆との蜜月を想うべきなのか。貧困を輸入してこねばならぬほどに豊かさにパンクしてしまったこの国の文化的倨傲からのお筆先を発動するべきなのか。
 それはあまりにも救いようがない。
 拮抗する作品を最近の日本映画から拾ってくるほか方法はないだろう。

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 そこで、この国の階級解体の現在的様相を相対的には優れたレベルで呈示した『金魂巻』をあげることが妥当なようだ。ベストセラーの映画化ではあっても、『ガキ帝国』以来の西岡琢也脚本、井筒和幸監督コンビによるオリジナルである。
 つくり手への興味にしぼるなら、西岡は『ションベン・ライダー』や『丑三つの村』に較べてより地声に近いところで語っているし、井筒は当り前だが角川映画のときよりは闘志にみちている、といった程度の感想しか、わたしにはない。
 渡辺和博とタラコ・プロダクションによる原作は、就職情報カタログをイラスト付きに視覚化し、大流行語となった「マル金」「マルビ」の二元論で明快に整理したものだといえる。
 ベストセラー化(半年間に四十万部)したことも含めて、これは、この国の中流意識のありようの平均像、つまり階級解体の無残な断面の反映だといえるだろう。要するに、「チューサン階級の友」とか何とかいった本のイデオロギーと商品価値になって久しい就職に関する情報がコーディネイトされファッション化してくる最先端とが、この本の根幹にあった、ということである。
 そしてこれは、意図するとしないとにかかわらず、高度成長を経て豊さの恩恵にひたるこの国の大衆の中流意識が、ほとんど幻想的な豊かさに逃避しているものにすぎない、という現状の正確な反映であるといえるのではないか。中流意識はその所有の被膜増大に応じていくらか病んでいることは別にしてインビな「マルビ」意識(そのまた視野脱落)の収奪された形態にすぎない、との自覚であるともいえる。
 朝日の論壇時評ではないが、《重厚長大にも軽薄短小にも徹底しない中中中中というのが一番つまらない(麻雀は別)》というところであるし、どれほど強弁にきこえようと『金魂巻』は現代の「貧乏物語」いがいの何物でもないのである。
 当然のことながら映画版のつくり手たちも、『とらばーゆ』や『フロムA』の方向にではなく、昭和末期の貧乏物語に仕立てあげた。王子と乞食物語式に「マルキン」と「マルビ」が赤ん坊のときに入れ替わって運命を狂わせるといった話を骨格にすえ、かれらの二十数年後が同窓会という場で激しく収拾のつかない混乱におちいるところを執念深く追いかけてゆく。
 顕わな貧困の様態は視点から排除されてあり、一位総中流意識の中に、「マルキン」「マルビ」の二元論が、一方では届かないところにある「マルキン」という夢ともう一方では「マルビ」同士の比較ランク付けという隠微な現実へと、二元論的に使い分けられている心理メカニズムがここに露呈されてくる。
 虚ろな響きのこの映画は、現代日本の階級解体的階級対立の一局面の虚ろさを、それにふさわしい混雑において定着したものである。こうした達成によって、いまだ日本映画のキャパシティは、その可能性を保留しえたようである。

つづく


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