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アクロス・ザ・ボーダーライン2 [AtBL再録2]

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つづき

 このテーマは果たしてどの作家――アメリカ人にほとんど可能性のないことは自明であるとして――によって共有されるであろうか。その答えのいくらかは裵昶浩〈ベ・チャンホ〉の『深く青き夜』"Deep Blue Night" にみいだせるように思える。
 (この作品は『ディープ・ブルー・ナイト』として、1988年に一般公開。そして韓国映画では最初のヴィデオ化作品となった。)

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 在米韓国人の生の一局面をテーマにすえて全篇アメリカ・ロケされたこの韓国映画は、典型的な境界線上を横切る〈アクロス・ザ・ボーダーライン〉作品だといえる。 原作・脚本、崔仁浩〈チェ・イノ〉。
 それは、アメリカヘの永住権を得るために魂を売るアメリカ系コリアンの群像を描くというテーマによっても、また、そのためにアメリカで撮られたという成立によっても、二重の意味でそうなのである。
 べ・チャンホは、同じ安聖基〈アン・ソンギ〉と張美姫〈チャン・ミヒ〉のコンビで、息詰るような密室の性愛を描いた『赤道の花〈トロピカル・フラワー〉』をつくっている。男女の次第に追いつめられてゆく愛を取扱う点でつながっているにしろ、この作品では、アメリカにおけるマイノリティとしての韓国人の運命という劇の中に、個人の劇が置かれているのである。
 この映画はウェストコーストのハイウェイを疾走する車の中の男女の痴態から始まっている。BGMが古色蒼然たる六〇年代ロック、ディープ・パープルの「ハイウェイ・スター」であることは、充分にこの映画の宙吊りを語っている。映し出される果てしない荒地と一昔前のヒット・ソング、そうした構造は、むしろ〈後進性〉といえるものだ。
 荒野を引き裂くように走る一本のハイウェイとそこに流れる往年の「ハイウェイ・スター」、これは少くとも、アメリカヘの前提された概念的な理解の入り口だろう。
 アメリカヘのロケーションそれ自体は、やはり短期滞在の映像であって、べ・チャンホは『鯨とり』のようなソウルの深く青き夜を提出しえていない。

 ハイウェイの男女は、車を降りて、痴態の仕上げをする。ところが、ことを済ますと、男は女を殴りつけ、二万ドルを奪って逃げ出すのだ。砂漠に置き去りにするのは、殺すに等しいやり方なのだ。

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 そして男ペク・ホビン(安聖基)は、女ジェーン(張美姫)のいるロサンジェルスのバーに仲介人を通してあらわれることになる。永住市民権を得るための契約結婚の当事者として。一方は、金を払い公民権への一番の近道を手にしようとする男、一方は、金によって何回もの契約結婚を請け負ってきたアメリカ国籍の女。
 六回目の結婚をしぶる女に、今度は同国のコリアンだから本当のハッピイが訪れるかもしれない、とブローカーが巧言する話の伏線がある。
 男は陽性の女たらしの詐欺師、ヒロインは真実の愛に飢えたトロピカル・フラワーのような女。
 二人の愛憎劇のパターンは前作から継ぎながら、ここにはボーダーが横たわっている。アメリカの深く青い夜が――。

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 一万ドルの契約。永住権取得後に、結婚解消して残りの半分、五千ドルを払う、ラスヴェガスでの結婚式。花嫁をベッドに運び、初夜をもらおうとする男に組み伏せられたまま女は、拳銃をつきつけて、ミスター・ペク、それは契約の条件外だ、と告げる。

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 ジェーンのこの拳銃は、ドラマの重要な局面に必ず手にされることになる。

 結婚の後、ペクを待っているのは失業だった。移民局の手入れによって逃亡する破目になるからだ。後ではっきりするようにペクは、メキシコから密入国しているので、グリーンカード(労働許可証)をもっていない。失業した男を「新妻」は、五百ドルの家賃で「下宿」させる形でむかえる。対立する二人の背負った国境の来歴が少しずつ明らかになってくる。
 ペクは韓国に妊娠した妻を残して、一旗あげようとこの地にきている。ただのウソつきの女たらしのように思えるが、この本国の妻とだけは純愛であるように描かれている。
 下宿人は下宿人といった扱いが続くうち、ペクが帰宅すると、黒人の男とその娘が待っている。ジェーンの最初の夫と娘ローラなのだ。駐韓米軍兵士と恋に落ちて、アメリカの地に迎えられ、混血の(ほとんど父親似の)子を生んだ朝鮮女がジェーンたった。
 「国際結婚」は破綻し、夫は裁判で娘をかちとり、彼女にはアメリカ国籍だけが残った。
 二番目の夫はギリシャ人だった。医者だったが彼女の酒場で皿を洗う仕事にしかつけなかった。二番目に愛した男だった。そして結婚で国籍を得ることだけを目的にしていた男だった。身の上話は、ある点を過ぎるとトートロジーになり、ジェーンは寄り添う男を求めても、男が欲しいのは国籍取得だけで、結局、自分の結婚がある種の社会事業として営業化していることに気付かねばならなかった。
 イタリア入、パキスタン人、メキシコ人……と。彼女のディープ・ブルー・ナイトの身体の上を、ではなく、彼女の戸籍の上のみを、様々な男が踏みにじっていく。
 彼女のディープ・ブルー・ナイトは、アメリカのほうにも、韓国のほうにも、充分には属していない。六人目にペクという同国人の男があらわれ、一万ドルの契約をするまでは、である。
 ミスター・ペク、ここはどこ?と、彼女はきく。
 約束の地ロサンジェルスさ、と男は答える。
 違うわ、――荒れ果てた砂漠、魂のディソレーション。

 最初の夫は今度は夜中に突然訪れる。何日かジェーンのもとに滞在していたローラを奪うように連れ去っていく。ジェーンは悲しみに狂乱し、拳銃を手にして(またしてもこの女には銃という切り札が必要だった)娘を取り戻そうと試みるが、ペクに阻まれる。
 すでに彼女は求める愛に裏切られ続けてきた哀しい女の全身をペクの下にさらけ出してしまうのだ。契約にすぎなかった結婚は、孤独を慰撫するための後戻りのない交わりにすすむ。またしても女は哀しい愛にくずおれていく。二人の裸身がからみあう姿が寝室の窓に映り、その窓からの遠景に、「約束の地」の夜の街が不確かに浮びあがっている

 ロサンジェルスには、メキシコ的雰囲気が色濃く漂う、といったのはメキシコの詩人オクタビオ・パスだったが、韓国人が多く住むアメリカ都市がリトル・コリアの一角をもつものかどうか、われわれは知るところがない。『深く青き夜』の風景は、具象的には、深くも青くもない。ジョン・D・マクドナルドの『濃紺のさよなら』のフロリダのように陽光がさえぎるものもなく人間を裸に暴いている。
 夜が夜であるためには、黒い娘への愛情とアメリカヘの憎悪に錯乱する朝鮮女の魂の惨劇につけいって、合法的な夫婦の営みを盗みとる男の手練手管が必要だった。そしてそれが女の孤独が決壊してゆく臨界であることも――。奪われた女の哀しい隘路は通俗にここでも踏襲されているようである。

 ペクは妻の紹介でドラッグ・ストアの店員の職を得る。同僚も在米韓国人で、やはり恋人を本国から呼び寄せようとしている。機会の国アメリカ、かれは先達らしく、こんなところで店員をしていたって、ニグロの押し込み強盗にでも射たれるのがオチだ、と分別を語りきかす。しかし店のオーナーはペクのほうを気に入り、何かと前任者を軽んずるようになる。面白くないかれが見つけたものは、ペクがデス・ヴァレイで捨てた女が生還し、ペクに賞金をつけて探し当てようとしている新聞広告だった。

 契約ばかりでなく、実質にも夫婦になった二人を夜中に、今度は、移民局の役人が襲う。これは前もってペクが習練を重ねてきた関門だった。アメリカ、自由と機会と民主主義の国、わたしはこの国を愛している、と叫び、ついで勝手につけたアメリカ名を名乗る。
 かれの名はグレゴリー・ペク。
 しかし捜査官の審査は熾烈をきわめ、夫婦生活の実相までは口裏を合わせたが、ペクはジェーンの年齢を間違った上に、韓国名を知らないことまで暴露されて窮地に陥る。一つ誤れば逮捕と強制送還が二人をおそうだろう。
 ここで頭をかかえたペクは一世一代の演技でこの危機をのりきろうとする。突然かれは立ち上り、アメリカ国家を唄い始め、見事に通しで唄い上げてみせるのだ。安聖基の泥くさい熱演が最も光るのはこうした部分である。
 Gメンは追求をそこでやめる。移民局は引き下り、かれのアメリカ在住は合法化されたのである。

つづく


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