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アクロス・ザ・ボーダーライン3 [AtBL再録2]

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つづき
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 かれの名はグレゴリー・ペク。
 本国の妻に永住権獲得を報告し、かれは、ジェーンには契約結婚の解消を通告する。物語はここからすべてがカタストローフヘと急進していくことになる。
 ジェーンは破局にさいして、ミスター・ペクの子供を身ごもったと告げる。あくまでかれとの愛を貫徹しようとするが、ペクは秘かに堕胎薬を飲まそうとして失敗すると態度を豹変させてしまう。
 店でかれが重用されることが面白くない仲間は、かれを密告し、デス・ヴァレイで捨てられた女が、ジェーンを捜しあてることになる。そこでこの小悪党の男の虚偽にまみれた実像があますところなくジェーンに知られるところとなる。
 彼女はペクが奪った金を返済するが、あろうことか、この二人の女は二人共が、この小狡い女たらしに心を奪われてしまっていることでは共犯者であることを発見せねばならなかった。結婚ブローカーがまたジェーンを訪ね、今度は一万五千ドル、日本人の狒狒爺いだ、と七人目をすすめる。ドラッグ・ストアには黒人のホールド・アップが押し入り、同僚をいとも簡単に射殺してしまう。
 不吉な予感が適中して、アメリカ的成功の裏側をみせるように、積み重ねられた缶詰めに叩きつけられて頓死する韓国人……。

 ペクは二人の女が親しく会談しているところを偶然に見かけて、じっさいは金の返済の場なのだが、自分が売られたと直観する。自分が他人を売ったように、売られたのだ、と。
 ヒロインは、このどうしようもない人の心を弄ぶ男を愛してしまった罠の果てには、一つの凄惨な清算しかないところまで追い詰められている。拳銃が再び彼女の手に――。
 男は、他人には売られる前に売らねばならない。ジェーンとの未来などこの男にみることは不可能だった。重荷は死によって清算するしかない。ただ、殺して金を手にする。死のほうに、やっと二人の交差する手がかりが見えたのである。

 舞台は再び、デス・ヴァレイ。先ず腹の子に蹴りを入れ、俺はみすみす売られるような間抜けではない、と告げる。そして男が罵る論点は、一気にこの映画の真随にきりこんでくる。
 かれは、ブラックと交って黒い皮膚の子をなして、血まで腐った売女、と罵倒するのだ。そういう女に自分の子を産ませることはできないから、先ず女の腹を蹴ったのである。かれはジェーンのつくった虚構にのせられてしまったので、却って本音を語ったのかもしれない。虚構に虚構を重ねてやっと出てきた真実が、およそ典型的な人種差別の言表として出てくるという事態はやりきれないことだ。

 ここはアメリカでも韓国でもない。
 ボーダーに宙吊りにされた死の谷。
 そしてペクが罵る人種主義の言葉の断片が、『パリ、テキサス』の狂気のフリーウェイの予言者の叫びに重なってきこえてくることは避けられない。

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 在韓米軍の黒人兵に奪われた女、という意識のアンビヴァレンツな悔恨は、かつての占領国民にも了解しうる事柄である。そうしたルサンチマンがアメリカの地の果てにきて爆発することは不思議ではない。男にとっては、女をふりすて、殺すことの恰好の口実にもなっている。

 しかしそれ以上に、ここには複雑な人種混合の悲劇を前面に出しながら、ボーダーに関する本質的な考察が、偶然的にとらえられたのではないかと思われる。アメリカの奥の奥の荒涼とした風景に、朝鮮男と朝鮮女の愛憎のクライマックスが重ねられ、果てには死しかない。未来は何もない。契約結婚と永住権も、アメリカの夢も、欺されて愛した哀しみも、身も心も奪った冷い打算のかけらも。
 死だけがこれを成算する。
 「生まれたままの裸の心できくがいい。俺の名はグレゴリー・ペク。約束する。行く所はない。どこにも安住の地はない。境界のない国はない。約束の地などどこにもない。警告した。ジェーン、俺が警告しなかったなどとはいわせない」。
 異人種に犯された血の腐った朝鮮の売女、と罵るペクというアメリカ人。かれのショーヴィニズムが突然かきたてられたものではないにしても――、ここはデス・ヴァレイ。
 死に絶えたアメリカの夢の捨て場所。韓国映画が最も遠くにきた場所だ。ここで生き死にするのは韓国人でもアメリカ人でもない。ならばかれらは何者なのか。
 ならばかれらは何者なのかという問いがどこまでも残ってくるのである。

 深く青き夜はアメリカの側からは明けて来ないだろう。
 最後のアメリカ映画のみが、その夜を凝視することができる、ヴィム・ヴェンダースならそう宣言するに違いない。 

 そしてそのものは、確かに、ライ・クーダーが『ボーダー』のためにつくったテーマ曲をフレディ・フェンダーがうたうように、「アクロス・ザ・ボーダーライン」にあるのである。

 かくて映画は国境に宙吊りにされるのである。


「映画芸術」352号、1986年2月


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