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略奪された映画のために ミッドナイトテイク2 [AtBL再録2]

略奪された映画のために ミッドナイトテイク つづき

 《一つの良い映画を、暗い映画館で他の人々と一緒に見るというすばらしい経験は、なにごとにも代えがたいものだ》――ホルヘ・サンヒネス


 視点をかえよう。
 かつてわたしは、プログラム・ピクチュアの終焉に日本映画の黄昏をみる、といったようなことを書いた。じっさいのところ、製作本数の減少と一本あたりの製作経費の増大は作品の質にむしろ逆に反映していることが明瞭であるにしても、それ自体としては粗雑な論証の域を出ないものだったと思える。おまけにプログラム・ピクチュアは終ったのではなかった。


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 別の意味で、現在、日本映画は二つの流れのプログラム・ピクチュアの時代をむかえている、ということはできる。
 一つの潮流はアダルト・ヴィデオ(AV)。レンタル・ショップばかりでなく、書店でもかなり安価に買い入れることができる。断っておくが、ここで若干展開するのはAVに開する一般論でしかない。
 要約すれば、AVの流行とは、性交実写映画の市民化といえるだろう。このものはプライヴェイト・フィルムとアンダーグラウンド・フィルムとの接点あたりにあるのだろう。これを厳密な意味で映画といいうるのかどうかは今はおく。
 ただ誰でもが知っているように性器・性毛及び結合部分はコンピュータ処理によって消去されている。はっきりとは見えない。この作業を経た上ですでに市民化しているということだ。特殊なルートでしか入手できないのではない。だれにでも観る機会があるのだ。

 市民化という点でいくつか確認しておきたい。これを性表現の解放という論点でみることはできない、これが一つ。逆なのだ。進歩とは破局に他ならない。
 AVとは、八○年代に顕著になってきた日本資本主義独得の性的錯乱と性倒錯的無機質化のどうやら極点である、これが一つ。
 もう一つは、相い変わらず、隠すという官権的処理は至上であるため、却って妙な効果をもって、世界に類をみないいやらしい映像だということ。もともと性交にはげむ他人の姿など、あからさまに見るに価するものではない。退屈な上に、全的に露出されていると醜悪な部分ばかり目についてしまうものではないか。
 突きまくる腰のあいだで、そのものとしては全く行為に参加する器官の資格もなくただ徒らにぶらんぶらんと徒労の自己運動を続ける睾丸などというものは、直視するのも哀しい物体なのである。そうした部分も念人りにボカし消してある。そのような視線のありようは、まさに正当な意味での助平さに直立しているのである。

 だからAVが映画であろうと映画でなかろうと、劇場用の性映画――ピンク系、日活ロマンポルノなどの流れとは隔絶したものだといえる。かつて大島渚の『愛のコリーダ』が話題になって以来のいわゆる本番映画とも、ほとんど関連性を考えることができない。
 ただ事実として、AVはプログラム・ピクチュアの代行を現在的に果しているという点を指摘するにとどめる。作家の作品であるよりも先行して女優の作品であるから、表現としては原初的だといえる。
 主役は性交である。ハリウッド映画の主役がSFXだったり特殊効果のメイクだったりするように、香港暗黒映画の主役が銃器だったりするように、ここでの主役は性交である。プロットも起承転結も必要ではない。そのものズバリしかない。
 だが、日本的倒錯の最もたるものであるかのように性器を消された人間たちの結合であるため、異様にいやらしく不透明で抽象的だ。性器自慢が不可能だ。そして主役はあくまで性交。実体が前面に出ることのない抽象の主役。
 この倒錯が全く怪しいばかりにいやらしいのである。

 たぶん平均的な感性のものにとってAVは映画の代用とはなりえないだろう。余程に好意的にいうなら、個人映画の相似物だ。そしてこのものほど個人鑑賞用の密室性を付属機能にもっているものはない。極論すれば、対人セックスの阻害物となりかねない質があるが、こうした病理的側面についてはここでは書かない。
 ヴィデオ密室というジャンルがこうしたプログラム・ピクチュアの時代を現出させているのである。悪夢に近いにしろ、事態の直視は必要だろう。あと戻りのできない途だ。

 もう一つの潮流は、ヴィデオ・オリジナル作品(Vオリ)である。早くいえばヴィデオ用映画。Vシネマ。まだこれは端緒にすぎないのだけれど、路線化してくるだけの人気があるのだという。いくつか作品を並べてみよう。
 大川悛道監督・世良公則主演『クライム・ハンターⅠ、Ⅱ』、
 田中秀夫監督・宮崎萬純主演『ブラック・フリンセス』、
 一倉治雄監督・仲村トオル主演『狙撃Ⅰ、Ⅱ』、
 岡康秀監督・清水宏次朗主演『獣のように』、
 成川裕介監督・又野誠治主演『兇悪の紋章』、
 高橋伴明監督・西岡琢也脚本・哀川翔主演『ネオチンピラ・鉄砲玉ぴゅ~』、
 工藤栄一監督・萩原健一王演『裏切りの明日』(原作は結城昌治)など。

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 これはすべて東映Vシネマ路線、逆に劇場公開までされている。すべてはみだし刑事もののアクションかチンピラやくざの活躍に題材をとっている。かつての日活や東映のB線C線アクションの流れに沿ったものであり、香港製ギャング映画とも同質のタッチをみることができる。
 映画産業の奇怪な構造化は、劇場上映を、ヴィデオ発売のプレミアに化してしまったかのようだ。製作費の回収は二次的に、レンタル開始の日をもって本格化するのらしい。かつての観客人口と現在のレンタル利用者人口を比較してみせ、映画人口が全体として減少していないことを論証したがる者も多い。
 たぶんこれも、映画とは何か、ヴィデオとは何か、という議論から綿密に重ねなければ検討しかねる問題だ。
 こうしてヴィデオ・リリース専用作品が、プログラム・ピクチュアの活況を呈してくるということは、まことに今日的たといわねばなるまい。この時代にあっても、量産映画の路線は性愛と暴力との二つに分岐するらしい。
 暴力映画の質は果してどんなものだろうか。まだ何かを結論付けるのは早尚であるかもしれない。
 今のところ一番面白かったのは『ネオチンピラ』だ。


 明らかに映画環境は変わってしまったのだ。暗闇に横たわって誘惑してくるものとして映画を想像することがむずかしくなりつつある。
 すべてが白々しく、妙に透明感のある明るさの中に……。
 何の五年間だったのか。
 喪われた映画館を求めての時代だったのか。映画を観るための均質空間に首都が変貌していく時代だったのか。名画座、エロ映画館の多くはつぶれ、建て替えられていった。小便くさい小屋、とはもはや死語となりつつある。匂い、尿ではない排泄物の匂いが重くよどみ、糖分であると同時に蛋白質でもあるかのようなネバネバする床の、性的失業者の怨念に思わず心が屈するような、そういう映画小屋は一掃されていった。
 
 カタカナの初めてきく名の劇場を探して着いてみると、これはあの、いつかの三本立て四本立ての小屋の変わり果てた姿なのか、と胸をつかれる。

 かわりに街全体が小便くさいのだが。
 すべてを押し流してしまう水洗下水システムの破れ目から匂う小便くささであるにしても、この首都はくさいのだ。いくら小ぎれいな映画小ホールが数多く建てられたとしても、このくささに解決策はないかのように。
 もともと資本主義が映画を生産し、同じものの野蛮さが今、映画を解体しているのだ。

 解体、そうである。スクラップ化。
 私的空間のヴィデオ受信機は、どんな意味においても映画館を代行することはできない。
 そこでは略奪された映画フィルムが、むすうのヴィデオの切片に解体されていくのだ。それは端末化された映画空間の墓場であるのかもしれない。
 奪われたものは何なのか、わたしは充分に対象化できなかったもどかしさを感じる。
 われわれはこの局面で必ず、端末化された情報プロレタリアートであると宣することができる。そして情報プロレタリアートとは何か、情報帝国主義とは何か、わたしは充分に理論化することができない。
 事柄は単一の映画状況を超えているから、ここではもう展開しないが、情報帝国主義決戦下において映画はどう生き延びるか、という視点の必要性は強調されねばならない。そしてわたしにはわからないのだ。
 映画は映画であり映画でしかない。
 そうしたものをなぜ、映画ではないかのように論じねばならないのか。どうして哀しみにみちて映画と相対せねばならないのか。結局のところ理不尽な問いとしてわたしのうちに降りてくるしかないのだ。

 われわれはよりソフトに絶え間なく打ち倒される日常なのだ。
 映画は略奪されつつある。
 ここには被害者の顔も加害者の顔もない。端末だけがある。
 ヴィデオをもち帰って再生機にセットする。そして画面があらわれるのを待つ数十秒、そこに映画館の間に包まれたあの戦慄があるだろうか。
 あなたは知らぬうちに端末化されているのだ。情報を追いかける、情報に規定される。そして都市を漂泊するのではない。
 うすら明るいレンタル・ショップの飾り窓から一本、二本と選んで家路につくだけなのだ。
 情報エントロピーはすでに限界を超えてしまって久しい。個人は低度の意味で端末化される他ない。幻想をもつことは快くても、現実には端末があるのみなのだ。
 端末だけが現実なのだ。
 映画ではなくヴィデオという。
 こうした状況について語りうることは、あまりにも多く、同時にあまりにも少ない。
 略奪された映画のために語り出すことは、すでにもう遅いのかもしれない。
 映画は映画であり……。

1990.10 『アクロス・ザ・ボーダーライン』書き下ろし


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