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『プリンス・イン・ヘル』 ミヒャエル・シュトック監督 [afterAtBL]

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 生真面目な映画だ。
  十年くらい前に見たローザ・フォン・プラウンハイムの『ベルリン・ブルース』を想 い出していたら、作者はプラウンハイムの弟子筋にあたるという。しかしこれは『ベルリン・ブルース』のような楽しい映画ではなかった。

  タイトルの『プリンス・イン・ヘル』とは、誰のことなのだろうか。ベルリン、クロイツベルグ地区で、トレーラーハウスに住む若者たち。かれらはそこから出たいのか、出たくないのか。
 パンクで自由でゲイ、かれらはそこでの生活を満喫しているようにもみえる。麻薬に身を滅ぼしていく恋人を見守るドラマも何か幼い。表現がストレートすぎるのは若さのせいだろうか。

  ヘルとは、パンク地区のことか。それともドイツ全体のことを指しているのか。かれらは所詮アウトサイダーでその貴公子ぶりは、蝶になる前の幼虫のうめきのように見える。
 ゲイたちの乱交シーンにしても、そこには行き場のないかれらの優しさだけが 打ち棄てられているように感じられた。かれらの脅威は、パンク・スラムの外にある。ストリートで公安ふうのゲイに犯される場面、修正によって何が映っているかよくわからなかったが、ドラマが拡大する可能性はそこにあった。

  アウトサイダーの視点がとらえるドイツの矛盾は、うんざりするほど紋切り型だ。予定しなかった東西統一の後遺症、外国人排斥をめぐる左右対立の新しい局面、難民のヨーロッパ…。新聞記事のスクラップにも思える。かれらはドイツの矛盾をすべて等価にながめ、そして並べてみせるだけだ。芸もなく不幸に、それを並べて、さあどうだ、と問う。

  その平面的な若さには、答えようがないし、またその必要もない。
  アウトサイダーのおとぎ話は、それなりに自己完結してしまう。かれらが外に出ると、ネオナチが「この腐れオカマめ」といって、かれらを襲う。この話には意外性も何もない。ネオナチが「健全なオカマ」なのかどうか、この映画からはうかがい知ることもできない。
  外界に出たとたん、かれらは滅びの道を転げる。これはただ、かれらが生真面目なアウトサイダーにすぎなかったからだろうか。チンポ丸出しで自殺する首吊り男の靴を盗む子供の、最初の最後のシーン、これだけが面白かった。
            
『ミュージックマガジン』1995.7
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