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リビング・OFF・東京・タイム 1 [afterAtBL]

リビング・OFF・東京・タイム 1
 
 柳町光男は『愛について、東京』の新宿ロードショーでのあいさつで、この映画がパリで先行公開された点に注意を向け、自作の多国籍性について、いくらか当惑げに、またいくらか誇らしげに語った。そこには自作をもはや日本映画として作ることのできなくなった作家の寂しさと、<国際化>の現実の先端を自作が担っている事実の誇示がみられた。
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 わたしはこの映画を観ながら『十九歳の地図』を想い浮かべて仕方がなかった。作家がテーマ性においても題材においても原点に立ち戻らざるをえなかったとき、在日中国人が主人公に選ばれたということに状況の必然性があるようだった。デビュー作で扱われた地方から上京してきた青年の疎外感は、そのまま拡大され更に手きびしい環境を伴って、下層外国人労働者としての中国人留学生の物語となって、この東京に浮上してきたと感じられたのだ。
 作家の映画として観る視点にこだわるのなら、作家が自己のテーマに誠実であろうとしたとき、もはや日本を舞台にした日本人だけが登場するドラマという日本映画の自明性に依拠することができなくなっていることに注目すべきだろう。
 『愛について、東京』は、大林宣彦の『北京的西瓜』と同じく日本映画ではない。だが「日本映画」だ。ヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』が、そして同じライ・クーダーの音楽を使ってその二番煎じめいた導入部をもったルイ・マルの『アラモ・ベイ』が、アメリカ映画と呼ばれる他ないのと同等の意味で日本映画なのだ。

 ここでは個々の作品には立ち入らないが、『愛について、東京』で一つ典型的なシーンについて書いておこう。金持ち日本人に女房を寝取られたと告白する一人の留学生が同僚と交わす対話。ここで露出するのは、たんに個人的な窮状ではない。異郷における不如意、民族的・文化的衝突、在日という酷薄な閉鎖システム、それらの大状況が背景にみえかくれしてくる。
 会話はそして日本語でなされる。中国人同士の日本語。ほとんど日本語学校の会話練習のやりとりなのだ。哀しみとくやしさがカタコトの日本語にこめられて伝達されるとき、それは滑稽な効果をもつばかりではない。
 カネがスベテのキタナイニッポンにやってきた中国人が、その無念をニホンゴで語る他ない――。こうした状況は、アジア人労働者を大量に輸入させるにいたった覇権国家の暴力性を、じつに雄弁に指示しているのである。このシーンは映画だけに可能な仕方でそれを表現してみせたといえるだろう。

 こうしたシーンを日本映画として観ることは、いまだに感性的に抵抗あるものだろうか。それならこれはアジア映画と観られるべきなのか。
 日本の中のアジア――という限定には、あとでふれるように恐るべき意味の多義性と表出主体の曖昧性が混在している。<国際化>という言葉ほどおぞましいものはない。それが東京という世界システムの中枢からのみ発信されるイメージであるとき、一層おぞましい。
 日本を舞台に日本人のドラマをつくろうとすれば、そこに外国人の存在を絶対に無視できないという立場、これは柳町のように方法的ではなくとも、かなりの程度に一般化しているようにも思える。

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 例えば、和泉聖治監督の『修羅の伝説』。これは巨大開発にからまる利権の争奪によって地方の弱小暴力団つぶしの標的にされたヤクザが主人公。この愛人役が勝目梓原作とはさしかえられて、映画ではフィリピン人になっている。
 ヒーローが個的決起の途上で非命に倒れたあと、フィリピン女(ルビー・モレノ)はその遺志を継ぎ、最後の黒幕に銃口を向けるのだ。ヒーローの死後、女が引き継ぐというパターン(女性映画的もしくは女性極道映画的路線)は増えているが、これがアジア人になった例は初めてだと思う。
 大体、日本人には日本映画以外に映画をつくることができるのか、というのがここ数年の疑問だった。日本の中のアジアはどれほどに自明の映画的風景になっているのか。

 少し整理してみよう。
 日本におけるアジア映画とは何か。またアジア映画はいかに消費されるべきか。
 三つの方向性が考えられる。第一の方向は、日本におけるアジア人(あるいはアジア領域)映画である。これが本流であるべきだ。日本の作家が描こうがアジアの作家が描こうがどちらでもいい。しかしとりあえず在日アジア人による映画という項目はここに考慮しておくほうがいいだろう。

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 すでにあるものは在日朝鮮人作家によるものである。金佑宣監督『潤の街』、崔洋一監督『タクシー・ドライバー』(現在製作中)など。こうした傾向が明瞭になってきたのはやはりここ十数年のことだ。井筒和幸監督『ガキ帝国』に朝鮮語の会話が日本語字幕付きで使われた。そのあたりからではないだろうか。在日朝鮮人映画というカテゴリーの出立もほぼ同時期だったといえる。
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 第二の方向は、日本人が作るアジアを舞台にした映画である。日本人が輸入し、国内で消費するアジア製映画、これらも同じ局面を有している。

 第三の方向は、アジア人がつくるアジアを舞台にした「日本映画」である。この分類は奇矯だが、ここにおける日本とは、いまだ大東亜共栄圏であることが多い。旧大日本帝国の歴史を描くものは、必然的に戦後日本映画が題材としえなかったもの、忘却し去ったものを歴史の闇の中からとりだしてくるのである。

つづく


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