SSブログ

『もうひとつの人生』小池征人監督 [afterAtBL]


316a.jpg
 なんとなく敬遠したい映画だった。酒の恩恵を受けている割りには、酒について深く考察したこともない。断酒会の存在は知っていたが、酒について過度に自省的になる人たちは自分とはまったく無縁だと感じていた。だからこの映画は進んで見たいとは思えない類いの作品だった。

 けれど観終わって湧いてきたのは、作り手への感謝の気持ちだった。ここには酒によって病いを発し、酒との関係を破綻させてしまった人間の自己回復の物語がある。それは酒を離れて、人間が人生を信頼し直すための或る普遍性の発見だ。少なくとも何故「かれら」が執拗に自分の酒を語ることで、酒を飲まない時間に耐えているかの意味は深く教えられる。

 ドキュメンタリの手法としては奇をてらったところは少しもない。対象にカメラ・アイを捉えてナラティヴを引き出す。これだけだ。四つの物語がオムニバス風に進行する。激したドラマなどどこにもない。人物たちはポートレイトのようにたたずみ、たんたんと語る。それがフィルムに反転させられただけだともいえる作り方だ

 個人的には、中卒で板前になり30歳で立派なアル中になっていた人物の話に最も打たれた。飲むことは仕事のうちであり、飲めることは男の勲章でもある世界だから、結局は病いに落ちることで一件落着となる。
 この映画の人物の場合、被害妄想が出て破滅を感じ取った。一番手に馴れた包丁を持って自分の腹をさばいてしまおう、とそんなところに追い込まれたのだ。
 こんな人間はいくらでも知っていた。三十前で肝硬変、三合も飲まぬうちに正体をなくし、眠り込めば必ず失禁した男をわたしは知っている。

 主なエピソードの人物は、実名を公表して「出演」している。映画はかれらのシルエットの裏にある「人生の奥深い闇」を垣間見せてくれる。かれらは憑かれたように自分の生について語る。
 だがそれはかれらが失ったもの、棒に振った人生のいくらかを取り戻そうとする切実な訴えなのだ。かれらは注意して観ていると決してカメラに向かっては語っていない。
 自分の中の暗闇に向かっていると思えるのだ。にもかかわらず映画はかれらとキャッチボールを繰り返し、その紋様を見事に訴えかけてくる。
 誇れるほどの人生ではない、だが祝福されてしかるべきだ、と。かれらとの共同製作ともいえる水位を克ち取った。
 『水俣の甘夏』などで知られる小池征人の最新作である。
              
『ミュージックマガジン』1996.3

316aj.jpg316bj.jpg


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。