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あるいは映画を観ることの彼方に 2 [afterAtBL]

映画とは別の仕方で、あるいは映画を観ることの彼方に ドゥシャン・マカヴェイエフ論2


 ドゥシャン・マカヴェイエフはユーゴスラヴィア王国――(当時)今では、新ユーゴスラヴィア連邦共和国――それとも単独に「セルビア共和国」といったほうがいいのか――のベオグラードで生まれた。国王アレキサンダーの暗殺に先立つこと二年――。
 初めてわたしがマカヴェイエフ映画に接したとき、かれの祖国は「東欧革命」の激動の中にあったのである。
 しかし「旧ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国」の解体状況は、一人の作家の想像力をはるかに超えてしまったと思える。だからマカヴェイエフ論を用意しても、現在のユーゴ状況に対応させることはほとんど困難である。単純にかれを、祖国を追われた亡命作家と位置付けることも、正確さに欠けるだろう。
 「革命」は周知のように、ペレストロイカから社会主義崩壊へと進んだ。「諸民族の牢獄」としての社会主義帝国からの解放はなされた。しかしその必然的な帰結として「バルカン化」という特有の現象が現在のものである。果たして歴史の歯車は、再び逆向きに戻ってしまったのだろうか。

 芦田均は名著『バルカン』を「呪われたバルカン」の一章から書き始めている。
 《バルカン半島と欧州との間には、何一つ自然の境界がない。欧州の境界ばかりでなく、アジアとの区画は、文字通り一衣帯水のダーダネルスとボスポルス海峡であって、試みにスタンブール九丘の上に立って「おゝ」と呼べば、対岸のアジアは「おゝ」と答えん許りの距離に在る。
 それ故に北から来る欧州人種も、東南からするアジア人も、何の苦労もなくバルカンに入ることができた。バルカンの住民は、強力な侵入者の意のままに、或いは押され、或いは引き倒されて、その度毎に被征服民族の苦労を嘗めて来たのである。
 一言にして云えばバルカン半島は文化も宗教も人種も、区々様々の寄木細工であってラテン・チュートン系あり、ビザンチン・グレコ・スラーヴの影響もあり、そして中央アジアから来た韃靼の痕跡をもトルコ人を通じて明瞭に留めている》

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 因みに、この本は第二次世界大戦の始まった年に書かれた。
 バルカンは、歴史の用済みになったノオトから再び蘇生した呪われた言葉のようだ。諸民族の四分五裂は、第一次世界大戦以前の情勢を、じっさいに語るかのようだ。
 とりわけ旧ソヴィエト連邦と、スターリニズム衛星国家のうち最も中心から相対的に自主路線をとりえていた旧ユーゴスラヴィアとにおいて、こうした現在であるとは、何という歴史の皮肉なのだろうか。
 旧ユーゴスラヴィアは六つの共和国と二つの自治州から成り立っていたといわれる。面積は日本よりも狭い。本州と九州を加えたより少し広いという程度だ。地勢はほとんど高原山地であり、中心点をもちえない。「民族の十字路」といわれるバルカンでもとりわけ典型的な複雑な構成がここににあった。
 七つの国境、六つの共和国、五つの主要民族、四つの言語、三つの宗教――セルビア正教、カトリック、イスラム教。モザイク国家といわれた所以である。

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 オスマン帝国の占領の跡はいまだに残り、文化的にも宗教的にも、東西の交易地としての独自の遺跡をもつ。
 歴史は骨肉の民族憎悪を、この狭い「国家」に封じ込めてきた。統一国家としての出立は一九一八年、セルビア・クロアチア・スロヴェニア王国の成立に始まる。
 《ユーゴスラヴィアは、建国以来二十年の歳月を閲して、今なお一民族国家と考えることは、事実を無視する謗りを免れない》――芦田、前掲書。
 統一国家を可能にした動因はナチスドイツによる外圧だった。ファシストに抵抗するパルチザン愛国主義が初めてユーゴスラヴィアを実体化したのである。そして戦線は勝利を収め、以来、社会主義連邦の理想が構築する未来が信じられようとしたのである。
 自主管理コミュニズム非同盟中立路線は、この東欧の後進国を近代化したことだろう。しかし「諸民族の栄光」は、この地では実現されないのか。バルカンの呪われた混迷そのままがこの地の歴史に戻ってきている。これをパルチザン国家の黄昏という世界史的動向の局面で了解することは、あまりにアカデミックすぎるように思える。
 大セルビア主義の標榜が連邦の分裂を加速させたのか、どちらにしても解体は不可避だったのか、うまく整理することはできない。一体あの狭い領土で、大ロシア主義のミニマム版なのか。

 現在は、スロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、マケドニアの各共和国が連邦を離脱、独立した。残りのセルビア、モンテネグロ両共和国に、ヴォイヴォディナ、コソヴォ両自治州が、新ユーゴスラヴィア連邦を名乗っている。

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 五共和国の状態。酷薄な内戦と調停のニュースが断片的に伝えられてくる。よほど予備知識を備えていなければ、事態を把握することはむずかしい。それにこの状態が、解体の最終局面とはどうしても想えないところがある。
 各共和国はそれぞれ同名の一民族と対応した民族国家だが、ボスニア・ヘルツェゴヴィナは例外であり、もともと準共和国のような不安定状態にある。イスラム教徒が半数近いが、ムスリム共和国ではない。
 それにコソヴォ自治州のアルバ二ア人問題がある。アルバ二ア人はユーゴでは少数民族に分類されているが、じっさいは、マケドニア人、モンテネグロ人よりも人口は多い。更に人口増加率が他民族に較べてかなり多いのだ。
 アルバニア人の暴動は、最高指導著チトーの死後、ほどなくして起こった。アルバ二ア人の要求はコソヴォの共和国化に帰結する。だがそれが実現すると、コソヴォ自治州は、隣国アルバニアに併合される結果になるだけなのだ。七つの国境という要素がここで注面されてくることになる。


つづく


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