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スコセッシの死者たち [映画VIDEO日誌2007-09]

2007.01.21   スコセッシの死者たち
 映画館で『ディパーテッド』を観てきた。久しぶりのスコセッシ・フィルム、二時間半。
 大満足で外に出た。
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 ………待てよ。  よく考えたら、その満足とは、映画館で映画を観たというその行為のみに属しているようなのであった。
 つまり――おお、なんちゅう虚しい作品なのであろうか。

 オリジナルの香港ノワール『インファナル・アフェア』のほうが良かった、などと芸のない科白はいいませんが、いや。
 リメイクだからねーというなら、スコセッシは『ミーン・ストリート』『グッド・フェローズ』などの自作のリメイクをせっせとやっているわけだし。とやかくいったって野暮だろ。
 巻頭に「ギミー・シェルター」ガンガンガンに流してジャック・ニコルソンが画面をさらっているところは泣けました。
 これ、ニコルソンの映画かよ? しかし、ここだって、ああ、『ミーン・ストリート』じゃ、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」に導かれていじいじと寝転んでるハーヴェイ・カイテルで始まったんだったな、と郷愁が先立ってしまう。

 だいたい「マフィアに潜入した警察の男」と「警察に潜入したマフィアの男」の顔が似すぎているのが困る。
 同じ女とベッドシーンに励むという展開にまであるから、余計どっちがどっちだったかわからなくなる。
 その上、マーク・ウォールバーグまで出てくるからまいった。しばらく前まで、個人的には、マットとマークの区別が全然つかなかった。デカさまとデモさまだって相当似ているではないか。
 こういうキャストにしたのは何か特別の意図があったのだろうか。
 少なくとも香港版の、トニー・レオンアンディ・ラウの区別なら誰でもつくぞ。

 敵の敵も敵、まわりはみんな内通者だらけ、なんて疑惑と妄想全開の香港式笑い話を、ハリウッド式大スケール・大味ドラマにしたらいったいドーなるか。多くの才能とお金をつぎこんだ貴重な教訓がここにある。
 作品の終幕近くはほとんどヤケクソみたいな。
 エイ、みんな殺しちまえ。  ガンガンガンガンガーーーーーン
 よく似た容貌をもった二人。それぞれの敵対組織に潜入して内通を重ねるうちに、苦悩とストレスの限界を通り越して、自分が何者かという正常な判断を喪っていく。
 嘘と仮面とが際限なく増殖し、自分をマフィアに潜入した警察官と思いこんでいるマフィアの男……という思いこみが幾重にも鎧のように自分を縛る。つまり、お互いの顔を交換する『フェイス・オフ』みたいな話。この配役でやるならソレしかないと想いつつ。
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