戦争戦争戦争 [日付のない映画日誌1960s]
ケン・アナキン アンドリュー・マートン ベルンハルト・ヴィッキー『史上最大の作戦』
ロジャー・コーマン 『侵略戦線』
史劇と並んで盛況だったのは、戦争映画。
どれも、アメリカ史観にのっとった第二次大戦もの。
超大作であれ、低予算の二流スター作品であれ。
正義が疑われることはなかったのだ。
そういえば、雑誌の『戦争映画特集号』というのもあった。
ジョン・フランケンハイマー 『大列車作戦』
ハワード・ホークス 『ハタリ!』 [日付のない映画日誌1960s]
ホークス一家とジョン・ウェインのチームによる西部劇アフリカ狩猟版。
今回のファミリーには、イタリア、ドイツ、フランスからの参入があって「国際色」豊か。
変型西部劇としての「未開大陸」ハンティング映画の傑作だ。
ジョン・ヒューストンの悪名高き『アフリカの女王』とどうしても比較したくなるのだが、こちらのほうがずっと作品を撮ることの職人に徹している。
作家としてのキャパシティの大きさとは自ずと別の話だけれど。
脚本はホークス一家のリー・ブラケット。
ブラケットの写真はこのパンフレット以外ではたぶん見たことがない。間違いなく女性である。
ブラケットによるハードボイルド小説は、後に一冊、翻訳された。
シナリオに関する面白い話は、ホークス関連の書物にいろいろあった。
ウィリアム・ワイラー 『ウエスト・サイド物語』 [日付のない映画日誌1960s]
ウィリアム・ワイラー 『ウエスト・サイド物語』 1962年
当時は、『映画の友』『スクリーン』とファン雑誌があって、毎号かならず読んでいた。
話題作に関する記事は満載だったから、この映画もそうだったが、観どころ勘どころの書かれた文章はもう暗記してしまって、観るのはそれを確かめるためといったような鑑賞法になりつつあった。
おまけにこの映画の場合、ミュージカルなので、主要な曲は観る前から耳に親しく入っていたわけだ。
サウンドトラック盤のLPまでは買わなかったが、何かそれに近いものを持っていたように憶えている。
そのあたり、まことに記憶がおぼろでしかないけれど、何曲かピックアップした17センチソノシートの付録つきの雑誌(いまでいうムック)ではなかったかと思う。
ソノシートというのは、赤色の透明なレコードをペラペラに薄くしたもので、片面だけに溝がつけられてあった。
現物は残っていないので、記憶は他のものとごっちゃになっているかもしれない。
映画のさまざまな細部に関してはもちろんのこと、ソウル・バスのタイトル・デザインに注目したとか、少年愚連隊の一方の副長タッカー・スミスが気に入ったとか、通ぶった感想もそろそろ芽生えはじめてきたようだ。
個々の場面や台詞などが自分のなかで驚くほど鮮明に残っている作品。
大きな影響をこうむったということではないが、こんなふうに自意識の底に沈んでいるような「名作」をこの時期に数多く体験しているということだろう。
ジョン・フォード 『怒りの葡萄』 [日付のない映画日誌1960s]
ジャック・ベッケル 『穴』 [日付のない映画日誌1960s]
アンソニー・マン 『エル・シド』 [日付のない映画日誌1960s]
これも70ミリ・スーパーテクニラマ
史劇といっても、時代は中世。
史劇はギリシャ・ローマ時代のイメージが強かったけれど、これは、イスラム教徒vsヨーロッパという図式だ。
どっちにしろ、予備知識など何も持っていないのだから、つまり時代背景はなんだって良かったということ。
なぜかラストシーンはあざやかに憶えている。
死して馬上の人となって幾万の敵軍を畏怖させる
――この英雄伝説のパターンは『三国志』などにもあるごとくお馴染みのものだ。
おかげでチャールトン・ヘストンは俳優というより歴史上の偉人のイメージでしか観られないようになった。
『エル・シド』は彼のベスト。
ご本人もこのラストシーンともども消え去ってくれていれば伝説がもうひとつできあがったんだが。
マイケル・ムーアのドキュメント・フィルムに出てくる80歳のライフル・ゴリラがヘストンの「晩年」なのだった。
キング・ヴィダー 『ソロモンとシバの女王』 [日付のない映画日誌1960s]
『十戒』そして『バラバ』 [日付のない映画日誌1960s]
ウイドマーク主義 [日付のない映画日誌1960s]
リチャード・ウイドマーク『秘密諜報機関』 [日付のない映画日誌1960s]
J ・リー・トムプソン 『ナバロンの要塞』 [日付のない映画日誌1960s]
1961年
パンフレットといっても、カラー印刷は表紙のみ。中味はモノクロで粗末なものが主流だった。
この映画も含めてだが、先に観た兄がいろいろと観どころ勘どころを教えてくれる一時期があった。
最初の映画教師は兄だったということになる。
話題にのぼった名場面のかずかずは、だから、二度も三度も観たような記憶になって残っている。
映画館がどこだったかは憶えていない。
先日ふれたところ、『奇跡の人』を観たのは京極東宝だった。
資料をひっくり返して、60-70年代の京都映画館地図でも再現してみようかと思ったりもする。
70年頃ですら、わりと目まぐるしく様変わりしていた。
いま時のシネコン風に小さなスクリーンを並べていた高島屋の裏手の小屋は、あれは、何といった映画館だったのだろうか。
オットー・プレミンジャー『栄光への脱出』 [日付のない映画日誌1960s]
封切りで観たはずだが。 あまり記憶に残らず。
というより、残したくなかったのか。
イスラエル建国神話の「栄光」をハリウッドが総力をあげて喧伝したイデオロギー映画。
などと、批判的に観るような鑑賞力の身についていない子供だった。
テーマ曲の多士済済ぶりにもコロリとまいった。
耳からもまた、きっちり「洗脳」されてしまった。
なかでも、パット・ブーンが浪浪と唄いあげた「アレ」が、まだ頭のスミにこびりついていて……。
「この国はオレのもの」
と、ウディ・ガスリーの「This Land is My Land」のヴァリエーションが他国の他領土に適用された、初期の用例ではないかね。
地球上どこの国だってオレサマ達の領土。「自由とデモクラシー」を宣教するためなら、何だってヤルぜ、と。
ちなみに、この映画のシナリオは、反体制派ハリウッド・テンの一人ダルトン・トランボだ!
『スパルタカス』とともに、彼の復帰後の仕事だ。
スタンリー・キューブリック 『スパルタカス』 [日付のない映画日誌1960s]
スタンリー・キューブリック 『スパルタカス』
1961年
以下の日付けは必ずしも正確にあらず。
だいたいの年号であって、月日までは再現できない。
封切り日から逆算したものの、京都の場合、ロードショー公開が東京大阪よりも遅れるし、その遅れ方もまちまちなので、見当はかなり大まかだ。
ハリウッド史劇路線は当然のことながら、当時のアメリカ政治のポジであったりネガであったりするが、 奴隷叛乱をあつかった『スパルタカス』は、例外的に左翼ポピュリズム史観を発信していた。
もちろんそうした理屈がいちいち頭にはいったはずもなく、まだ「カブリック」と表記されていたキュブさまのお手並みのほども、超大作のなかに監督の個性を見分ける眼力がそなわっていたわけもなく、ただ3時間半を愉しんだだけ。
ウィリアム・ワイラー 『ベン・ハー』 [日付のない映画日誌1960s]
60年代映画の記憶はほとんど映画パンフレットのなかに収められている。
チッケトをためるようになったのは、東京にもどってからの80年代以降。
昔はもっぱらパンフレットを買っていた。
観たのは半数がた西部劇だ。これから並べていくのは、それ以外のもの。
時期は60年代の前半、中学・高校時代に集中している。
そのあとは資料を残しておく習慣が途切れた。
記憶には濃淡がはなはだしく、何をいつどこで観たかもあらかた復元できない。
よけいにこの時期が黄金時代に感じられたりするけれど、じっさいにはどうなのだろうか。
映画は大型化するいっぽうの時代だった。
横拡がりにパノラマ化するわけだ。
シネマスコープから70ミリへと、ハリウッド映画は巨額の物量を投じる歴史劇大作路線が主流となる。
上映時間も三時間をこえるので、途中かならず休憩がはいる。
この路線が十年ほどつづいたのか。
『ベン・ハー』を観たのは、新京極六角の松竹座だったと思う。
母親と兄とがいっしょだったはずだ。
一家の記憶はそれから急速に色褪せていくが、映画館の記憶も同じだ。
松竹座だったのかどうか自信はない。
裏寺町と新京極のあいだに大型館があって、今その名前をどうしても思い出せないのだけれど、あるいは、『ベン・ハー』はそこで観ているのかもしれない。
こうしたことばかり重なり合っているのだ。
ピエトロ・ジェルミ『刑事』 [日付のない映画日誌1960s]
ジャン・ポール・ベルモンド『墓場なき野郎ども』 [日付のない映画日誌1960s]
1960年
原作者ジョゼ・ジョヴァンニの名も知らず、ジャン・ポール・ベルモンドもこれがデビュー作と勘違いしていた。
予備知識があったのは、主演のリノ・ヴァンチュラだけだったか。
原作の翻訳は十年後。
ベルモンドの登場シーンには目を見張ったものだ。こんなにもかっこいい役者がいるのかと素朴に感動してしまった。ゴダール映画よりも数等まさる。
河原町蛸薬師の角に文映という薄汚い小屋があって、文化映画劇場の略かなにかよく憶えていないが、そこに祖母に連れられて行った。京都に移って間もないころだった。
この小屋はわりと早く廃業して、キャバレーに変わった。
この映画とつながった思い出のみが不思議と残っている。
とっくに消えた作品になっていると思っていたら、『墓に唾をかけろ』とセットでDVD化されていたのである。
ボリス・ヴィアン原作、クリスチャン・マルカン主演の『墓に唾をかけろ』だ。
原作はアメリカ黒人抗議小説のパロディのようなものだったことを記憶しているが、映画のほうは成人指定にはばまれて観そこねてしまったのだ。