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アラン・パーカー(1944-2020) [拾遺]

アラン・パーカー(1944-2020)
『ミッドナイト・エクスプレス』1978207zj.jpg


『エンゼル・ハート』1987
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『ミシシッピー・バーニング』1988
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『ミステリマガシン』ベスト3・2007年 [拾遺]

『北米探偵小説論』注釈 映画を探して16  『ミステリマガシン』の毎年三月号に載るアンケート。2006年度。


『王になろうとした男』ジョン・ヒューストン
『レッドパージ・ハリウッド』上島春彦
『裏社会の日本史』フィリップ・ポンス

 ① 坂口安吾、ディクスン・カーと生誕百年の伊達男が並んだ2006年だったが、この人もそう。正直いって監督作としては『マルタの鷹』以外にそれほど特記したいものはなく(初めて観たのがインディアン標的西部劇『許されざる者』だったせいか)、『チャイナタウン』での快演の印象のほうがたちまさる。自伝はどうかね、とページをめくってびっくりだった。なんと彼の人生のほうが作品より数倍も面白いのだ。なるほど「撮られなかったフィルム」の物語はその実人生のなかにあったか。
 ② 赤狩り時代の映画作家について、これほど広範で立ち入った研究にふれるのは初めてだ。これまでの文書はどれも部分的かつ党派的でしかなかったわけだ。著者の執念と努力に脱帽した。この本を読むまで名前を知らない人物もいたが、複雑なネットワークのなかでそれぞれが脚光を当てられる記述をとおして既知の人のように輝いてくる。すべて世界には脚注的人物など一人もいないのだと納得。たんなるインサイド・レポートに終わらない濃密な人間ドラマだ。子供の時に観た『大砂塵』という映画のラストがなぜあんなにミザリーだったのか、長年の疑問も氷解。
 ③ 犯罪社会からみた日本の通史。学問的興味にとどまらず、寄せ場の実態などを捉えるジャーナリストの姿勢に独自のものがある。

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ポーリン・ケイル『明かりが消えて映画がはじまる』 [拾遺]

『北米探偵小説論』注釈 映画を探して14  2004.01.15の日誌より
 ポーリン・ケイルの映画評論集『明かりが消えて映画がはじまる』(山田宏一監修、畑中佳樹、柴田元幸、斉藤英治、武藤康史訳 草思社)を読む。
嬉しくなる本だ。

 邦訳されたケイルの本『今夜も映画で眠れない』『映画辛口案内』は読んでいたはずだが、辛辣な寸評の光る一言居士といった印象が強く、いちおうは目を通しておく以上には進まなかった。初めてこの批評家の本領にふれた。
 ここには、七十年代なかばに公開された作品への比較的長い作品論が収められている。長さもあって論旨は委曲つくされたものだ。できうるかぎりの精度で作品を観、優れたところ劣ったところを公正に指摘する。映画批評のあり方の正統を行く作法だ。取り上げられた作品のすべてが、わたしが二十代で観たものなのでいっそう引きこまれた。かつて感じ取った熱狂や戸惑いやあるいは不満の数かずが、何によるものだったか改めて犀利に教えられた。自分では言葉になしえなかった感想が簡明に掘り下げられていることに驚く。当時の自分の映画の観方の幼稚さを諄々と説かれる思いだ。

 ケイルの最もたる魅力は、いさぎよい断言にある。寸鉄人をさす、という警句がほうぼうに散りばめられていて快い。
 たとえば《映画史の不幸とは、壮大な失敗作がつくられることではなく、それがつくられないことなのだ》
これはベルトリッチ『1900年』論のマクラ。ケイルは、この映画の《マカロニ・ウェスタン版階級闘争》の語り口をからかい、《階級闘争も結局のところ二人の少年の男らしさの競争、ペニスの大きさ比べだったのではないか》と看破する一方で、作者の十九世紀小説的叙事詩の偉大さを精緻にたどっていく。こうしたバランス感覚にすぐれた批評の、前半ならわたしでも書ける。むしろ、後半に偏した感のある(日本人の)ベルトリッチ礼賛(その貧相な歴史観を不問に付すかのような無邪気な映像論)に苛立っていたから、前半のみで済まそうとしたのかもしれない。これはこちらの貧しさだ。

 チミノ『ディア・ハンター』を壮大な少年冒険ロマン、スコセッシ『タクシー・ドライバー』を良質のモダン・ホラー映画、デ・パルマ『キャリー』を真っ赤なフィルム・ノワール、と断じる小気味の良さ。また『カスパー・ハウザーの謎』までのヘルツォークを説教好きの映画詩人とする。その根拠も作品にそくして明快である。

 たとえばジンネマン『ジュリア』を観たさい、わたしが感じた原作者リリアン・ヘルマへのほとんど道義的な怒り(つまり彼女はハメット派の最も悪質陰険なエピゴーネンだったわけだ)も、本書のような記述によってより広範な説得力を持つのだと知った。ヘルマンが終生いだいた勧善懲悪の世界観をケイルは決して許していないが、それが帯びた時代性については寛容な了解を示している。ヘルマンの酷薄な人間裁断の断片が、ジェーン・フォンダやヴァネッサ・レッドグレーヴという女優にどう反映され、またそれらが映画という「もう一つの人生」の舞台でどう輝いたか。それを辿っていく批評の手つきのスリリングなこと。

 あるいはフォアマン『カッコーの巣の上で』に、わたしはひどく失望しなかったにしても、ケン・キージーの原作への過大な思い入れがあった分、図式的な絵解きを感じてしまった。そこにとどまっていた感想も、本書の分析のように、亡命者フォアマンの作家的狭量さ、六十年代カウンター・カルチャー・ヒーローとしてのキージーのヴィジョン的短命さ、主役を演じたジャック・ニコルスンの演技戦略などから多面的に捕捉される論考を前にすると、当時気づかなかった諸々の意味深さを目のあたりにする想いだった。

 またデ・パルマに関するさりげない一行にもまいった。「彼もまた文化革命世代の映画ファンのセンスを買いかぶりすぎた作家の一人だった」というくだり。なるほど、大局的にみれば、買いかぶったことの対価などおそろしく貧しいものでしかなかったわけだ。
 もっと早く、もっと身近に読みえていたら、アメリカ映画を観るための指南書として活用できただろう一冊である。

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『ミステリマガシン』ベスト3・2005 [拾遺]

『北米探偵小説論』注釈 映画を探して13  『ミステリマガシン』の毎年三月号に載るアンケート。2004年度。
『明かりが消えて映画がはじまる』ポーリン・ケイル
『68年の女を探して 私説・日本映画の60年代』阿部嘉昭
『クリスチャン・ボルタンスキー 死者のモニュメント』湯沢英彦

三冊とも、憑かれた者たちの記録だ。
ただし③に関しては、筆者がではなく、書かれた対象が、である。ボルタンスキーの謎に迫った初めての本だ。そして①も、ケイルの何点目かの映画論集であり、それほど常軌を逸したものとはいえない。
やはり②である。極私的映画論。その凝視の執拗さ、分析的ディテールの集積で圧倒する。「68年の女」というテーマ、これが読めば読むほどわからなくなるという無類の追跡ぶりだ。官能のありかを探って己れの晦渋な内面に分け入っていく。この妄執は確かに心を打つものがある。たとえば大和屋竺『荒野のダッチワイフ』論。解読の快楽のクライマックスが難解しごくな饒舌の総仕上げのように「差異性と無差異性」という耳慣れない用語に収束していくと、こちらはすっかり著者の独演に取り残されてしまう。見事に全ページその質感だ。
批評家とはどんなに下らない映画からでも達者な一家言を披露してみせる存在なのだ。

そうか。「68年の女」ってゴダール『気狂いピエロ』のアンナ・カリーナじゃなかったのか。

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オリヴィア・デ・ハヴィランド(1916-2020) [拾遺]

オリヴィア・デ・ハヴィランド(1916-2020)
 カーク・ダグラスと同年の人。
 『風と共に去りぬ』(1939)のヴィヴィアン・リーの蔭にかくれた女優(役柄)という印象しか残っていなくて、残念。
 『ふるえて眠れ』(1964)は、『何がジェーンに起こったか』の焼き直しで、つまらなかった。パティ・ペイジの歌「HUSH...HUSH, SWEET CHARLOTTE」しか憶えていない。
 あと『壮烈第七騎兵隊』(1941)のDVDが棚におさまっているのを発見。
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『ラスト・ワルツ』に追われて [拾遺]

『北米探偵小説論』注釈 映画を探して12   2003.01.01の日誌より
 『ラスト・ワルツ』のDVD版を観た。驚いたことに、この映画は、わたしのなかでモノクロームのフィルムとして記憶されていた。
 ニール・ヤング『ヘルプレス』も、リック・ダンコエミルー・ハリス『エヴァンジェリン』も、なにもかもが褪色した古い画像のようにしか残っていなかったのだ。いま観かえしてみても、何からなにまで、まぎれもなく70年代後期にしかつくられえなかった映画だと思う。
 しかし忘れ果てていた冒頭のシーンを観れば、ヴィム・ヴェンダース『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』がこの映画への返歌であることは明らかだった。

 数あるロックバンドのなかで「ザ・バンド」と名乗ることの出来たのは彼らだけだった

 そして『ラスト・ワルツ』という映画に、二十数年前のわたしが何を見ようとしていたのかも、ようやく腑に落ちたとも思える。

彼らのコンサート・アルバムでは『ビフォア・ザ・フラッド』がベストだ。しかし統一された作品としての持久力は『ラスト・ワルツ』に及ばない。その端的な理由は、たんにひとつのグループの解散コンサートというにとどまらない、 ビッグ・イベントの質にあるだろう。
 あの頃は、時代がいくつかの「祭りの終わり」を語るセレモニーを必要としていた。とうに祝祭の時代は終わったはずなのに、なお散発的な祝祭のときは生きられていた。自分の実感としても、間違いなくそういえる。けれどいずれにせよ、終わりのときは来るし、終わりのメモリアルは刻みつけられねばならなかった。
 挽歌が必要だった、いつの時代もそうだとはいえ。

 わたしらはわたしらの肉体を果てもなく享受するいっぽうで巧妙に絞殺することを試みていたのだ。

 『ラスト・ワルツ』はつくられるべくしてつくられたスコセッシ映画だった。『明日に処刑を……』から『ミーン・ストリート』『タクシー・ドライバー』を経て『レイジング・ブル』まで、かつて追い求めた、そしてしごく居心地よいと思えていた、スコセッシ・フィルムの、あの永遠の映画少年がつむぎだす、とりかえしようもなく喪われたものへの望郷の、あまりにも傷つきやすい明敏な身ぶりが、コンサート・フィルムの記録のはしばしにあふれかえっている。こんなにも物悲しく懐かしい映画は他にいくらもあるまい。

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クリストファー・フレイリング『セルジオ・レオーネ 西部劇神話を撃ったイタリアの悪童』 [拾遺]

『北米探偵小説論』注釈 映画を探して11   2002.12.05の日誌より

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 クリストファー・フレイリング『セルジオ・レオーネ 西部劇神話を撃ったイタリアの悪童』は、圧倒的な書物だ。最初はレオーネのような「二流の巨匠」にこのような大部の本(なにしろ二段組、600ページ)がふさわしいのかどうか疑っていた。しかしここにあるのは映画のスクリーンの影にうずめられた無数の声の集積にとどまらない。

 一人の映像作家の墓銘に百人の無名の徒の訴えが含まれているように、戦後の一時期を彩った映画史の欠落を埋める貴重なドキュメントであると同時に、その映画史には、アメリカという文化スタンダードの支配を受けた一辺境(ここではイタリア)がいかにその「支配」を脱構築=ディコンストラクションしたのかという記録が、びっしり微細な証言をもとに大建築物のように組み立てられている。すぐれた書物には大河小説のごときゆったりした流れと、濃密に埋められた一行一行の何にも代えがたい輝きがある。映画についての長々しい本がしばしば陥るのは、細部の集積に書き手がこだわるあまり、書物としての統一性を喪ってしまう事態だ。
 この本はちがう。統一性と細部の輝きとが見事なバランスをもって一人の映画作家の悲劇――レオーネの生涯にも作品歴にも悲劇性はひとかけらもなく、むしろ再現されるのは、死を前にして観ていた映画が『私は死にたくない』だったというエピソードそのままに、騒々しいコメディアンのような軌跡の連続だが――悲劇というしかない人生が呈示される。どこまでもレオーネは滑稽な喜劇役者のキャラクターに描かれるが、それらすべてが、人生一般がおおむね求めて得られない果実をつかみ取ろうとする悲劇的な闘いであるという言葉本来の意味において、悲劇の陰影の満ちみちているのだ。
 こうした本は希有である。

 監督としてデビューする前、1950年代後半において、レオーネの視線は複雑なコンプレックスをもってアメリカに向けられる。彼がスクリーンで知っていたハリウッドの巨匠たちが史劇大作のロケ地に選ばれたイタリアにやってくる。レオーネは助監督として彼らにつき、不自由な英語会話能力でオマージュを伝えようとするが、本国での西部劇ブームは過去のものになりつつあった。
 そして60年代なかば、レオーネは悪名高いパクリ映画『荒野の用心棒』を送りだす。それにつづくマカロニ・ウエスタン三部作によって作家レオーネは生まれるわけだが、その誕生と成長を跡づける筆致はとくに印象深い。伝記というよりむしろ、豊富な映画史的知識に恵まれた筆者の手になる、パノラマのように展開される巨大スケールの芸術家小説を読むかのようだ。魅力はレオーネそのものより、作者のほうに横溢している。

 頂点に立ったイタリア製西部劇が巻き起こした60年代末状況についてはずいぶんと教えられた。「売り出し中のマルクス主義者」はみな西部劇をつくり、それを階級闘争史観の入れ物にすることを欲したらしい。ラディカリズムと娯楽センターとの無媒介な野合。わたしはマカロニ・ウエスタンをほとんど観なかったので、実感しにくかったが、ゴダー『東風』などをこの脈絡におくなら、なんとか了解できる。

 筆者はレオーネを最初のポストモダン作家と位置づける。そして最後の数ページを、いかにレオーネが後代の作り手に深甚な影響を与えたかの考察にあてている。そのあたりはまあ「そうですか」と傾聴しておくしかない。ピーター・ボクダノヴィッチ『ウエスタン』のラスト近くの長々しい決闘シーンのモンタージュに関して評していることは首肯できる。まるで、評論家同士がぺちゃくちゃと内輪話で盛り上がっているみたいだ、と。それをポストモダンと呼ぶのだろう。

 またエリザベス・マクガバン『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』バート・デニーロレオーネについて語っていることも印象深い。この映画のシナリオ協力をスチュアート・カミンスキーがやっている。わたしはその昔、この映画についての映評まで書いていたことを思い出した。厚顔無恥を地でいくような文章だったが、日本公開ヴァージョンが何分版だったかまったく憶えていない。

 わたしはこの本に深く満足するが、かといって、レオーネの作品をまた観なおしてみたいとも思わなかった。書物がここでは勝っている。これほどまでに活字によって映画的感動を喚起され、再現され、注釈され、再構築される映画とは何なのか。「二流の映画」に捧げられた一流の書物を読み終わって、いささか混乱してしまう。映画の未来はあるのか。それとも終わってしまったごとく際限なく語られることこそ映画の現在なのだろうか。映画史の現在。それこそポストモダンの奥深い空虚な悲劇ではないのか。悲劇としては決して受感されないだろう無様な現在の。


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『ミステリマガシン』ベスト3・2002年 [拾遺]

『北米探偵小説論』注釈 映画を探して10
『ミステリマガシン』の毎年三月号に載るアンケート。2002年度。


1 『映画俳優 安藤昇』山口猛 ワイズ出版
2 『セルジオ・レオーネ 西部劇神話を撃ったイタリアの悪童』クリストファー・フレイリング フィルムアート社
3 『わたしは邪魔された ニコラス・レイ映画講義録』スーザン・レイ編 みすず書房

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映画というかつてあまりにも神々しかったロマンスに身を捧げた男たちの伝説記録が三本。あまりに傍若無人に「敷島の大和オノコの往く道」を駆け抜けていった安藤。あまりに猥雑で滑稽で、しかも悲劇というほかない映画人生を送ったレオーネ。あまりに苦い片想いの断片を遺したレイ。いずれも個人の軌跡をこえて立ちのぼってくるのは、二十世紀のなかばを荒々しく席捲した文化事象への洞察だ。勝者は何も手にしない。とくにレオーネをめぐる大河小説にも匹敵する書物には、粛然とさせられた。
レイが思い浮かべる最良の墓碑銘は《生まれ/生き/阻まれた》というものだ。何から阻まれたのか。もちろん最愛の、映画の女神からだ。自分は心から満足のいく作品をただの一本も撮ったことのない世界一のロクデナシ映画作家だと自嘲するレイ。映画が人生に与える果実を、彼は充分には享受できなかったと言うのだ。死の床に横たわった彼を記録したヴィム・ヴェンダースのフィルム『ニックス・ムーヴィー ライトニング・オーヴァ・ウォーター』のレイが思い出されてならなかった。


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『ミステリマガシン』ベスト3・2001年 [拾遺]

『北米探偵小説論』注釈 映画を探して09  『ミステリマガシン』の毎年三月号に載るアンケート。2001年度。

『新編 美女と犯罪』山田宏一 ワイズ出版
『60年代アメリカ映画』上島春彦+遠山純生 エスクァイアマガジンジャパン
『ゼルダ・フィッツジェラルド全作品』ゼルダ・フィッツジェラルド 新潮社

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映画は二時間かそこらで終わってしまう。しかし映画について書かれた文書は『美女と犯罪』のように延々とつづいて、淀みなく流れるだけでなく数かずの支流を生じてうねっていく。終わりが見えない。そういう文章の一級品に出会うと、そのうねりに身をまかせて、何本の映画を観るよりもずっと豊かな感動をうることができる。キーワードは犯罪と運命の女。いずれもミステリには欠かせない。その意味でも『新編 美女と犯罪』486ページはありがたい本である。一読二読、そして索引を使ってあちこちとページをとびまわり「映画史」(ゴダール的な用語で厭味ですか)のいくつものエピソードを遊んでみるのも一興。
一方、『60年代アメリカ映画』のキーワードは追憶と悔恨か。これは映画史(また使っちまった)を読み直す志向をもった研究書にとっては避けられない選択かもしれない。悔恨が少しずれると遺恨になる。時代への恨み。しばしば感傷のかたちでよみがえってくる或る映画の一シーンのように……。


09c-215x300.jpg話はとつぜん変わるが、ゼルダはわたしにとって奇妙なレベルでの「運命の女」だ。『パラダイスのかけら』という英語版作品集は持っているけれど、全作品の翻訳が出たのは買わないわけにいかない。すぐには読まない。きわめていいかげんな観測だが、いつか時期がきたら読もう。それまでは手元に置いておきたい。


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『ミステリマガシン』ベスト3・2000年 [拾遺]

『北米探偵小説論』注釈 映画を探して08 『ミステリマガシン』の毎年三月号に載るアンケート。2000年度。
① 『哀愁の満州映画』山口猛 三天書房
② 『イサム・ノグチ』ドウス昌代 講談社
③ 『コオロギの眼』ジェイムズ・サリス ハヤカワ文庫

年末になると読み残した本のことを考えては落ち着かなくなる。ほうぼうのアンケートに答えを記していると、その気分もひとしおである。積んである本はまだしも、恨みがましい背姿をこちらに向けているから、拾い読まれるチャンスに恵まれるかもしれない。しかし、諸般の事情が重なって求めそこねた書物の場合は、たぶんわたしの人生に二度と現われては来ないのではあるまいか。本の総量と膨大さとこちらの余命の乏しさを鑑みればほぼ間違いなく、そう予想してしまう。トッド・ブラウニングの伝記は、あれは今年ではなく昨年だったか。ああ、煩悩は尽きず、この種の繰り言が降りつもるばかりの年の瀬である。

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『ミステリマガシン』ベスト3・1999年 [拾遺]

『北米探偵小説論』注釈 映画を探して07
『ミステリマガシン』の毎年三月号に載るアンケート。1999年度。今は集計式なので、真面目に書いているけれど、この頃は映画本のことばかり。
① 『マカロニアクション大全』二階堂拓也 洋泉社
② 『東映ピンキー・バイオレンス浪漫アルバム』杉作J太郎・植地毅 徳間書店
③ 『ハリウッド“噂の真相”』BRUTUS99.12.15 マガジンハウス

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映画をあまり観なくなってから、映画本もあまり読まなくなったのだろう。三点もそろえばご機嫌なんである。
マカロニ・ウェスタンについてのウンチク本を読んでいて気づいたこと。ほとんどあのジャンルは観てなかったんですね。何が嫌いだったかというと残酷シーン。あれが敬遠した大きな理由だった。
一方の東映B級プログラム・ピクチャーの一群は、どうだったか。なんと、ほとんど観てますな。おれはこんなにマニアだったのかと驚いた次第。まあなんというか我ながら呆れました。
『ブルータス』特集号は、あのSEX狂野郎にキャサリン・ジータ・ジョーンズさまがトップレス姿でおおいかぶさっている写真に憤慨して買ってしまった。あのセックス魔め! ◎◎ンポ◎野郎め! と悔しがりながらもパパラッチの記事を楽しんだ。
他に『ヒバクシャ・シネマ』(現代書館)が本棚にあるけれど、これは真面目な内容がたたって、いまだに読了していない。


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『ミステリマガシン』ベスト3・1998年 [拾遺]

『北米探偵小説論』注釈 映画を探して06
『ミステリマガシン』の毎年三月号に載るアンケート。1998年度。今は集計式なので、真面目に書いているけれど、この頃は映画本のことばかり。
① 『フリッカー、あるいは映画の魔』セオドア・ローザック 文藝春秋
② 『サム・ペキンパー』ガーナー・シモンズ 河出書房新社
③ 『アメリカン・ニューシネマの神話』遠山純生監修 ネコ・パブリッシング

デイヴィッド・J・スカル著『モンスター・ショー――怪奇映画の文化史』(国書刊行会)を並べたかったが、まだ読みきれていないので、番外としてもらう。

映画そのものばかりでなく、映画についての本もお寒くなっている。などと言っていられない。たとえ少なくても、映画へのロマンスをかきたててくれる本に出会えれば、よしとしようではないか。

昨年は何か、「フリッカー、フリッカー」といたるところで宣伝班をつとめてしまったかもしれない。年末のベスト・ワンにも、これ一つで間に合わせてしまった。我ながら芸のない仕儀でおそれいる。

③は、地味すぎる本のつくりで損をしているが、内容の濃さに感心した。写真など多くとりこんで立派な本にしたほうがバランスも良かったと惜しまれる。ニューシネマの時代が何であったのか、あらためて考えさせられた。

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『ミステリマガシン』ベスト3・1997年 [拾遺]

『北米探偵小説論』注釈 映画を探して05
『ミステリマガシン』の毎年三月号に載るアンケート。1997年度。今は集計式なので、真面目に書いているけれど、この頃は映画本のことばかり。
① 『メイキング・オブ・ブレードランナー』ポール・M・サモン ソニーマガジンズ
② 『イギリス人の犯罪』ジャン・ルノワール 青土社
③ 『脳髄震撼』サミュエル・フラー 筑摩書房

05b.jpg①はブレランの超オタク本だ。読んでいるとシアワセな気分になる。まず「本編は二年かそこらで完成したが、メイキング本を書くのにその数倍する歳月を要した」と著者が毒づいているのに感心した。この言い草は立派。おかげでまたヴィデオを観てしまったが、ディレクターズ・カットは気にくわない。

まったく別の話だが『ワイルドバンチ』のDVDソフトが発売されて、これに撮影時のメイキング・フィルムが三十分ブン入っている。本編と合わせて三時間になる。ホールデンもオーツもジョンソンもライアンもみんな去ってしまったのだ。これだけでもDVDディスクを買ってみる価値があるかと頭に血がのぼってしまった一九九七年だった。

②ルノワールの小説はやはりルノワールの映画みたいだ、などとくだらない感傷にひたりながら読んでしまった。

③上に同じ。ただし固有名詞はフラー。

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いやはや、こんなことをしていてはいけない。もっと勤勉にならなければ。

 


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ローレン・バコール 1924.9.16-2014.8.12 [拾遺]

ローレン・バコール 1924.9.16-2014.8.12

用があったら、口笛吹いて。

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ディランの新作映画『マスクト・アンド・アノニマス』 [拾遺]

『北米探偵小説論』注釈 映画を探して03(2004.01.01の日誌より)

このところ、『マイ・バック・ペイジズ』を、64年のボブ・ディランのオリジナル、ザ・バーズのポップ・アレンジ、92年のニール・ヤング/ジョージ・ハリスン/エリック・クラプトン/ロジャー・マッギン/トム・ペティ/ディランによるライヴ、真心ブラザーズの日本語版、その四種で、とっかえひっかえ聴いている。
かくて日々はめくられていく。
かくて今年も暮れ行く……。
Ah,but I was so much older then
I'm younger than that now.

ディランの新作映画『マスクト・アンド・アノニマス』は、ラテンアメリカのどこかにあるような後進独裁国で起こる寓話めいた話……らしい。ディラン演じる初老のロックシンガー、伝説のミュージシャンが長い牢獄生活から放たれ、チャリティコンサートの旅に出る。多民族が混交する第三世界のオン・ザ・ロード、彼を政治目的に利用せんとするさまざまな人物が入り乱れる……らしい。
二度も「らしい」を使ったのは、観る機会がめぐってきそうもないからだ。どうもこれはカルト・ムーヴィっぽさが強くて、日本では公開されないようだ。DVDもまだ出ていない。
話のアウトラインを聞くと、デニス・ホッパーが昔つくった問題作『ラストムービー』みたいな映画を連想してしまう。つまり有り難がるほど面白い作品ではないだろうということ。
ジェシカ・ラング、ペネロペ・クロス、ジェフ・ブリッジス、ジョン・グッドマン、ミッキー・ローク、アンジェラ・バセット、ヴァル・キルマーなど、客を呼べるキャスティングではあるんだが。

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https://atb66.blog.ss-blog.jp/2016-10-14

ディランの映画出演はやっぱり、ペキンパー・フィルム『ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯』の一場面に尽きるのだろうか。故ジェイムズ・コバーンの保安官とディラン(イリアスという役名)が対面する、あの酒場のシーン。――おまえは何者なんだ、と詰問する保安官。エイリアスはどぎまぎして答える。「そいつはいい質問だ」と。
ペキンパーについて書かれた本によると、このシーンはまったくシナリオなしのぶっつけ本番でテイクされたという。二人は地で「演じた」のだ。おまえは何者なんだと問われて、そいつはいい質問だと受けるディランのエイリアス。それは何にもましてディラノロジカルなリアクションだった。マスクト・アンド・アノニマスな――。
映画のほうは、まあ、あきらめることにしてCDアルバムを繰り返し聴く。サウンドトラック盤だということは忘れることにして。アルバムとしてだけ享受すると、ディランの曲を多様なアーティストが饗宴するという意味で、十年前の『ザ・ボブ・ディラン/ソングブック』――ジョニー・キャシュ『ウォンテッド・マン』が最高だ――にいくらか似ている。それから『30th アニヴァサリー・コンサート・セレブレイション』にも。違うのは、参加アーティスト(というより収録曲目か)が英語圏にかたまっていないところだ。
ただグレイトフル・デッドのところでは、どうしても黄昏のロードムーヴィといった色調の安手の映像美なんかを思い浮かべてしまう。
この後ろ向きは、前向きなのかね。
はて?


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深作欣二『博徒外人部隊』 [拾遺]

『北米探偵小説論』注釈 映画を探して02(2003.01.16の日誌より)

笠原和夫深作欣二が相次ぐようにして逝った。笠原脚本なら『博奕打ち・いのち札』、深作監督作品なら『博徒外人部隊』がベスト。最も愛惜にあたいする。
それで気がついた。『博徒外人部隊』はきわめて屈折した深作版『ワイルドバンチ』だったのではないかと。ラストの殴り込みが四人vs数百人というデスペレートな闘いであるところも帳尻が合っている。ウィリアム・ホールデンアーネスト・ボーグナインと兄弟役のベン・ジョンソンウォーレン・オーツ――鶴田浩二安藤昇に加えていつもは悪役定番の室田日出男小池朝雄(沖縄の現地やくざの兄弟役の若山富三郎今井健二は途中で退場してしまう)。メキシコに流れていったアウトロウと、日本復帰直前の沖縄にシマ荒らしに乗りこんでいった本土やくざという設定も近似だった。
死者の列。

http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2016-10-18

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『ハリウッド・バビロン』 [拾遺]

『北米探偵小説論』注釈 映画を探して01
ケネス・アンガー『ハリウッド・バビロン』クイック・フォックス社 1978.7
『ハリウッド・バビロンⅡ』リブロポート 1991.3
数あるスキャンダル本のなかでも、これだけの毒々しいオーラを放っているものは見当たらない。
『北米探偵小説論』増補決定版(インスクリプト) 406p 参照
著者の名前は、一時期のアングラ・シネマの作り手として記憶していたが、これが代表作(?)になるか。

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『ジプシーは空にきえる』the Gypsy are Found Near Heaven [拾遺]

『ジプシーは空にきえる』the Gypsy are Found Near Heaven (1976 ソ連映画 エミリー・ロチャヌー監督・脚本 マクシム・ゴーリキー原作 スヴェトラーナ・トマ主演)

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 昨日も書いたことだが、しつこく、もう一度。You Tube でのDLが出来なくなっている。DLボタンが消えた。8月末に試みた時には、オーケーだったが。
 コンテンツを見つけた時の選択肢は、いま観るか、後で観るかの、どちらかしかない。まいったね。「後で必ず観る」リストに加えておいても、忘れてしまいそうだし、後で観るモードにして、時間をこしらえても、コンテンツ自体が消えているおそれが多々ある。

 いろいろダウンロード・ソフトを試してみたが駄目。検索の途中で、同じことをやっている人の書きこみを見つけた。やはり、本格的に駄目らしい。
 「規制」はここまで及んできたか。
 フリーソフト探しは無為に終わった。不要のアプリは速攻で削除したんだが……。今朝、気づくと「日本語入力ソフト」がおかしい。あんのじょう Baidu IMF が勝手に、タスクバーに入りこんでいた。ほんとに、このソフトは悪質だ。おまけに、アンインストールが面倒きわまりない、ときている。

 というわけで、やっと You Tube から『ジプシーは空にきえる』を観た。30年ぶり。
 画質は粗いし、字幕も音声と少しズレた箇所があったが、我慢。あとは画像で。英語字幕が真ん中下部に入っているのが You Tube 経由のもの。画質の頼りなさがわかるでしょう。
 なお、コンテンツ・ページの下部には、iTunes Store と Google Play をとおした「モスフィルム」の商品カタログへのリンクが並んでいる。まあ、つまり、 You Tube にアップされた動画は、ちょっと質をセーヴした「見本品」というわけだ。こちらは、間違えて、シェアして、広告塔になってしまった。


フェイスブック2014.11.02より

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ミシェル・ピッコリ 1925-2020 [拾遺]

ミシェル・ピッコリ 1925-2020
『いぬ』19632050b.jpg


『軽蔑』19632050c.jpg2050d.jpg


『獲物の分け前』19662050e.jpg


『昼顔』19672050f.jpg


『La décade prodigieuse

十日間の不思議』19712050a.jpg


『美しき諍い女』19912050g.jpg

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大林宣彦(1938-2020) [拾遺]

大林宣彦(1938-2020)
『いつか見たドラキュラ』(1967)と『北京的西瓜』(1989)と。

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カーク・ダグラス [拾遺]

カーク・ダグラス(1916-2020) 
『アレンジメント/愛の旋律』1969
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『星のない男』1955     『バイキング』1957
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『脱獄』1962   『炎の人ゴッホ』1956
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宍戸錠(1933-2020) [拾遺]

宍戸錠(1933-2020)

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Paul Benjamin (1938–2019) [拾遺]

 Paul Benjamin  (1938–2019)
 先日『Leadbelly』を観たら、伝説のブルース・シンガーの親父役でポール・ベンジャミンが出ていた。
 『110番街交差点』で忘れられない脇役。警官に偽装して、ブラック・マフィアのカジノを襲撃し、自滅していくチンピラ。
 調べたところ、すでに故人だった。
 写真のもう一点は、パム・グリア『女記者フライデー』から。
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梅宮辰夫(1938-2019) [拾遺]

梅宮辰夫(1938-2019)
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マリー・ラフォレ [拾遺]

マリー・ラフォレ Marie Laforêt 1939年10月5日 - 2019年11月2日

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ピーター・フォンダ(1940-2019) [拾遺]

ピーター・フォンダ(1940-2019)
『白昼の幻想』1967900pf1.jpg
『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』1974900pf2.jpg

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ルトガー・ハウアー(1944-2019) [拾遺]

ルトガー・ハウアー(1944-2019)
 この一本というと、やはり『ブレードランナー』のキャラクターからのスピンオフ『ヒッチャー』(1985)だな。

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京マチ子(1924-2019) [拾遺]

京マチ子(1924-2019)
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『羅生門』1950900bf.JPG


『雨月物語』1953900bg.jpg


『地獄門』1953900bh.jpg


『八月十五夜の茶屋』1956900bj.jpg

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