30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。

 1984年10月16日火曜 雨
 ライナー・ファスビンダー『不安と魂』



 青山 ドイツ文化会館ホール
 ドイツ映画大回顧展 プログラム⑰
 ファスビンダー作品では、この『不安と魂』がいちばん好きだ。
 一歩まちがえばグロテスクな寓話になってしまうようなメロドラマ。
 黒い笑いの悪趣味に堕ちるところから救っているのは、作者の「愛の飢餓感」だ。



 17日『少しの愛だけでも』
 21日『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』
    『カミカゼ1989』
    『エフィ・ブリースト』

 『カミカゼ1989』は、マーロン・ブランド状態に肥満したファスビンダーがなんとアクション・シーンまで主役で演じてみせる活劇。

 

 清掃労働者の中年女とモロッコ人出稼ぎ青年の行きずりの恋を描いた『不安と魂』。
 規範から外れたカップルが西ドイツ市民社会からこうむる受難の数かず。
 それを突き放して凝視する冷たい視線から逆に、作者自身の自己憐憫が静かに洩れ出てくるのだった。
 この魂の赤裸の不安――これこそがファスビンダー映画のエッセンスだ。

 初老の婦人が、雨やどりのために、アラプ人相手の酒場に入ってくる。
 およそ場違いな迷い人のような存在。客たちと店の女の冷たい侮蔑のまなざしが彼女を迎える。
 カメラはその視線そのままのつかみかかるような残酷さで、彼女を場面にとらえる。
 多少、分析家に思えなくもないまなざしが、観客のものとなって、彼女を引きはぐ。
 一人の青年が彼女をダンスに誘う。陰惨なユーモアさえ感じさせる導入部である。

 ところが予想外の展開になる。語らいがあり、孤独で不安な魂の牽引があり、控え目な好意が芽生え、やがて愛が現実のものとなる。
 この種のドラマの常套が踏まれるわけだが、しかし、これは、息子や娘たちからも相手にされずほぼ孤老に近いような生活をおくる中年女(清掃労働者)と、数十歳年下の外国人青年(モロッコ人り出稼ぎ労働者〉との「愛の物語」なのである。
 愛を得た老嬢は童女のようにはしゃぎ、孤独な青年の内面はいっときの安らぎを持つ。
 当然ながら、彼らの愛は、西ドイツ市民社会の道徳からは認知されない。
 どこへ行こうが冷酷な差別の壁が二人を立往生させる。
 映画のまなざしは、冷徹そのものに彼らを場面に宙吊りにする。観ていて落ち着かなくなるような残酷さだ。



 ファスビンダーは、ニュージャーマン・シネマの必臓部と呼ばれた猛烈な多作ぶりで、三六歳で死ぬまで、四十数本の作品を残した。
 ローザ・ルクセンプルクについてのノートをつけているそのままの姿勢で鉛筆を持ったままひっそりと死んでいた。
 死因は大量のコカインであると、後で発表された。
 過剰が彼を規定していた。愛の過剰、愛の不能といってもいいほどの過剰すぎる過剰が、彼のただ一つの歌だった。



 最後の作品であり、被害妄想に追われる麻薬中毒者の死をあつかった『ベロニカ・フォスのあこがれ』は、そのグロテスクな遺書だった。


 『少しの愛だけでも……』では、両親の冷酷さに自我を傷つけられて成長した青年の崩壊。

 『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』では、一人前のデザイナーに育ててやった弟子への愛に溺れてゆくレズピアンの三十女の孤絶。


 『自由の代償』では、ブルジョア青年に宝くじで当った金をみついで捨てられるホモ・セクシュアル(若きファスピンダーの自演)青年の野垂れ死に。

 『シナのルーレット』では、両親たちの姦通の輪舞のめまぐるしさを平静にみすえる少女の透明な憎悪。

 ただ一つの愛は、このように、ひたすら飽くなき貪欲さで歌われ続けた。
 それが最も哀切な響きを持ってくるのは、オムニバス映画『秋のドイツ』の、彼のパートにおいてである。
 彼は、そこで、同性の愛人とのゆきづまった日常、物議をかもした自ら麻薬をうつシーン、母親のとなえるファシズム待望論に論破される屈折、などを自己暴露してみせて、「西ドイツ非過激派通信」を発信した。


 少しの愛だけでも。

 このとんでもない映画野郎に。