映画とは別の仕方で、あるいは映画を観ることの彼方に  ドゥシャン・マカヴェイエフ論3


 こうした意味で、セルビアに生をうけたマカヴェイエフがユーゴスラヴィアを代表する映像作家とは、いいがたいだろう。といって故国を喪った作家として扱うのも正確ではないような気がする。
 むしろ祖国を追われた男にとって、そんな現況はいちいち知ったことではない、ということではなかろうか。少なくともこうした激動の苦しみを主要にメッセージする役を受けもつには、かれは適任とはいえないようだ。
 正直いって、かれがどこに属するのか、いい当てるのは不可能だ。ヨーロッパの作家には、時々、そういう化け物みたいなのが出現してくる例がある。しかしマカヴェイエフ映画の狂騒を、今日のバルカンの混迷とは無関係なものとしてしりぞけることは、およそ場違いな観賞なのではなかろうか。

 一九九一年、マカヴェイエフ全作品シネマテークが敢行された。東京・渋谷。四月から九月まで、レイトショウの形で上映された。
 それへのあいさつ『暗闇の中の観客――映画の子供たちへ……』で、かれはいっている。
 《真っ暗な劇場の中で、観客であるわたしたちはスクリーン上に映し出されるもの以外に対し、じつは盲目状態にあります。けれどあえていわせてもらえるなら、そこでわたしたちが視覚的に見るものはさして重要ではなく、映画体験とは観客のもつ盲目的かつ潜在的な感覚に呼びかけるもので、わたしたちは映画を通じて美の背後に息をひそめる犯罪的なもの、あるいは恐怖の向こうに介在する美的なものを見るのです。更に明白なものがもつ虚構性、権力の脆さ、逆に不条理なもの、偶発的なものに備わる優れた何か、を映画を通じて垣間見ることもできる。かつて映画とは一秒間に二四コマを映す、単なる影にすぎないといわれてきました。
 しかしこれは事実ではなく、一秒間に二四回、フレームが次から次へと移動する間、わたしたち観客は完全な暗闇の中に存在し――じっさいに映画を見ている時間のうち、約半分はこの状態だ――、そしてこの完全な暗闇の中に映画は進行していく。単なる影といわれているものの、それはいったん作り上げられると不滅なものとなり、力強いものへと変貌する。なぜならその影が生命力を表現し、なおかつそれをわれわれの前に提示するからで、けれどもまた逆にその生命自身、野を舞う蝶のようにはかないものであり何人たりともこれを保持し続けることはできない……》


 たぶんこの文章が衝撃的であるのは、映画を観るという行為がいかにあてにならない気ままな選択であるかの一点に、つくり手が注目をうながしていることだろう。
 あなたはソレを観るのであって、また観るのでないのだ。作家の言葉付きの難解さはその両義性の一点にかかっている。
 あなたは映画館に坐り、ソレを観ることもできるし、また観ないこともできる、と。映画の半分は闇なのだから、と他ならぬつくり手がいっているのだ。
 そしてこれは観るという行為の本質に関わっている。だから観ることを繰り返しても問題は同じことだ。ヴィデオで観て、早回し・巻戻し・コマ落しと、映像を分解しながら観る作業を通しても全く本質は変わらない。
 やはり、あなたは観るのであって、また観るのでないのだ。なぜなら、たんに不注意で或るショットの重要性を見逃してしまったとか、そういうことを作家は対象化していっているのではないからだ。
 マカヴェイエフが語っていることは、映画の闇の向こうにあるものについて、映画を観ることの彼方に観客がみつけるべきものについて、なのだ。つまりこれは、自分の映画が「映画とは別の仕方で」つくられたものであるから、別の仕方で観られるべきものだ、と不遜に語っているつくり手の言葉なのだ。
 これは映画でありそして映画ではない、というわけだ。
 ところで作家の自己宣伝を、とくに映画作家という途方もなく誇大妄想なタイプの自己PRをそのまま、真に受けることもあるまい、といわれればそれはその通りだろう。だがこれは他ならぬあの『スウィート・ムービー』の作家の言葉なのだ。わたしにはそれで充分なのだ。



 映画を観ることの彼方にあり、映画を語ることの彼方に真にその映画に対決すべき言葉がみつけられる、そうした映画が数少なくわたしの生の途上にはあるはずだ。それに出会うことは、べつだん困難なことではない。それが『スウィート・ムービー』の衝撃だった。かれの言葉ならば、何はともあれ信じるに足ると想われた。
 フィルモグラフィを示す。

(短編ドキュメンタリー)
 1953年 ヤタガン・マラ
 1955年 シール
 1957年 アントニイエフの壊れた鏡
 1958年 記念碑を信仰するな
     蜂飼いのスクラップブック
     呪われた休日
     色は夢見る
 1959年 労働評議会とは何か?
 1961年 お芋が一つ、お芋が二つ
     教育的童話
     スマイル61
 1962年 パレード
     フェンスの下で
     ミスー・ユーゴ62
     ABCについての映画
 1964年 新種のおもちゃ
     新種の家畜

(長編)
 1965年 人間は鳥ではない
 1967年 愛の調書、又は電話交換手失踪事件
 1968年 保護なき純潔
 1971年 WR オルガニズムの神秘
 1974年 スウィート・ムービー
 1981年 モンテネグロ
 1985年 コカコーラ・キッド
 1988年 マニフェスト
 1993年 ゴリラは真昼、入浴す
 1994年 A Hole in the Soul (ドキュメンタリ)

つづく