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『ノー・グッド・シングス』原作および原作者について  [afterAtBL]

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 この映画の原作は「ターク通りの家」。ハードボイルド派の伝説的雑誌「ブラック・マスク」(1924.4.15号 9-22P)が初出。コンチネンタル探偵社の調査員(オプ)を主人公とした、短編三十六編と長編二作(『赤い収穫』『デイン家の呪い』)のシリーズの第十作。彼は「名無し」と称され、中背で小太りのさえない男だ。


 八十年ぶりの映画化であるこの作品、かなり大胆な翻案がなされていることはいうまでもない。その一は、なんといっても主人公が黒人で失踪課の刑事に変えられている点。孤独でインシュリン注射の必要な糖尿病患者、チェロを弾く。演じるのは、サミュエル・L・ジャクソン。ハメットのファンは意外さにびっくりする。まず、ここから片づけよう。彼は今回はどんなキャラクターを演じるのか。タランティーノ映画の間抜けな小悪党か、『187』のキレた高校教師か、『フレッシュ』の無力な父親か、リメイク版『シャフト』のタフな刑事か、『アンブレイカブル』の哀しき超能力者か……。おお、サミュエル、なぜサミュエルなのか。


 答えはあんがい簡単に出る。名前だ。原作者とのファースト・ネームの一致。それだ。サミュエル・ダシール・ハメットは一八九四年、メリーランド州に生まれた。ただし、少年時はサム、サミュエルと呼ばれることもあったハメットだが、彼の主人公が名前を持たないことにも似て、その呼び名を嫌った。作家になってから使ったミドル・ネームのダシール(ダッシェル)は、フランスの血を引く母方の姓ドゥ・シールから取った。
 ハメットはピンカートン探偵社の調査員(オペラティヴ)として働き、その体験をコアにして、まったく新しいタイプの探偵小説を書き始める。ハードボイルド派の勃興である。作家活動は比較的短かったが、後年、非米活動委員会の聴問を受けたとき自己の信条を貫き通すことによって投獄された。見事な生き様を示したといっていいだろう。


 ハメットが興した型とは、どういうものか。原作「ターク通りの家」を見てみよう。書き出しの数行は以下のとおり。
 《わたしの捜していた男がターク通りのどこかに住んでいるとは聞いていたが、情報屋はそいつの番地までは教えてくれなかった。仕方なくわたしは、雨の午後、通りのだいたいのあたりを、ベルを鳴らしては、こんな作り話を用意して訪ねてまわることにした》
 収穫はなし。返事は「ノー」「ノー」「ノー」。通りの向こう側に移って同じことをくりかえす。またもや「ノー」、二番目も「ノー」、三番目、四番目、そして五番目の「ノー」になるはずの家で、「わたし」は思いもよらないトラブルの只中に叩きこまれる。
 映画の冒頭のシチュエーションは、主人公の性格づけは別として、原作をほぼ踏襲していることがわかる。

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 人捜しをしていた主人公がそれを入口にして災厄に突き当たる。――一つのストーリーから別のストーリー・ラインが現われてくる、という進行は、今日ではハードボイルドのおなじみの定型だ。必須の技法といってもよいくらい親しまれている。ハメットがいかにして創始者になったのかは、この作品からも明瞭だろう。家の中に入り、親切そうな老夫婦と話しているとき「わたし」はホールドアップを受ける。その家は銀行ギャングの待機場所で、「わたし」は知らずに踏みこんでしまったのだ。
 この世界は自分がそう思いこんでいるような確固とした地盤で支えられているのではない。――ハメットは数年間におよぶ調査員の体験(さらにつけ加えれば、第一次大戦への従軍)をとおして、現実を額面通りに信じることができないと学んだ。小説は彼にとって、違和感を刻みつける手段にほかならなかった。

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 「ターク通りの家」の書き出し数行は、作者の現実不信の、いくつかのレベルを表わしている。一、「わたし」は自分の捜している男が住んでいる家を正確に知らない。二、正確を期するために「わたし」は身体を張る必要に迫られた。三、そのために「わたし」はもっともらしい口実になる虚偽の話をつくった。そのあとに、探偵がのっぴきならない窮地に陥るという本線の状況につながっていく。「わたし」は最初から不確かな現実に身をおいていて、それを確実なものに変えようとしたところで、さらに不条理な状況を引き寄せてしまうのだ。いきなりホールドアップされ捕らわれの身となり、自分が助かるためにはギャングたちを仲間割れさせるしかない、という状況に。
 これがハメットの書いた原型的な物語だ。
 最後にサミュエルの相方について一言しておかねばなるまい。ラストのミラ・ジョボヴィッチの後ろ姿にはやるせない余韻が残るけれど、原作の結末はもっとハードなものだ。そして「ターク通りの家」には「銀色の目の女」という続編があって、オプは取り逃がした女とふたたび因縁の対決をすることになる。これは名作『マルタの鷹』にも生かされた。
 ……とすれば、映画もまた、同じ配役での続編を期待できるのではなかろうか。

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 邦訳は『コンチネンタル・オプの事件簿』(ハヤカワ・ミステリ文庫)がある。

『ノー・グッド・シングス』劇場公開パンフレット
東宝出版 ギャガ・コミュニケーション
2003.3


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