ルイス・マイルストン『戦艦バウンティ』 [日付のない映画日誌1960s]
DVDになっているのは、は戦前の作品。
バウンティ号の叛乱事件は、三度映画化されているが、デジタル化(日本語版)は一本きり。
不思議なことだ。
マーロン・ブランドよりも、リチャード・ハリス。
『ダンディー少佐』と、この作品のハリスは、最高だった。
ニコラス・レイ『北京の55日』 [日付のない映画日誌1960s]
ハリウッド史劇がオリエンタリズムに向かった数少ない作品。
失敗例でもある。
ミッチ・ミラーのテーマ曲も、何かモタモタと勇ましくないし。
伊丹一三(当時の名前)のカッコよさしか印象に残っていない。
ずっと後になって、ニコラス・レイの本『私は邪魔された』を読むまで、この映画のことも思い出さなかった。
レイのキャリアは事実上、この作品で終わっていたのだった。
オットー・プレミンジャー『黄金の腕』 [日付のない映画日誌1960s]
原作は ネルソン・オルグレン。
エルマー・バーンスタインの音楽。
ソウル・バスのタイトル・デザイン。
麻薬中毒の禁断症状を演ずるフランク・シナトラ。
50円均一の京劇名画座で観た。
とはいえ、作品よりも忘れられないのは、子供狙いの痴漢被害にあったこと。
局所をいじくられ、座席から逃げだした。
人生、最初にして最後の体験。
思い出は甘美だというのは綺麗ごとにすぎない、という真理に向き合わされた、早い段階での覚醒であった。
ロバート・ワイズ 『傷だらけの栄光』 [日付のない映画日誌1960s]
ロバート・ワイズ 『傷だらけの栄光』 1962年
これもリバイバル。
50年代からそれ以前にさかのぼる作品が、60年代前期の私的なクロニクルに、ごっちゃに並んでいる。
当時の洋画は、ロードショー公開の後、一年以内くらいに、二番館、三番館に降りてくる。
たいてい二本立で料金も安くなるから、それを狙う手もあったが、京都では、その環境はあまりなかった。
大阪で公開された「お下がり」が、月遅れで公開されるといったケースも少なくなかった。
ロードショー、二次ロードショーが済むと、時期は一定していないが、数ヶ月の後に名画座公開となる。
このサイクルを終えると、観る機会を逸する、というのが一般的なケースだった。
もちろん、ビデオテープやDVDなどのソフトは存在していない。
映画は、一期一会の「神聖」な娯楽だった。
リバイバル・ロードショーの有り難みはそこにあった。
情報誌が現われるのは、70年代になってから。
名画座で何を上映しているかは、行って確かめるほうが確実だった。
名画座とは、なんとなく足が向いて、番組をみてから観るかどうか決める場所だったようだ。
上映途中からでも、出入りは、自由だった。
アンリ・ジョルジュ・クルーゾー 『恐怖の報酬』 [日付のない映画日誌1960s]
1962年 これもリバイバル公開。
ウィリアム・フリードキンとロイ・シャイダーのリメイク版もあるが、やはりオリジナルの記憶が鮮烈すぎて……。
ほとんど無駄のないサスペンスの積み重ね。
その呼吸は、何度でも観て体得する価値がある。
じつのところ、舞台となるベネズエラについて、『カサブランカ』のモロッコとか『望郷 ペペ・ル・モコ』のカスバなどとごっちゃにしか理解していなかったくらい無知だったのだが。
まあ、そんなことは関係なく、不滅の古典作品であったということか。
戦争戦争戦争 [日付のない映画日誌1960s]
ケン・アナキン アンドリュー・マートン ベルンハルト・ヴィッキー『史上最大の作戦』
ロジャー・コーマン 『侵略戦線』
史劇と並んで盛況だったのは、戦争映画。
どれも、アメリカ史観にのっとった第二次大戦もの。
超大作であれ、低予算の二流スター作品であれ。
正義が疑われることはなかったのだ。
そういえば、雑誌の『戦争映画特集号』というのもあった。
ジョン・フランケンハイマー 『大列車作戦』
ハワード・ホークス 『ハタリ!』 [日付のない映画日誌1960s]
ホークス一家とジョン・ウェインのチームによる西部劇アフリカ狩猟版。
今回のファミリーには、イタリア、ドイツ、フランスからの参入があって「国際色」豊か。
変型西部劇としての「未開大陸」ハンティング映画の傑作だ。
ジョン・ヒューストンの悪名高き『アフリカの女王』とどうしても比較したくなるのだが、こちらのほうがずっと作品を撮ることの職人に徹している。
作家としてのキャパシティの大きさとは自ずと別の話だけれど。
脚本はホークス一家のリー・ブラケット。
ブラケットの写真はこのパンフレット以外ではたぶん見たことがない。間違いなく女性である。
ブラケットによるハードボイルド小説は、後に一冊、翻訳された。
シナリオに関する面白い話は、ホークス関連の書物にいろいろあった。
ウィリアム・ワイラー 『ウエスト・サイド物語』 [日付のない映画日誌1960s]
ウィリアム・ワイラー 『ウエスト・サイド物語』 1962年
当時は、『映画の友』『スクリーン』とファン雑誌があって、毎号かならず読んでいた。
話題作に関する記事は満載だったから、この映画もそうだったが、観どころ勘どころの書かれた文章はもう暗記してしまって、観るのはそれを確かめるためといったような鑑賞法になりつつあった。
おまけにこの映画の場合、ミュージカルなので、主要な曲は観る前から耳に親しく入っていたわけだ。
サウンドトラック盤のLPまでは買わなかったが、何かそれに近いものを持っていたように憶えている。
そのあたり、まことに記憶がおぼろでしかないけれど、何曲かピックアップした17センチソノシートの付録つきの雑誌(いまでいうムック)ではなかったかと思う。
ソノシートというのは、赤色の透明なレコードをペラペラに薄くしたもので、片面だけに溝がつけられてあった。
現物は残っていないので、記憶は他のものとごっちゃになっているかもしれない。
映画のさまざまな細部に関してはもちろんのこと、ソウル・バスのタイトル・デザインに注目したとか、少年愚連隊の一方の副長タッカー・スミスが気に入ったとか、通ぶった感想もそろそろ芽生えはじめてきたようだ。
個々の場面や台詞などが自分のなかで驚くほど鮮明に残っている作品。
大きな影響をこうむったということではないが、こんなふうに自意識の底に沈んでいるような「名作」をこの時期に数多く体験しているということだろう。
ジョン・フォード 『怒りの葡萄』 [日付のない映画日誌1960s]
ジョン・フォード作品は、西部劇以外の作品も、リバイバルをふくめ、数多く公開された。
以下のうち、新作は『ドノバン珊瑚礁』のみ。
ジョン・フォード『静かなる男』
ジョン・フォード 『怒りの葡萄』
ヘンリー・フォンダのトム・ジョードが、ジェーン・ダウエルのマ・ジョードとダンスするシーン。
息子がかん高い声で歌う「レッド・リヴァー・ヴァレー」。
ジャック・ベッケル 『穴』 [日付のない映画日誌1960s]
原作はジョゼ・ジョヴァンニのデビュー小説。
翻訳はあとにHPBで出た。
実話を元にしたもので、映画もまたドキュメンタリ・タッチ。
静寂の緊迫感が、子供には辛かった。
だが脱獄ものは数あれど、いまだにこれがサイコーといいたい。
アンソニー・マン『ローマ帝国の滅亡』 [日付のない映画日誌1960s]
アンソニー・マン 『エル・シド』 [日付のない映画日誌1960s]
これも70ミリ・スーパーテクニラマ
史劇といっても、時代は中世。
史劇はギリシャ・ローマ時代のイメージが強かったけれど、これは、イスラム教徒vsヨーロッパという図式だ。
どっちにしろ、予備知識など何も持っていないのだから、つまり時代背景はなんだって良かったということ。
なぜかラストシーンはあざやかに憶えている。
死して馬上の人となって幾万の敵軍を畏怖させる
――この英雄伝説のパターンは『三国志』などにもあるごとくお馴染みのものだ。
おかげでチャールトン・ヘストンは俳優というより歴史上の偉人のイメージでしか観られないようになった。
『エル・シド』は彼のベスト。
ご本人もこのラストシーンともども消え去ってくれていれば伝説がもうひとつできあがったんだが。
マイケル・ムーアのドキュメント・フィルムに出てくる80歳のライフル・ゴリラがヘストンの「晩年」なのだった。
キング・ヴィダー 『ソロモンとシバの女王』 [日付のない映画日誌1960s]
キング・ヴィダー 『ソロモンとシバの女王』
1962年
1959年公開のリバイバルだったと思う。
これも70ミリ大型史劇。
巨大な機械力と革命的な映画技術を駆使して、想像に絶する壮大なスケールの大撮影を敢行し、大画面いっぱいに、驚くべく大激戦スペクタクルと、偉大な王と絶世の美女の官能の恋を描き出して見せる……
なる解説文句にも、映画黄金期からの翳りが色濃くにじんでいる。
テレビに奪われた観客を取りもどすための戦略のひとつが、絶対の大型化だったわけだ。
この作品の場合、大型過ぎて他がユルかった。
あるいは、主演のユル・ブリンナーが看板のスキンヘッドではなく、普通の毛生え頭で出てきたせいか。
『十戒』そして『バラバ』 [日付のない映画日誌1960s]
セシル・B・デミル 『十戒』
1962年 これは数年前公開のリバイバル。
あらためて思い出すと、これほど露骨にアメリカの中東政策を反映したプロパガンダ映画は他に見当たらないのだが、当時そこまでの鑑賞力があったはずもなく。
歴史スペクタクルにおけるアメリカ優位を五感のすみずみにまですりこまれていく歳月であった。
リチャード・フライシャー『バラバ』
1962年
史劇ブームの勢いで。
時には、変わり種と遭遇する機会もあった。
イエスの身代わりに放免された男の物語。アンソニー・クインならではの役というべきか。
パンフに南街劇場とあるのは、大阪の一番館からパンフもお下がりになってきたんだろう。
リチャード・ウイドマーク『秘密諜報機関』 [日付のない映画日誌1960s]
フィル・カールソン 『秘密諜報機関』
1961年
ハリウッド・スターのなかでファンだったのは、リチャード・ウイドマークだった。
観た理由はそれしかない。
これもアリステア・マクリーン原作だが、地味すぎで『ナバロンの要塞』のような華はなく、あまり印象に残るところがない。
パンフレットを見返しても、蘇えってくるものはほとんどなし。
パンフレットは大阪映画実業社発行。表紙のみカラーで、中味はすべてモノクロ。それもわずか12ページ。
時代色が濃密に刻まれてるな。
J ・リー・トムプソン 『ナバロンの要塞』 [日付のない映画日誌1960s]
1961年
パンフレットといっても、カラー印刷は表紙のみ。中味はモノクロで粗末なものが主流だった。
この映画も含めてだが、先に観た兄がいろいろと観どころ勘どころを教えてくれる一時期があった。
最初の映画教師は兄だったということになる。
話題にのぼった名場面のかずかずは、だから、二度も三度も観たような記憶になって残っている。
映画館がどこだったかは憶えていない。
先日ふれたところ、『奇跡の人』を観たのは京極東宝だった。
資料をひっくり返して、60-70年代の京都映画館地図でも再現してみようかと思ったりもする。
70年頃ですら、わりと目まぐるしく様変わりしていた。
いま時のシネコン風に小さなスクリーンを並べていた高島屋の裏手の小屋は、あれは、何といった映画館だったのだろうか。
オットー・プレミンジャー『栄光への脱出』 [日付のない映画日誌1960s]
封切りで観たはずだが。 あまり記憶に残らず。
というより、残したくなかったのか。
イスラエル建国神話の「栄光」をハリウッドが総力をあげて喧伝したイデオロギー映画。
などと、批判的に観るような鑑賞力の身についていない子供だった。
テーマ曲の多士済済ぶりにもコロリとまいった。
耳からもまた、きっちり「洗脳」されてしまった。
なかでも、パット・ブーンが浪浪と唄いあげた「アレ」が、まだ頭のスミにこびりついていて……。
「この国はオレのもの」
と、ウディ・ガスリーの「This Land is My Land」のヴァリエーションが他国の他領土に適用された、初期の用例ではないかね。
地球上どこの国だってオレサマ達の領土。「自由とデモクラシー」を宣教するためなら、何だってヤルぜ、と。
ちなみに、この映画のシナリオは、反体制派ハリウッド・テンの一人ダルトン・トランボだ!
『スパルタカス』とともに、彼の復帰後の仕事だ。
スタンリー・キューブリック 『スパルタカス』 [日付のない映画日誌1960s]
スタンリー・キューブリック 『スパルタカス』
1961年
以下の日付けは必ずしも正確にあらず。
だいたいの年号であって、月日までは再現できない。
封切り日から逆算したものの、京都の場合、ロードショー公開が東京大阪よりも遅れるし、その遅れ方もまちまちなので、見当はかなり大まかだ。
ハリウッド史劇路線は当然のことながら、当時のアメリカ政治のポジであったりネガであったりするが、 奴隷叛乱をあつかった『スパルタカス』は、例外的に左翼ポピュリズム史観を発信していた。
もちろんそうした理屈がいちいち頭にはいったはずもなく、まだ「カブリック」と表記されていたキュブさまのお手並みのほども、超大作のなかに監督の個性を見分ける眼力がそなわっていたわけもなく、ただ3時間半を愉しんだだけ。
ウィリアム・ワイラー 『ベン・ハー』 [日付のない映画日誌1960s]
60年代映画の記憶はほとんど映画パンフレットのなかに収められている。
チッケトをためるようになったのは、東京にもどってからの80年代以降。
昔はもっぱらパンフレットを買っていた。
観たのは半数がた西部劇だ。これから並べていくのは、それ以外のもの。
時期は60年代の前半、中学・高校時代に集中している。
そのあとは資料を残しておく習慣が途切れた。
記憶には濃淡がはなはだしく、何をいつどこで観たかもあらかた復元できない。
よけいにこの時期が黄金時代に感じられたりするけれど、じっさいにはどうなのだろうか。
映画は大型化するいっぽうの時代だった。
横拡がりにパノラマ化するわけだ。
シネマスコープから70ミリへと、ハリウッド映画は巨額の物量を投じる歴史劇大作路線が主流となる。
上映時間も三時間をこえるので、途中かならず休憩がはいる。
この路線が十年ほどつづいたのか。
『ベン・ハー』を観たのは、新京極六角の松竹座だったと思う。
母親と兄とがいっしょだったはずだ。
一家の記憶はそれから急速に色褪せていくが、映画館の記憶も同じだ。
松竹座だったのかどうか自信はない。
裏寺町と新京極のあいだに大型館があって、今その名前をどうしても思い出せないのだけれど、あるいは、『ベン・ハー』はそこで観ているのかもしれない。
こうしたことばかり重なり合っているのだ。
ピエトロ・ジェルミ『刑事』 [日付のない映画日誌1960s]
ピエトロ・ジェルミ『刑事』 1960
流行っていたテーマ曲に惹かれて、独りで観に行った。
セリフが多くて、字幕を読みきれず、ストーリーについていけなかったお粗末。
「あっという間に」ラストシーンになってしまった。
捕まった恋人を追って走るC・C。移動するカメラに正面からとらえられるその全身が、次第に遠ざかっていく。
そこに「アモーレ、アモーレ、アモレ・ミーオ」の歌が重なり、エンドマークとなった。
アーサー・ペン『奇跡の人』 [日付のない映画日誌1960s]
ジャン・ポール・ベルモンド『墓場なき野郎ども』 [日付のない映画日誌1960s]
1960年
原作者ジョゼ・ジョヴァンニの名も知らず、ジャン・ポール・ベルモンドもこれがデビュー作と勘違いしていた。
予備知識があったのは、主演のリノ・ヴァンチュラだけだったか。
原作の翻訳は十年後。
ベルモンドの登場シーンには目を見張ったものだ。こんなにもかっこいい役者がいるのかと素朴に感動してしまった。ゴダール映画よりも数等まさる。
河原町蛸薬師の角に文映という薄汚い小屋があって、文化映画劇場の略かなにかよく憶えていないが、そこに祖母に連れられて行った。京都に移って間もないころだった。
この小屋はわりと早く廃業して、キャバレーに変わった。
この映画とつながった思い出のみが不思議と残っている。
とっくに消えた作品になっていると思っていたら、『墓に唾をかけろ』とセットでDVD化されていたのである。
ボリス・ヴィアン原作、クリスチャン・マルカン主演の『墓に唾をかけろ』だ。
原作はアメリカ黒人抗議小説のパロディのようなものだったことを記憶しているが、映画のほうは成人指定にはばまれて観そこねてしまったのだ。
ジャック・ニコルソン『黄昏のチャイナ・タウン』 [映画VIDEO日誌1991]
1991年12月29日日曜
まがりなりにも、『チャイナ・タウン2』なのだ。
あの名作の続編なのだ。
なんでこんな妙な映画ができあがったのか、なんでニコルソンの監督なのか。
ロバート・エヴァンスの『くたばれ、ハリウッド』を読むまで知らなかった。
『チャイナ・タウン』はニコルソンでもフェイ・ダナウェイでもなく、くそおやじを演じたジョン・ヒューストンの映画なのだったということ。
だがヒューストンは自伝のなかでこの作品のことをごく少なくしか語っていない。
ジョージ ・A ・ロメロ 『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』 [映画VIDEO日誌1991]
ジョージ ・A ・ロメロ
『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』
1991年8月25日日曜
9月10日火曜
二回観たのは、VHSに二種のヴァリアントがあったから。
オリジナル版と着色版と。
元は、低予算フィルムのモノクロ。
やはり加工したのは不自然であった。
ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』と俺様の『イージーライダー』はあの時代の伝説なのさ。
――とは、 『ランド・オブ・ザ・デッド』に出演したデニス・ホッパーの科白。
トム・サヴィーニ『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド 死霊創世記』
1991年10月7日月曜 六本木 試写
サヴィーニ版のリメイクについては、すでに『エイリアン・ネイションの子供たち』の 99p-105p に激しく書いてしまった。 とくにつけ加えることなし。
このあたりは整理しないと困るな。
マカヴェイエフ全作品上映 [映画VIDEO日誌1991]
マカヴェイエフ・コレクション 全作品上映at 渋谷シネセゾン
『マニフェスト』 1991.6.26
『コカコーラ・キッド』 7.26金曜
『保護なき純潔』 8.17土曜
『愛の調書 又は電話交換手失踪事件』 9.10火曜
『人間は鳥ではない』 9.24火曜
クラウス・キンスキー『バンパイア・イン・ベニス』 [映画VIDEO日誌1991]
『ラストショー2』と『ターミネーター2』 [映画VIDEO日誌1991]
ピーター・ボグダノヴィッチ『ラストショー2』
1991年8月17日土曜
20年ぶりの続編だった。
すでにもう、なんというか、いたましいといっても恥ずかしいといって淋しいといっても外れるけれど、それらすべてのごっちゃになった感情が他にいいようのない息苦しさで迫ってきて……。
これがボグダノヴィッチの正味の姿だったかと、悲しくも哀しくてやがて悲しきラスト・ピクチャー・ショーの一夜だった。
ジェームス・キャメロン『ターミネーター2』
1991年8月29日木曜
いろいろ回顧してみると、やはりT2こそ頂点だったという感が強い。
T2を映画館で観て、それからT1をVIDEOで観なおす。
といった体験が普通になってきたのが、ちょうどこの頃。