かくて1982年は終わりぬ [日付のある映画日誌1982]
1982年12月25日土曜 晴れ
溝口健二『祇園の姉妹』『浪華悲歌』
新宿
1936年作品のニュープリント。溝口映画は、『雨月物語』と、六歳くらいで観た記憶がかすかに残っている『新平家物語』を再観したかったのだが、こちらで代用。
その後、同時代批評の忘年会へ。
本年度は前年に続いてまたまた本数がダウンした。おそらく50本を割ってしまったみたいで。ワースト記録だな。
長引いた執筆もあと二日ほどで終わるところまで漕ぎつけた。
来年は観るぞ。並みのペースにもどすぞ。100から150本が適切な正常値。それ以上観ると脳みそが溶けるから。
と、来る年の健闘を誓って、1982年は暮れたのであった。
山谷越冬闘争支援映画上映会 [日付のある映画日誌1982]
山谷ドキュメンタリー三本
山谷越冬闘争支援映画上映会
水道橋 全水道会館
ドキュメンタリー『山谷越冬闘争』『山谷春闘』『山谷夏祭り』
高橋悠治と水牛楽団コンサート
資料が見当たらないので、データのみ。
後の、監督二名を白色テロによって喪った山谷ドキュメンタリー・フィルムとは別の作品。
見物しに行っただけなので、主催団体のことは知らない。
観たくもない映画を…… [日付のある映画日誌1982]
イタリア式大河ドラマの豪華絢爛 [日付のある映画日誌1982]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1982年11月21日日曜 曇り
ベルナルド・ベルトリッチ『1900年』
新宿
歴史観なき歴史ドラマ。しかも五時間をこえる。
大絵巻を魅せる豪華さはそれなりに備えている。けれどベルトリッチには歴史を動かすダイナミズムが何かという興味が本質的に欠けているのだろう。ところどころで苛々させられる。
ロバート・デニーロもジェラール・ドパルデューもドミニク・サンダもバート・ランカスターもスターリング・ヘイドンも空々しい。いちばん儲け役だったのは戯画化されたサイコ・ファシストを演じたドナルド・サザーランドだったわけ。
ハリウッド史観で通した『レッズ』と五十歩百歩か。歴史に学ばないのは、どうやら人類の本性なのらしい。それなら映画そのものを享受するにしくはない。
その意味で、ポーリン・ケイルの『1900年』評が素晴らしかった。
ジェット・リー若かったぞ [日付のある映画日誌1982]
『泥の河』をわたって戦後風景 [日付のある映画日誌1982]
コスタ=ガブラス『ミッシング』 [日付のある映画日誌1982]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1982年11月6日土曜 晴れ
コスタ=ガブラス『ミッシング』
新宿
『Z』『告白』『戒厳令』のコスタ=ガブラス、ハリウッド進出第一作。題材はチリのアジェンデ政権壊滅。韓国光州事態の衝撃もまだ生々しかったし、この種の白色テロリズムの終末は視えてこない時代だった。
基本は、しかし、アメリカ人が野蛮な国において災難に遭うといったお決まりのパターンだ。ジャック・レモン、シシー・スペイセクと、異色のキャストの見せ所は充分。
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2014-10-18-1
きわめて独善的な故郷発見 [日付のある映画日誌1982]
クインの悪デコ役が圧巻だった [日付のある映画日誌1982]
バリー・シアー『110番街交差点』
自宅。またまたテレビ放映のお世話になってしまった。まあ、オリジナル合わせての三回目だから我慢しよう。
70年代をとおしてのクライム映画の傑作。
だけど吹き替えじゃ、黒人マフィアのボスが「俺はMatherfuckerのジョンソンだ」(ムザーフッカーと しか聞こえなかった)だと唾を散らして凄むシーン(壁にはマルコムXのポートレート)はダイナシだし、ボビー・ウーマックのタイトル・ソングも流れてこな い。
画像はウォーリー・フェリスの原作本のカバー。角川文庫。
ハーレムの賭場を襲って現金を強奪した三人組。利権を荒らされたイタリア系マフィアとその下請けの黒人ギャングが壮絶な追い込みをかける。そこにアンソニー・クインの悪徳刑事がエサを求めて喰いこんでくる。
人種差別全開・裏金パクリ放題の悪デコを製作兼任のクインが快演。真面目一徹の黒人刑事(ヤッフェ・コットー)とのコンビも定石ながら、ラストで泣かせる。悪デコが正義に目覚めかけたとき、マフィア側は用済みになった老刑事をあっさりヒットマンの標的にしてしまうのだ。
実録ドキュメント路線のタッチは同時期の東映やくざ映画と共通するが、鮮烈さでははるかにこちらが勝る。
土曜日のこれが名画座だ [日付のある映画日誌1982]
『キャバレー日記』が82年度ベスト [日付のある映画日誌1982]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1982年7月24日土曜 晴れ
根岸吉太郎『キャバレー日記』
吉祥寺
この年のベスト。
日活ロマンポルノがロマンポルノであった時代。それは正確にいって、70年代の前半に限られる。この時期に、ロマンポルノの傑作群は集中した。理由は明らかだろう。以降の作品は何なのかというと――要するに、日活ロマンポルノの商標をつけただけの映画だ。
いじましい青春のドラマ。『キャバレー日記』はじつに久しぶりに、商標ではなくその本質において日活ロマンポルノ以外のなにものでもないところのロマンポルノだった。
これをネタに映画評論が一本書けた。
同時代批評6号
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2014-10-17
併映は同監督の『女教師 汚れた放課後』
パニック・イン・テレビ [日付のある映画日誌1982]
30年遅れの映画日誌1982
タイトルと日付だけ。
1982.06.14 月曜
『オフサイド7』
1982.06.23 水曜
『パニック・イン・スタジアム』
テレビで観ていたら、ちょうどいい場面のところで大事な電話がかかってきて……。
1982.07.08 木曜
『ロッキー3』
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2014-10-14
1982.08.08 日曜
『鷲は舞い降りた』
1982.09.05
『ガス燈』
鉄の男ワイダ賛 [日付のある映画日誌1982]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。日付けの上では82年に突入する。
1982年6月14日月曜 晴れ
アンジェイ・ワイダ『鉄の男』
有楽町
これはワイダの映画じゃない、という不当な感想が湧いてくる。
ポーランド情勢の緊迫、反体制労働運動のつかの間の勝利。映画は同時代のすぐれたドキュメントたりえた。そしてここには『大理石の男』のテーマの見事な発展がある。
にもかかわらず、作品のトーンにある楽天的な一面性がどうにも物足らなかった。結局、ワイダをペシミスティックな「悲劇の作家」と確定したい当方の身勝手な想いに引きずられる。
ミハウェックは、ワイダの世界が外国人には理解しにくいローカルな限定性を持つことを強調している。それはポーランドがたどってきた歴史の特殊性の故だ。
最も高名な『地下水道』や『灰とダイヤモンド』にしても、その特殊さがどれだけ了解されたかを考えてみれば、ミハウェックの見解も妥当だろう。
にもかかわらず『鉄の男』は全世界の注目を浴びた作品だった。そしてその注目はニュース映画に向けられるような興味本位の質であったかもしれない。『鉄の男』にたいしてカンヌ映画祭が与えたパルムドール賞の名誉は、ちょうど、ごく最近にマイケル・ムーアの『華氏911』が勝ち取った称讃とまったく同様のものだったという気がする。
社会主義国家の自浄性という「観念」をまだ信じていた。しかしあまりに楽天的な映画への違和感だけは旺盛に湧いてくるのだった。
日本映画あり [日付のある映画日誌1982]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1982年6月5日土曜 晴れ
高橋伴明『TATTOOあり』
新宿
ピンクの星高橋伴明がATG配給の枠で初めて挑んだ一般映画。三菱銀行に人質をとって数十時間籠城した末、射殺された梅川昭男の半生を描く。
『復讐するは我にあり』よりもこじんまりしてキュート。その分、叙情に流れるところも多くあったようだ。
渡辺美佐子、下元史郎をはじめとする助演陣の多彩さが華だ。
併映は長崎俊一『九月の冗談クラブバンド』
日活ロマンポルノの勢いもあって、70年代以降の独立プロダクション系ピンク映画は低迷した印象が強い。足立正生も大和屋竺もすでに無く、ポスト若松の座は、高橋や中村幻児などの全共闘世代に移行していた。
そこに送られてきたATG映画は、何かの胎動を感じさせるものだった。
というか、個人的な意味での「日本映画の時代」が始まりかけていた。
深夜テレビに蘭はなかったって話 [日付のある映画日誌1982]
10秒死なせて [日付のある映画日誌1982]
蜃気楼のような『レッズ』 [日付のある映画日誌1982]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1982年4月25日日曜 曇り有楽町
ロシア十月革命がハリウッド史劇の題材になる! ほとんど信じられないことみたいに思われた。
蜃気楼のようなフィルムだった。
振り返ってみれば、冷戦時代も最後の十年にさしかかっていた。この作品ももまた過渡期の産物だったのかもしれない。
ビーティのジョン・リードとダイアン・キートンのルイズ・ブライアント。史実を脚色したメロドラマとわかっていて
も引きこまれる。ジャック・ニコルソンのユージン・オニールは適役ではあったけれど、いかんせんいくら話をこしらえても出場所がない。リードとオニールの
接点がごく限られていたのだから当然の結果だ。
「年上の愛人」メイベル・ダッジとのエピソードも割愛されたようだ。
レーニン、トロツキーに次ぐ革命政権のナンバー3、ジノヴィエフ役を作家のイェジー・コジンスキーが演じている。コジンスキーは数年後に派手なパフォーマンスで自殺した。
映画には実在する「歴史の証人たち」へのインタビューが挿入されている。ヘンリー・ミラーの分が印象に残る。例によってズレたことを喋っているのだが、とぼけた味わいがにじみ出ていた。死の直前ということもあったろう。
土曜日のアンゲロプロス [日付のある映画日誌1982]
『地獄の黙示録』ふたたびとか [日付のある映画日誌1982]
新宿バーストシティ [日付のある映画日誌1982]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
新宿
『水のないプール』は枯れ果てたプール? [日付のある映画日誌1982]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
新宿
ひさかたぶりの若松映画。複雑な心境になった。
もともとシナリオ次第で良くも悪くもなる作家なんだが。内田栄一の脚本は不愉快なしろものだ。妙に媚びていて志に欠ける。
内田裕也と若松のコンビは『飼育』以来。あのムキダシの情念はどこにいったのか。
裕也の欲求不満がくすぶって、崔洋一の監督デビュー作『十階のモスキート』にまで飛んでいったのだろう。単純にヒデェ映画だなと断じることはできなかった。いろいろな意味で。
『ガキ帝国』は名作だったんだな [日付のある映画日誌1982]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
『ガキ帝国』は名作だったんだな
井筒和幸『ガキ帝国』 新宿
快調なチンピラ青春グラフティ。よく考えれば、大阪在日映画の先駆でもあった。
島田伸介・松本竜介のコンビに趙方豪がもうけ役でからむ。趙は京都のアングラ劇団満開座にいた役者。芝居での印象は弱かった。この作品から映画に転進。
一時期、日活ロマンポルノなどでよく見かけたが、残念ながら、ガキテイを超える突出はなかった。幻の作品『ガキ帝国・悪たれ戦争』は未見。
劇中、朝鮮語でとびかうセリフに日本語字幕が出る。こうした処理のみをみてもユニークな先駆性を持つ。井筒作品はデビュー作『ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々』の湿っぽい基調から抜け出た。
併映は根岸吉太郎『遠雷』。立松和平原作の文芸路線ではあるが、悪くはなかった。ジョニー大倉のベスト演技。
マボロシの名作を観に、はるばると [日付のある映画日誌1982]
ベルーシ『ブルース・ブラザース』をやっと観た [日付のある映画日誌1982]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。