『バイオレント・サタデー』など [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌
1984.09.04 火曜
『気狂いピエロ』
『彼女について知っている二、三の事柄』
1984.09.25 火曜
『いつか誰かが殺される』
『欲望のあいまいな対象』
1984.11.27 火曜
『バイオレント・サタデー』
1984.12.23 日曜
『総長賭博』
『渡世人列伝』
ルイス・ブニュエル [日付のある映画日誌1984]
1985年12月19日木曜 曇り
ルイス・ブニュエル『哀しみのトリスターナ』
ルイス・ブニュエル『小間使いの日記』
高田馬場
ブニュエル・ベストは
一 『欲望のあいまいな対象』
二 『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』
三 『皆殺しの天使』
番外でやはり、『アンダルシアの犬』
イ・チャンホ『一松亭の青い松は』 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話
1984年12月16日日曜 晴れ
李長鎬イ・チャンホ『一松亭イルソンジョンの青い松は』
反日帝パルチザン戦争を描く大作。
李長鎬のフィルモグラフィはここ
http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=7830
参考のためにリンクしておくが、遺憾ながら完璧ではない。
画像にあげた『イメージフォーラム』の増刊号(1988.11)が便利だ。
発見の会と李長鎬の出会いは『暗闇の子供たち』だったが、同作品は輸出禁止となっていて、日本での上映は1990年まで待たねばならなかった。
山下耕作『修羅の群れ』 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1984年12月8日土曜 晴れ
山下耕作『修羅の群れ』
有楽町
東映オールスターやくざ映画路線はとうに「終わって」いる。しかしたまに出てくる新作は、つい習慣で観てしまう。
もはや失望をおぼえることすらなく。
監督は「将軍」山下。もちろん期待するわけではなし。『関の弥太ッぺ』や『博奕打ち 総長賭博』の輝きを求めるのは酷だと割り切ってはいますがねえ。任侠派には、枯淡の境地もなければ円熟もないのだな。
最近、松方弘樹主演で三部作が出ていてまぎらわしいけれど、こちらが本家オリジナル。まあ、どっちも変わんねえといえばそれまでか。
川島透『チ・ン・ピ・ラ』 [日付のある映画日誌1984]
セルジオ・レオーネ『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1984年11月3日土曜 晴れ
セルジオ・レオーネ『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』
新宿
B級の巨匠レオーネはどうも肌が合わん。
充分に長く、充分すぎるほど思わせぶり。おまけに横に間延びしたワイドスクリーン。
映画的時間の長大さと語り=騙りの仕掛けとがまったく融合していない。
おまけにストーリーに無理がありすぎる。
90分でそつなく仕上げてくれればピタリと決まるようなトリッキーな話なんだが。
そこがレオーネの巨匠たるゆえん、B級たるゆえん。
普通なら前後を切ってつなげていくカットもこの人は捨てない。
結果的に、凝視をいやおうなく強いるワンシーンの緊張ではなく、まるで逆の、NGテイクの継ぎ接ぎみたいな
連続になってしまう。
トイレに行って戻ってきたら……、あらなんと、まだ同じシーンだったという「長回し」?なのだ。
後に四時間の「完全版」とやらができたが、もうエエーよ。
『ニックス・ムービー ライトニング・オーヴァー・ウォーター』 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1984年10月31日水曜 晴れ
ヴィム・ヴェンダース『水面に映る稲妻 ニックス・ムービー』
青山 ドイツ文化会館ホール
ドイツ映画大回顧展 プログラム⑱
また青山詣で。
『ニックス・ムービー ライトニング・オーヴァー・ウォーター』にはびっくりしたな。瀕死の病床につくニコラス・レイの日常をたんたんと記録しただけのビデオ日誌。「全身映画作家」映画のハシリだ。
ニコラス・レイというと『大砂塵』と『北京の55日』そして『理由なき反抗』の監督としてしか知らなかった。認識不足を痛感する一日映画日だったんである。
11月3日 『アメリカの友人』
他にヴェンダース作品、『ニューヨークからの手紙』『アラバマ 2000光年』
ライナー・ファスビンダー『不安と魂』 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1984年10月16日火曜 雨
ライナー・ファスビンダー『不安と魂』
青山 ドイツ文化会館ホール
ドイツ映画大回顧展 プログラム⑰
ファスビンダー作品では、この『不安と魂』がいちばん好きだ。
一歩まちがえばグロテスクな寓話になってしまうようなメロドラマ。
黒い笑いの悪趣味に堕ちるところから救っているのは、作者の「愛の飢餓感」だ。
17日『少しの愛だけでも』
21日『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』
『カミカゼ1989』
『エフィ・ブリースト』
『カミカゼ1989』は、マーロン・ブランド状態に肥満したファスビンダーがなんとアクション・シーンまで主役で演じてみせる活劇。
清掃労働者の中年女とモロッコ人出稼ぎ青年の行きずりの恋を描いた『不安と魂』。
規範から外れたカップルが西ドイツ市民社会からこうむる受難の数かず。
それを突き放して凝視する冷たい視線から逆に、作者自身の自己憐憫が静かに洩れ出てくるのだった。
この魂の赤裸の不安――これこそがファスビンダー映画のエッセンスだ。
初老の婦人が、雨やどりのために、アラプ人相手の酒場に入ってくる。
およそ場違いな迷い人のような存在。客たちと店の女の冷たい侮蔑のまなざしが彼女を迎える。
カメラはその視線そのままのつかみかかるような残酷さで、彼女を場面にとらえる。
多少、分析家に思えなくもないまなざしが、観客のものとなって、彼女を引きはぐ。
一人の青年が彼女をダンスに誘う。陰惨なユーモアさえ感じさせる導入部である。
ところが予想外の展開になる。語らいがあり、孤独で不安な魂の牽引があり、控え目な好意が芽生え、やがて愛が現実のものとなる。
この種のドラマの常套が踏まれるわけだが、しかし、これは、息子や娘たちからも相手にされずほぼ孤老に近いような生活をおくる中年女(清掃労働者)と、数十歳年下の外国人青年(モロッコ人り出稼ぎ労働者〉との「愛の物語」なのである。
愛を得た老嬢は童女のようにはしゃぎ、孤独な青年の内面はいっときの安らぎを持つ。
当然ながら、彼らの愛は、西ドイツ市民社会の道徳からは認知されない。
どこへ行こうが冷酷な差別の壁が二人を立往生させる。
映画のまなざしは、冷徹そのものに彼らを場面に宙吊りにする。観ていて落ち着かなくなるような残酷さだ。
ファスビンダーは、ニュージャーマン・シネマの必臓部と呼ばれた猛烈な多作ぶりで、三六歳で死ぬまで、四十数本の作品を残した。
ローザ・ルクセンプルクについてのノートをつけているそのままの姿勢で鉛筆を持ったままひっそりと死んでいた。
死因は大量のコカインであると、後で発表された。
過剰が彼を規定していた。愛の過剰、愛の不能といってもいいほどの過剰すぎる過剰が、彼のただ一つの歌だった。
最後の作品であり、被害妄想に追われる麻薬中毒者の死をあつかった『ベロニカ・フォスのあこがれ』は、そのグロテスクな遺書だった。
『少しの愛だけでも……』では、両親の冷酷さに自我を傷つけられて成長した青年の崩壊。
『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』では、一人前のデザイナーに育ててやった弟子への愛に溺れてゆくレズピアンの三十女の孤絶。
『自由の代償』では、ブルジョア青年に宝くじで当った金をみついで捨てられるホモ・セクシュアル(若きファスピンダーの自演)青年の野垂れ死に。
『シナのルーレット』では、両親たちの姦通の輪舞のめまぐるしさを平静にみすえる少女の透明な憎悪。
ただ一つの愛は、このように、ひたすら飽くなき貪欲さで歌われ続けた。
それが最も哀切な響きを持ってくるのは、オムニバス映画『秋のドイツ』の、彼のパートにおいてである。
彼は、そこで、同性の愛人とのゆきづまった日常、物議をかもした自ら麻薬をうつシーン、母親のとなえるファシズム待望論に論破される屈折、などを自己暴露してみせて、「西ドイツ非過激派通信」を発信した。
少しの愛だけでも。
このとんでもない映画野郎に。
イ・チャンホ『風吹く良き日』 [日付のある映画日誌1984]
李長鎬イ・チャンホ『風吹く良き日』
まさか韓流ドラマがこの日本でここまで大流行するとは、想像もつかなかったけれど。
流れがついたのは80年代の前半だ。
とにかくこの映画が口火を切った。
血まみれの全斗煥軍政のただなか。自主上映というルートのみが日韓の「文化交流」の手段だった。
パンフレットに一文を寄せた佐藤重臣の言葉が当時の日韓映画状況を正確に映している。
《韓国映画のことを尋ねられても、私は何にひとつ答えることが出来ない。韓国映画を一本も見ていない、というのもヒドイ話であるが、日本映画が韓国ではほとんど上映されていない、というのも、何んともヒドイ話である》
と、こんな状況だったのだ。
主演の安聖基アンソンギはこれがデビュー作だったと思う。武田鉄矢似の芸達者なコメディアンとみえたが、どうしてどうして、韓国のデニーロともいえるスケールの大きな性格俳優に成長していった。
スラムの残る首都ソウルにうごめく暗い青春の輝き。泥臭いトラジ・コメディに、韓流パワーの源流はたしかに認められるだろう。
それにしても、少し前の風の旅団の旗挙げにしろ、発見の会の路線転換にしろ、アングラ系と韓国文化ニューウェイヴとの交流がこの時期に目立った。
発見の会の西村仁は、李長鎬『暗闇の子供たち』をソウルで観たことが運命的な出会いだったと書いている。
だが『暗闇の子供たち』は長く韓国国外では上映できなかった。
このチラシは1990年の単館ロードショーのもの。
韓国社会底辺の裏面を描いた作品が解禁されるまでの六年余、多くの韓国映画が上映され、確実に受け止められていった。
ヴェルナー・ヘルツォーク『シュトロツェクの不思議な旅』 [日付のある映画日誌1984]
ミッキー・ローク『ダイナー』 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1984年9月22日土曜 晴れ
バリー・レヴィンソン『ダイナー』
新宿
土曜の夜はダイナーで、そんな気分だ。
レヴィンソンの監督第一作。
60年代グラフティはたくさんあるから、それ以前の50年代を狙った。
ミッキー・ローク・ファンが大騒ぎする映画館にビックリした夜でもある。
『避暑地の出来事』を上映している小屋で、ナニをナニさせるあの助平面に、館内を
揺るがすような「ミッキー!!!!!!!!!!!!!」の黄色い声援がかかるんだから、もう。
ナニをナニさせるとはFのことではなくて、要するに、ポップ
コーンのデカカップがあってその底に穴をあけてだね……、わかるでしょ。
小栗康平『伽倻子のために』 [日付のある映画日誌1984]
初めてのトルコ映画だった [日付のある映画日誌1984]
ズームアップ映画祭 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1984年9月1日土曜 晴れ
水谷俊之監督・脚本、長田勇市撮影『視姦白日夢』
新宿
歌舞伎町の片隅の映画館である。
館名がなんかいもリニューアルされたので、由緒ある名前も忘れてしまった。
女性客専用コーナーをつくったこともあった。
ズームアップ映画祭というビッグイベントもあった。ピンク映画のみの年間ベスト選出だ。
『ZOOM-UP2』という雑誌があった。
雑誌というよりも、タブロイド版新聞の薄めのもの。81年9月創刊。
2を銘打っているからには、『ズーム・アップ』というレッキとした雑誌があったんである。ピンクの最前線が生々しく刻みつけられている。知る人ぞ知るこの雑誌のバックナンバーは何冊か持っているが。
そちらのデータのほうは、別のページでいずれまた……。
第二次ズームアップも、今ではもう遠いとおい幻となっている。
『ズーム・アップ』のほうは、予告したにもかかわらず、資料倉庫の縮小を余儀なくされたさいに、整理してしまったので、空しく消えていった。
ホウシャオシェン 他『坊やの人形』 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌
1984年8月28日火曜 曇り
候孝賢 他『坊やの人形』
下北沢 試写
三話オムニバス 原作は『さよなら・再見』のベストセラー作家黄春明ホワンチュンミン
監督は、候孝賢ホウシャオシェン、曽壮祥ゾンジュアンシャン、萬仁ワンレン
候孝賢作品、日本初公開となるだけではなく、台湾映画そのものの、自主上映形式もふくめて、ほとんど日本初上陸である。
83年にピアフィルムフェスティバルで『恋は飛飛』が上映された。
それ以前に輸入されている台湾映画はカンフーものばかりだった。
韓国映画もそうだったが、アジア映画紹介の状況は似たようなお寒いものだった。ちょうどこの頃、80年代前半がニューウェイヴ台頭の同時多発がみられる。
まことにスリリングな映画的興奮がいたるところに輝いた。ニューウェイヴの流れを受けて、日本でも小規模かつアカデミックな雰囲気ながら、小ホール上映が定着していく。
高度成長社会以前、われわれが取り残してしまった「貧しい豊かさ」の風景が郷愁にみちて迫ってくる。
ルイス・ブニュエル『欲望のあいまいな対象』 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌
1984年8月23日水曜 晴れ
ルイス・ブニュエル『欲望のあいまいな対象』
銀座 試写
越境するブニュエルの闊達な遺作。
一人の女を追いかけつづけるが自分のものにできない、テロに追われつづけるがいつも間一髪のところで逃れる――ブニュエルの自画像(?)めいた男の遍歴物語。
女をものにできないのもそのはず、映画では二人の女優が演じる。恋のかけひきは二重に紛糾して滑稽ですらある。テロリズムにたいするいくらか被害妄想めいた対象化も深遠だ。
ラストシーン。麻の頭陀袋から次つぎと取り出される白い下着。そのなかから出てくる血まみれの裂けた一枚。それが縫いつくろわれるところで、映画は終わる。
いかなる意味づけも拒絶して。
「アンダルシアの犬」で始まったブニュエルの映画的人生もそのシーンによって閉じられた。
その陰翳を解きほぐすために「ブニュエル試論」を書いた。
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2014-11-25
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2014-11-24
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2014-11-23
ブニュエル『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌
1984年8月13日月曜 晴れ
ルイス・ブニュエル
『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』
『皆殺しの天使』
銀座 試写
じつにじつに至福の映画的一日。短い一生のうちでも滅多にない。
ブニュエルについては『アクロス・ザ・ボーダーライン』の「怨恨の明確な対象 ブニュエル試論」を参照のこと。
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2014-11-25
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2014-11-24
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2014-11-23
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2014-11-22
『王者のためのアリア』 [日付のある映画日誌1984]
ジョン・フォード『わが谷は緑なりき』 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1984年7月29日日曜 晴れ
ジョン・フォード『わが谷は緑なりき』
新宿
ジョン・フォード・スペシャル
この三本のうち
『荒野の決闘』は、他のフォード西部劇ともども中学生の想い出に属する。
『怒りの葡萄』は、高校生のころだ。
リバイバル上映の一般公開でなんども観ているから、ハリウッド西部劇に関するかぎり、あまりリアルタイムの時差を意識せずに済んだ。
小学生のころ観たおぼえのある西部劇は、『ララミーから来た男』『リオ・ブラボー』『ワーロック』など、かなり少ない。
他はすべて60年代前半のリバイバ
ル上映の恩恵ということだろう。
それもロードショーではなく名画座めぐりだ。
タイムラグがあったと考えるようになったのは、ずっと後のことだ。
西部劇以外のフォード映画は億劫だったので、『わが谷は緑なりき』を観るのは初めて。
ミッキー・ローク『ランブルフィッシュ』 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1984年7月25日水曜 晴れ
フランシス・コッポラ『ランブルフィッシュ』
新宿
人工的な夜のモノクロ映像のなかを彷徨うアウトサイダーたち。
They rumble by night
ミッキー・ローク、デニス・ホッパー。
そしてニコラス・ケイジとローレンス・フィッシュバーンも出ていたはず。
えっ、どこだったかな。
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2014-11-19
時どき『気狂いピエロ』 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌
1984.07.10 火曜
『気狂いピエロ』
『カルメンという名の女』
1984.07.14 土曜
『もどり川』
『危険な年』
この日は、浅草から六本木にまわった。
思い出すかぎり、最悪の神代映画だったが。
作品そのものより、その周辺の情景が、いつまでも身体にしみついているように残る。
ジェラール・フィリップ映画祭『モンパルナスの灯』 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1984年7月4日水曜 晴れ
ジャック・ベッケル『モンパルナスの灯』
駿河台 アテネ・フランセ文化センター
何度となく開催されているジェラール・フィリップ映画祭の一つ。
6月には『赤と黒』を観た。
畏れ多くもこれが初めての鑑賞だった。
ジェラさまは遺作『危険な関係』を子供のころ、他人に隠れて観た関係から、不幸にしてあまりいい印象がなかったわけである。
こういうのをLES LIAISONS DANGEREUSESというのか。
遺作の一つ前の主演作『熱狂はエルパオに達す』も、ブニュエル映画祭で3月に観ているのだけれど、いっこうに「達さなかった」次第。
で、やっと代表作といえるものにめぐりあえた。当たり役モジリアニに圧倒され、これまでの不明を恥じた。
売り出し前のリノ・ヴァンチュラの悪役ぶりに接することができたのも光栄であった。
和泉聖治『魔女卵』 [日付のある映画日誌1984]
ウォルター・ヒル『ストリート・オブ・ファイヤー』 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1984年6月28日木曜 晴れ
ウォルター・ヒル『ストリート・オブ・ファイヤー』
銀座 試写
ヒル・アクションとしては大当たりの上位。
ダイアン・レイン:マイケル・パレと美男美女を主役に配して、
助っ人と悪役にエイミー・マディガン:ウィレム・デフォーと奇女奇面を置いた。配役の妙も成功した。
エニタイム・エニプレイス。素敵な素敵なロックンロール西部劇。
おかげで封切りをもういっかい観た。
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2014-11-12
周防正行『変態家族 兄貴の嫁さん』 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1984年6月2日土曜 晴れ
周防正行『変態家族 兄貴の嫁さん』
新宿
周防の脚本・監督第一作。
ローアングルに徹したピンク、といっても何のことやらわからないか。
まあ、早い話が小津映画のピンク版パロディ・ギャング。
基本データはここ。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=149063
他にこの領域で注目した作り手は、
『虐待奴隷少女』の米田彰、
『女子大生・教師の前で』の水谷俊之、
『凌辱・制服処女』の福岡芳穂、
『神田川淫乱戦争』の黒沢清など。
この種の専門館の番組ごとの上映時間は『シティロード』にも載っていなかったので、よく電話で確かめていた。
オバチャンの反応。「あんさん、うちはピンクどっせ。なに考えてはんの」
「えっと、だからですね。ヘンタイカゾクは何時と何時に始まりますか。それだけ観たいんですよ」
アー恥ずかしかった。
トリュフォー、フェリーニ、タルコフスキー [日付のある映画日誌1984]
ブニュエル元年その1 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌
1984年5月23日水曜 曇り
ルイス・ブニュエル『銀河』
銀座 試写
ブニュエル没後一年のこの年。ブニュエル元年のような活況だった。
ピアフィルムフェスティバルPFFによって、メキシコ時代のB級作品がまとめて紹介された。その後を受けて、代表作が並んでくる。
十字架を背負ったブニュエル(それもくわえタバコだ!)の冗談。仏教徒には少しわかりづらいけれど。
『スカーフェイス』 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1984年5月19日土曜 晴れ
ブライアン・デ・パルマ『スカーフェイス』
新宿
これがデ・パルマ映画のベストだ。
こけおどしのホラー映画作家が悪趣味で節操のないギャング映画作家になった。
リメイク映画を捧げられたハワード・ホークス=ベン・ヘクトもさぞかし魂消けたことだろう。
三時間のフィルム・ノワールに三百個(?)のFuck youのセリフ。
ドバドバの血のりと機関銃弾。
アル・パチーノの人形芝居のように大げさな過剰アクション。
そしてあちこちにあざとく仕掛けられている政治的偏向の断片。
やっぱりオリヴァー・ストーンの脚本だ。
流入するキューバ難民にたちはだかるアメリカ帝国主義という明快きわまる図式。
これはまさしくデ・パルマ=ストーン=パチーノの最強作品だったのだ。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
そして、映画そのものとは離れて忘れられないこの曲。
アルフレッド・ヒッチコック『ロープ』 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1984年5月13日日曜 晴れ
アルフレッド・ヒッチコック『ロープ』
有楽町
ロ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~プッ
ワンシーン・ワンカット・オンリー。
観どころはそれだけかというと、決してそれだけではない。
いちおうは、室内に舞台を限定したベイシックなミステリ・ドラマなのである。
絞め殺され方はまるでウソっぽいが、作品の生命はロ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~プッに長い。
ヒッチ・リバイバルの一作で、もう一本は、シャーリー・マクレーンのデビュー作でもあった『ハリーの災難』