ライナー・ファスビンダー『シナのルーレット』 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1984年4月21日土曜 晴れ
ライナー・ファスビンダー『シナのルーレット』
渋谷 ユーロスペース
どうってことはない。
ファスビンダー映画のアンナ・カリーナを観たかっただけ。
感想は?と訊かれても困るな。
どんなルーレットに乗ってもカリーナはカリーナ。女は女。
『丹下左膳余話 百萬両の壷』 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1984年4月14日土曜 曇り
山中貞雄『丹下左膳余話 百萬両の壷』
高田馬場
もう四月だった。
学生街の山中貞雄は、ただもうやるせなく新しかった。
小市民ホームドラマが心に沁みとおってくる。
帰らざる日々に美化される喪の列のいくつか。
イ・ハギン共同脚本『便利屋K子』 [日付のある映画日誌1984]
1984年4月13日金曜
イ・ハギン共同脚本『便利屋K子』
新宿
映画作家李学仁イハギンのキャリアは『青春の門』助監督のところで記録としては途絶えている。
それ以前に、監督・脚本の緑豆社自主制作フィルム『異邦人の河』『詩雨おばさん』があった。
日活ロマンポルノ路線『便利屋K子』の共同シナリオにクレジットされているイ・ハギンが同一人物であるのかどうか、じつのところ確証はない。
名前を見つけたときは、李がロマンポルノ路線でカムバックを果たすのではないかと期待したものだが、以降のクレジットは当方の知るかぎりなかった。
このあたりの曲折を知る人がいれば証言を聞きたいものだ。
緑豆社が崩壊する前後のことは仄聞した。
あとに李学仁は劇画『蒼天航路』の原作者として有名になる。
演出デビュー作となった『異邦人の河』は、ジョニー大倉が民族名を明らかにして主演したことでも話題を呼んだが、在日朝鮮人による史上初の劇映画である。
その意味では時代を切り開こうとした先駆者といえるだろう。
ただ「共和国イデオロギー」を遵守する思考の古さ・堅苦しさが、作品を貧しくしていたことは否定できない。
ゆえに在日の表現者にとっては、最初から乗り越えられる対象としてあったのではないかとも思える。
先駆者の「栄光と孤独」とはどこまでも彼についてまわっただろう。
もう故人になってしまった。
映画監督→挫折→現場への復帰→脚本家への転進?→劇画原作者。
キャリアの転変をつなぐ空白が大きすぎる。
それを埋めたいという好奇心が募る。
この月のアベレージは30本近く。とはいっても… [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌1984年3月
1984.02.28 金曜
『裏窓』
1984.03.09 金曜
『雨月物語』
『新平家物語』
1984.03.11 日曜
『残酷少女タレント』
『白衣物語・淫す!』
『女高生日記・乙女の祈り』
1984.03.12 月曜
『Z』
1984.03.15 木曜
『無辜なる海』
1984.03.17 土曜
『大いなる別れ』
『モロッコ慕情』
1984.03.18 日曜
『スキャンティードール 脱ぎたての香り』
『下半身症候群』
『団地妻 サラ金地獄』
1984.03.19 月曜
『春情夢』
『スチュワーデススキャンダル 獣のように抱きしめて』
『団鬼六SM大全集』
1984.03.22 木曜
『水俣の甘夏』
1984.03.24 土曜
『白黒姉妹』
1984.03.29 木曜
『熱狂はエルパオに達す』
1984.04.01 日曜
『トランザム7000 激突パトカー軍団』
『ミステリー・ゾーン』映画版 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1984年3月31日土曜 曇り
ジョージ・ミラー他『トワイライトゾーン 超次元の体験』
荻窪
TVシリーズ『ミステリー・ゾーン』映画版。四人の作家によるオムニバス。
ジョン・ランディスの第一話。ヴィック・モロー扮する人種差別主義者がナチス支配の世界にタイム・スリップする。モローが撮影中の事故で死んでしまったことでも知られる。何だか気の毒な遺作だ。
第二話がスティーヴン・スピルバーグ、第三話がジョー・ダンテ。
ぶっとびはジョージ・ミラーの第四話。ジョン・リスゴーがはまってるねえ。怪物よりも、怪物を怖がってるリスゴーのほうが怖い。
小津映画の突貫小僧 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1984年3月17日土曜 曇り
小津安二郎『生れてはみたけれど』
ゼェームス・槇原作
前日に同スタッフの『落第はしたけれど』
初期小津のサイレント作品。というより何より、突貫小僧(青木富雄)に感激した一本。
この蜜の匂いに [日付のある映画日誌1984]
ロストイリュージョンだった [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1984年3月3日土曜 曇り
フランソワ・トリュフォー『大人は判ってくれない』
高田馬場
この映画を最初に観たのは、自由ヶ丘の映画館で、おやじに連れられてだったという記憶がずっとあった。
ところがこの映画の日本公開は1960年。父親はわたしが八歳のときに廃人化しているので、この記憶は成り立たない。わたしが観ているのは京都においてだったはずだ。わたしは長いあいだ「捏造された記憶」ロストイリュージョンをいだきつづけていたことになる。
プルーストよりラビリンスだな。
憶えていたのは、ジャン=ピエール・レオーがミミズを喰うところと、ラストの少年院に護送されていくシーンだけだった。
父親に連れられて観た映画というと他に『明治天皇と日露大戦争』がある。
けれどもこれも歪曲をこうむった記憶でないとは断言できない。やれやれ。
記憶の淡さは、要するに、現世の縁の薄さにほかならなかったか。
雪の日の小津映画だったけれど [日付のある映画日誌1984]
1984年2月26日 雪
小津安二郎『東京物語』
井上和男『生きてはみたけれど 小津安二郎伝』
新宿 雪また雪で。
去年のいまごろには予想もしなかった日々。来年のいまごろはどうなっていることか。
AGAINAGAIN&アゲイン [日付のある映画日誌1984]
トッド・ブラウニング『フリークス』 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1984年2月16日木曜 雲リ
トッド・ブラウニング『フリークス』『アンホリー・スリー』
新宿
雪また雪の日々のあいだに。
『フリークス』上映は一段落していた時期。佐藤重臣がフィルムをかついで小ホール上映していたのを観た。
雰囲気といい、上映形態といい、じつにじつに素晴らしかった。
この感動には言葉がない。『フリークス』は終生のベスト10に入る。
ブラウニングの基本データはここ。
http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=2247
タイトルは『怪物團』『三人』になっている。
ロン・チャニー、ヴィクター・マクラグレン、ハリー・アールズの『アンホリー・スリー』も一期一会の機会だった。
観たはずなんだが… [日付のある映画日誌1984]
ガープによれば世界とは [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1984年1月24日火曜 曇り
ジョージ・ロイ・ヒル『ガープの世界』
新宿
The world according to Garp
ガープによれば世界とは、要するにこんなふうに出来てるもんさって話。
これはジョン・アーヴィングの小説では最もポピュラーなもの。
『トリストラム・シャンディ』の現代版。じつに面白い読み物だ。
それ以上のものじゃないっていえばそうなんだけど。
もちろん映画とは別世界なのだが、違和感のにない映画化に成功した作り手の手腕を讃えるべきだろう。
しかしまあ。ロビン・ウィリアムスやグレン・クローズには申しわけない。
これはジョン・リスゴーのための映画です。性転換した元フットボール選手役。ごついガタイにまるで似合わない女装姿の怪演快演。
『ガープの世界』のバカっぽさのエッセンスを集約して一身に体現しきっているではないか。
以降、リスゴーの役柄は、サイコ男、卑劣漢、臆病者、イビツな悪漢など、だいたい固定してしまったが、観るたびに『ガープ』を思い出し笑えて笑えて仕方がないのであった。
ジェーン・バーキン『ジュ・テーム』 [日付のある映画日誌1984]
ジョナス・メカス『ロスト ロスト ロスト』 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1984年1月7日土曜 雪
ジョナス・メカス『ロスト ロスト ロスト』
四谷 イメージ・フォーラム
イメージフォーラム(この場合は、雑誌の名前ではない)はまだシアターではなく、四谷三丁目のビルにあった。
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/morikuni/mekas2.htm
少しあとに『メカスの映画日記』を入手した。
神保町の専門店で尋ねたら「ンなもんネーよ」と突っぱねられた。
「相場はナンボだす?」「7000円」
むかついて隣の店の店先でワゴンの特価品を漁った。
そしたらナント。
あったのである。500円だった。
ただし、カバーが欠けている。画像は、扉である。
この本は93年9月に改訂版が出ているが、それも今は絶版。ネットで捜してみたけれど、厳しそうだ。
『秋のドイツ』 [日付のある映画日誌1984]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1984年1月6日金曜 曇り
ファスビンダー、シュレンドルフ他『秋のドイツ』
銀座 試写室
西ドイツ70年代社会への映画人からの証言集。東西ドイツ時代末期のセンチメンタルな記録といったほうがほうがぴったりくるか。
トロッタの『鉛の時代』を先に観ているせいか、この映画には一種のアリバイの訴えしか感じ取れない。
とくにハインリッヒ・ベル脚本・フォルカー・シュレンドルフ監督のパーツがひどい。
過激派「テロリスト」を社会的に葬ることによって、バランスを取った西ドイツ市民社会への違和感。そうした違和感を映像化しても、それ自体の作品的鮮度はごくごく短いタイムスパンしか持ちえない、ということか。
結局、ファスビンダーによる自己破壊的ポースと自己憐憫にまみれた私小説的ドキュメントがいつまでも印象に残る。
だとしても、ここに表白された政治的意見の蒙昧さには唖然とせざるをえないではないか。
これが作品の生命?
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2014-11-11
1984年になって [日付のある映画日誌1984]
ゴダールの『パッション』 [日付のある映画日誌1983]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1983年11月23日水曜 晴れ
ジャン=リュック・ゴダール『パッション』
六本木 シネ・ヴィヴァン
昔の愛だった。
ゴダールの『パッション』は彼自身による次の数語に要約できる。
映画への愛とはユダヤ人にとっての約束の大地への愛のような何かだ。それだけだ。ぼくがいいたい唯一のことは、偉大な映画を持てなくなってから、どの国もとてもうまく行ってることだ。エルサルバトルやポーランドのことを考えると辛くなる。
『パッション』は、映画への愛が幾重もの屈折を通して、なお刹那に輝いてくるような痕跡にみちている。痕跡ではなく、テキストか。
どこまでもゴダールなその途は、必ず、「最低だ!」という自嘲に終わるほかない途だ。終わり……始まりのない唐突な終わり。
――というような文章を書いていた。「ゴダさま命」だった季節がだらだらと終焉しつつあった時期。
『竜二』『アマルコルド』『草迷宮』 [日付のある映画日誌1983]
30年遅れの映画日誌
1983.11.14 月曜 池袋文芸座ルピエリ
『じゃぱゆきさん』
『沖縄のハルモニ』
『バンコク売春観光』
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2014-11-07
1983.11.16 水曜
『竜二』
1983.11.19 土曜
『アマルコルド』
1983.11.22 火曜
『草迷宮』
ベン・ギャザラのカポネを知ってるかい [日付のある映画日誌1983]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1983年11月14日月曜 晴れ
ロジャー・コーマン製作、スティーヴ・カーヴァー監督『ビッグ・ボス』
新宿
数あるアル・カポネ映画の一つ。75年製作。
というより『ビッグ・バッド・ママ』につづくコーマン&カーヴァーのギャング路線といったほうが早い。
だが配役の渋さが裏目に出た。
ベン・ギャザラのカポネに、ジョン・カサヴェテスの助演となると、まるで芸術映画かと勘違いする。
一の子分役に若いシルベスター・スタローン。
ポルノから転進してマフィア。
その次にチャンドラー映画『さらば愛しき女よ』を経て、『ロッキー』シリーズでスターの座に立ったわけ。
コーマン映画はどれもこれも観て損はしなかった。としておこう。
エディ・マーフィ初登場 [日付のある映画日誌1983]
ジョン・バダム『ブルーサンダー』 [日付のある映画日誌1983]
『族譜』をNHKで観た [日付のある映画日誌1983]
30年遅れの映画日誌。
1983年10月20日木曜
林権澤(イム・グォンテク) 『族譜』
自宅テレビ
78年朴政権末期に製作された作品が全政権スタート期に「国営放送」で放映される。
テーマは日帝の悪名高い植民地政策「創氏改名」。
原作者は植民地育ちの梶山季之。
記憶をたどると、例によって、もう少し後のことだったように、少しズレて刷りこまれている。
しかしこれは80年代前期の「第一次韓国映画ブーム」の序章を形作る出来事として思い出されるべきだろう。ブームといっても、ほんとうにささやかな流れだったわけだが。
基本データはこちら。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=13165
『隠された爪跡』 [日付のある映画日誌1983]
関東大震災朝鮮人虐殺記録映画
歴史上の出来事からは60年が経過している。
生存者の聞き書きをとるにしても、ぎりぎりの時期にさしかかっていた。
文献は多数あるが、映像によるドキュメントは初の試みである。
構成・監督の呉充功(オチュンコン)に会って、製作および上映の周囲を原稿に書いてもらうべく依頼する。
他人に文章を書かせるのは、自分で書くより十倍も難しいと痛感した。
下高井戸シネマに行った [日付のある映画日誌1983]
ヘル・イン・ヘルツォーク [日付のある映画日誌1983]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1983年9月19日月曜 晴れ
ウェルナー・ヘルツォーク『小人の饗宴』
『アギーレ 神の怒り』『フィッツカラルド』ですっかり魅せられてしまったヘルツォーク映画の固め打ち。
24日土曜に『カスパー・ハウザーの謎』(これは二度目)
ヘルツォーク&キンスキー。憎しみの絆(?)によって結ばれた史上最凶の監督・主演コンビによるムルナウ映画のリメイク。
有りがたくって泪が出そう。あまりにキマリすぎていて……。
クラキンの吸血鬼は、10年後(制作年)の『バンパイア・イン・ベニス』のほうが断然良かった。
滅亡する種族の哀しみが、晩年のかなりくたびれてきた怪優の哀愁とうまくシンクロしたのであった。