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レバノン、カタール映画『ベリー・ビッグ・ショット』 [映画VIDEO日誌2023後半]

2023.07.16 『ベリー・ビッグ・ショット』 2015 Film Kteer Kbeer/Very Big Shot
レバノン、カタール映画 監督・脚本 ミル=ジャン・ボウ・チャーヤ
脚本・主演 アラン・サアデ

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 ボスの麻薬を大量に盗んだ運び屋の兄弟が起死回生の賭けに出る。
 長男のジアドは、映画のフィルム缶にブツを隠して国外に持ち出そうと計画を練る。そのために、ドラッグマニアの映画監督を使って、本当にフィルムを回しはじめた。そこからが、やたらに面白い。
 なかば「映画をつくることをテーマにした」映画になっていくのだ。トリュフォーの『アメリカの夜』みたいにーー。作品のなかで進行していく映画は、キリスト教徒とイスラム教徒の恋愛といった話。これが撮影がすすむにつれ(ゴダールなら狂喜しそうだが)街頭の現実をとりこんで、どんどん先鋭化する。どうということのないロマンスものが現実の社会批判のテーマに肥大していく。ケチな運び屋の男が、すっかり映画にのめりこんでしまう。
 ブツを横取りされたボスのほうも黙ってはいない。脅しと妨害をつづけ、爆弾まで使う。だが、ジアドは、ギャングの「テロ攻撃」を逆に、映画の宣伝のために利用する攻勢に出た。
 そこから、ラストの「5週間後」ーー。まったく意表をつかれる結末。昨日観たトルコ映画もそうだが、犯罪映画のカタルシスをこういう方向につける傾向にびっくりする。
 「先進国」の犯罪ノワールだと絶対にこうはならないのだ。アメリカはいうにおよばず、韓国、フランスなどでは、やはり一定の型がある。ボスあるいは親友・恋人その他との決着は着けられねばならないーーという定型だ。プラス「悪人は滅ぶ」の教訓。ロシアやポーランドあたりだと、その範型が凄まじいほどに屈折している場合(善人も破滅するとか)、なにかいいようのない不快に落としこまれることがたびたびある。要するに「後進国」のノワールは、そうした定型におさまりきらないのだ。

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