『絶唱母を呼ぶ歌 鳥よ翼をかして』 [日付のある映画日誌1985]
1985.07.02 火曜
『絶唱母を呼ぶ歌 鳥よ翼をかして』 池袋豊島公会堂
在日朝鮮人の帰国事業にともなって「北に帰った」日本人妻は2000人近く。その日本人妻の「里帰り」問題をあつかった映画だった。
制作にいたる背景などについては、まったく知らない。
拉致被害者の実態が露出してきてからも、この問題が関連して再浮上したことはないようだ。
1985.07.06 土曜
『ペンギンズメモリー 幸福物語』
1985.07.18 木曜
『ブレイクダウン物語』
1985.07.23 火曜
『ラブホテル』
1985.07.30 火曜
『刑事ジョン・ブック/目撃者 』
新宿
ジョージ・ミラー『マッド・マックス サンダードーム』 [日付のある映画日誌1985]
マルクス・ブラザース・フェスティヴァル [日付のある映画日誌1985]
第一回東京国際映画祭『アルシノとコンドル』『グレイ・フォックス』 [日付のある映画日誌1985]
第一回東京国際映画祭 NTTベスト30アラウンド・ザ・ワールド [日付のある映画日誌1985]
第一回東京国際映画祭『パリ、テキサス』 [日付のある映画日誌1985]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1985年6月6日木曜 晴れ
ヴィム・ヴェンダース『パリ、テキサス』
この作品を観るためにこの映画祭はあった。
第一回東京国際映画祭 渋谷 NHKホール
痛みにみちた映画青年、映画を観ることと映画を作ることが同義だったゴダール世代の申し子。
ヴェンダース最初のメジャー映画。
というわけで初めて「ミステリマガジン」に書かせてもらった原稿。
要するに『パリ、テキサス』のナスターシャ・キンスキーは『リオ・ブラボー』のアンジー・ディキンソンへのオマージュであった、といいたいだけなのだが、出来映えが悪くて我ながらガッカリしてしまう。
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2014-12-01
ホウ・シャオシエン『風櫃から来た人』 [日付のある映画日誌1985]
第一回東京国際映画祭『ソルジャー・ストーリー』 [日付のある映画日誌1985]
第一回東京国際映画祭 [日付のある映画日誌1985]
柳町光男『さらば愛しき大地』 [日付のある映画日誌1985]
脚本ホルヘ・ルイス・ボルヘス&アドルフォ・ビオイ・カサーレス『はみだした男』 [日付のある映画日誌1985]
ピンク ズームアップ映画祭 [日付のある映画日誌1985]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
ピンク ズームアップ映画祭
1985年5月18日土曜 晴れ
滝田洋二郎監督・夢野史郎脚本『真昼の切り裂き魔』
新宿
ズームアップ映画祭の第六回作品賞
他に 滝田洋二郎『OL24時 媚娼女』
渡辺元嗣『女教師 淫らな放課後』
持っているピンク関連の資料が貧弱なので、偉そうなこともいえないけれど。
滝田ピンク時代の最盛期に立ち合っていたのだろう。
それと夢野脚本に魅かれていたのも、わたしの度しがたいマイナー好みか。
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2015-07-18
「しぶがき隊」追っかけムーヴィその他 [日付のある映画日誌1985]
ヴィクトル・エリセ『ミツバチのささやき』 [日付のある映画日誌1985]
イ・チャンホ『寡婦の舞』 [日付のある映画日誌1985]
30年遅れの映画日誌。
1985年4月18日木曜 晴れ
李長鎬『寡婦の舞』
新橋 試写
発見の会プロデュースによる李長鎬イ・チャンホ作品の第二弾。
『馬鹿宣言』『暗闇の子供たち』と組になった三部作。原作はいずれも李東哲イ・ドンチョル。
ピア・フィルム・フェスティバルの海外招待作品で先行上映の後、九月にホール上映された。
一見して暗いカメラ・トーンに、日本のピンク映画と同質の情念を見い出して驚いた。
低予算&ローアングルの視点が似通っているのだろうか。
経済成長以前の韓国社会。
基調は、しかしDancing Widowのエネルギーをそのままぶつける、泥くさいドタバタ喜劇でもある。
コメディがいっこうに洗練されないところに韓流の源流があるようだ。
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2014-11-30
ヴァレリオ・ズルリーニ『激しい季節』 [日付のある映画日誌1985]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1985年4月16日火曜 晴れ
ヴァレリオ・ズルリーニ『激しい季節』
渋谷
59年製作の映画がどうして今ごろリヴァイヴァルなのか。名作でもないのに。
というより、なんで観にいく?と自分でも不思議だったりして。
子供の頃にこの主題曲「テンプテイション」をよく聴いていた。テーマ曲から想像するに、すごく激しいエロなんだろうと思いこんでしまったのだ。
そのような積年の潜在下意識に導かれるまま、季節はずれの映画にひたったのであった。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
ユルマズ・ギュネイ『エレジー』 [日付のある映画日誌1985]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1985年4月2日火曜 晴れ
ユルマズ・ギュネイ『エレジー』
渋谷 ユーロスペース
『エレジー』をギュネイの最高傑作とするのは異論が出るかもしれない。
だが最高に好きなのは、やはりコレ。
トルコ製西部劇なんだが、ギュネイの本流とされる社会抗議のテーマが、よりダイナミックに提出されていると思う。
日本の任侠映画とまっすぐにつながる。高倉健や鶴田浩二的な哀しみを背負った盗賊団の首領。
その役においてこそギュネイというアクション・スターの本質が輝いて見える。
そして山岳地帯の大自然のなかで俯瞰されるクライマックス。銃撃戦をくりひろげる憲兵隊と盗賊たちのはるか上方でぱらぱらと落石が始まる。やがてそれは巨大な岩の落下となって、下方に位置する男たち蹂躙する。あらゆる人間の愚行が豆粒のようにちっぽけに映る。
圧倒的なスペクタクルだ。
併映は『獄中のギュネイ』
獄中のギュネイにインタビューを試みたドキュメンタリー。
ドイツ人左翼の取材者にたいして不信感を隠さず、ごく公式的な回答に終始するギュネイの頑なな表情が印象的だ。
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2014-12-04
3月の分まとめて [日付のある映画日誌1985]
30年遅れの映画日誌。
1985年3月分。
2日土曜 ヴィム・ヴェンダース『ことの次第』 二度目
ミクロシュ・ヤンチョー『ハンガリアン狂詩曲』
ハーレイ・コークリス『バトルトラック』
ようするにニュージーランド版『マッドマックス2』なんである。素晴らしいパクリの根性をみよってんだ。
7日木曜 ジョナス・メカス『リトアニアへの旅の追憶』
10日日曜 ライナー・ファスビンダー『リリー・マルレーン』
ジョセフ・フォン・スタンバーグ『嘆きの天使』
ウィリアム・A・ウェルマン『民衆の敵』
ラオール・ウォルシュ『彼奴は顔役だ!』
23日土曜 村川透『聖女伝説』
31日日曜 ジョージ・スティーヴンス『陽のあたる場所』
『妖婆 死棺の呪い』その他 [日付のある映画日誌1985]
ジョン・ウォーターズ『ピンクフラミンゴ』 [日付のある映画日誌1985]
30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代の話。
1985年2月26日火曜 曇り
ジョン・ウォーターズ『ピンクフラミンゴ』
新宿
これも故佐藤重臣がフィルムをかついで主催していた小ホール上映で観た。観客は20人くらいだったか、カルト・ムーヴィーにふさわしいこじんまりした雰囲気だった。
ウォーターズはこれをきっかけにしていろいろ観たが、ファースト&ベストだ。
もちろん無修正版である。
公園で露出狂同士がバトルロイヤルを始めて、スクエアな奴がコートをおっぴろげてモロダシして回っていると、ニューハーフの奴がやおら女の上半身を見せてから下半身の大砲をボロンと出す爆笑シーンなんか、ボカシではその面白さがわからんわけだ。
もう一本は、『フリークス』
なんど観ても凄いな。
Straight Outta Compton [BlackCinema]
《週末の全米映画興行成績は、 N.W.A 伝記ドラマ「Straight Outta Compton」が興収1324万ドル(約16億円)でV3を達成した。》
All Cinema Onlin のニュース(8.31)から。
http://www.allcinema.net/prog/news.php?lPageNum=2&lDataCount=9401
このニュースに興奮した。
ことわっておくが、この数字は、「Straight Outta Compton」が、『ミッション・インポッシブル ローグ・ネイション』や『ジュラシック・ワールド』などの巨額の宣伝費を投じたハリウッド超大作を制し、それらをはるかに上回る観客動員数を記録したことを意味する。
だが、日本での公開は未定らしい。日本には、アメリカ本土のように「黒人観客層」が存在しないからな。量的にも質的にも。
日本でも公開せよ、という応援サイトもあって、日本語字幕つきの予告篇を視聴できる。
https://www.change.org/p/%E6%98%A0%E7%94%BB-straight-outta-compton-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A7%E3%81%AE%E5%8A%87%E5%A0%B4%E5%85%AC%E9%96%8B%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%82%8B
映画は、現在のアイス・キューブ(映画俳優)とドクタ・ドレー(音楽プロデューサー)がコンプトンのストリートを再訪するところからはじまる。イージー・Eはすでに故人だ。
ドラマでキューブ役に扮するのは、彼の息子。やはり、そっくりだ。
N.W.A Niggaz wit Atittudes(根性ワルの黒ん坊)――(註1)
劇中、「おれたちがファック・ダ・ポリスを歌った時代(25年前)とおれたちニガズの状況はまったく変わっていない」という科白が語られる。これが、この映画の(支持される理由も含めて)すべてを表わしている、といっても過言ではない。
建て前は民主主義、黒人にたいしては警察国家、対外的には(非対称的)戦争国家。これがアメリカだ。
N.W.A、パブリック・エナミー、ブギダウン・プロダクションズなどの、ギャングスタ・ラップが出現した80年代の後半。HIPHOP はワールド・ミュージックを席巻し、その勢いは、もちろん、音楽シーンのみにとどまらなかった。
ブラックシネマの秀作が次つぎと制作され、その多くは日本でも公開された。90年代、ほとんど東京の映画館で観ることができた。
それらは過去のものになったのだろうか。
ブラックシネマを観つづけた日々。
このブログでも、当時の日誌を順次アップしていく予定だが、もう少し後のことになりそうだ。
「Straight Outta Compton」
N.W.Aの短い活動、パブリック・エナミー、ブギダウン・プロダクションズのクリス・ワン。ドレーの立ち上げたデス・ロウ・レコード……。その延長にあった、2PACとビギー・スモールの銃撃死。(註4)
それらは「伝説」に祭り上げられるのだろうか。
早すぎる伝記映画の試みは退行的な「懐古趣味」におちこむのだろうか。
――その点は、「Straight Outta Compton」本篇を観とどけてみないと確定できない。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
(註1)「ニガー」「黒んぼ」などの〈差別語〉は、この場合、プラスマイナスの両義性をおびている。この深淵と跳躍を理解できるか否か。――(註2)
黒人自身は、これを自分への尊厳をあらわす用語としても、本来の意味の侮蔑語としても、適宜、使い分けている。
(註2)このあたりに、黒人英語の翻訳不可能性という問題があるのに違いない。たとえば、よく使われる二重否定の構文にしても、直訳すると、否定をとおして肯定を語る(否定を介してしか肯定を伝えることができない)という黒人文化の基底的なニュアンスが抜け落ちてしまう。
日本語は、そうした断絶を反映する語法を必要としてこなかったからだ。一部の在日朝鮮人作家の文体を数少ない例外として――。
数年前、ドナルド・ゴインズ(註3)の『ブラック・デトロイト』が翻訳されたさいにも、この問題が発生した。むろん翻訳が悪いとかいうことではない。訳者は今は直木賞作家になっている東山彰良。この時、ゴインズに注目したセンスに感動した。
しかし、日経の書評欄で★★★★★の絶賛があった他は、まったく話題にならず消えてしまった。
(註3)ゴインズは元ギャングスタの犯罪小説作家。服役後、70年代に短い作家活動のさなかに射殺された。HIPHOPカルチャーのヒーローとして、その作品は長く支持されつづけている。
(註4)ドキュメント・フィルム『ライム&リーズン』だったと思うが、インタビューで、キング牧師についてのコメントを求められたドレーが一瞬浮かべた嘲りの表情が印象的だった。「キング牧師がおれたちのラップを聴いたらどう思うかだって?」
ドレーが一瞬浮かべた表情には、はっきりと「バカなことを訊くなよ。質問者は本当におれたちの歌をわかってるのか」という感情がほとばしっていた。しかし、すぐにドレーは老獪な商売人の仮面で本心を覆いかくし、実にあたりさわりのない公式発言を答えるのだった。「そうだな、キング牧師も、おれたちの歌を気に入ってくれただろうな。彼の死が残念でならないよ」と。
台湾映画祭『老兵の春』 [日付のある映画日誌1985]
アンジェイ・ズラウスキー『私生活のない女』 [日付のある映画日誌1985]
『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』 [日付のある映画日誌1985]
死んだギュネイ [日付のある映画日誌1985]
30年遅れの映画日誌
ギュネイ最後の作品。獄中から演出を指示したことでも知られる。
トルコ映画の日本での一般公開は『ハッカリの季節』に続いて二本目。それがクルド民族反体制派のギュネイ映画だった。ギュネイ死後、半年が経っていた。
五人の仮出獄者のみる束の間の自由。強い象徴性を帯びてしまった遺作だ。