『トリック・ベイビー』 [BlackCinema]
白人に見える黒人男詐欺師の話。
「白い肌の黒人」の物語は、古くからあるようだ。
ジェームズ・ウェルドン・ジョンソン『もと黒人の自伝』(1912)、
ネラ・ラーセン『白い黒人』(Passing 1929)
などは翻訳されている。
パッシングとは「白人のふりをして生きる」ことを指す。
パッシング・ノベルと命名される傾向が(今なお)あるわけだ。
アイスバーグ・スリムの原作による『トリック・ベイビー』は、詐欺師コンビの犯罪小説。
映画は未公開で、知る人は少なく。
原作が翻訳されたのも、作者の死後。
話題になるための条件は、残念ながら、そろわずに終わった。
スリムには『あるポン引き野郎の肖像』というフィルムもある。
小説も実人生に劣らず「面白い」キャラクターなんだが。
メルヴィン・ヴァン・ピーブルズ『ウォーターメロン・マン』 [BlackCinema]
メルヴィン・ヴァン・ピーブルズ『ウォーターメロン・マン』(1970)
2009.01.17
メルヴィン・ヴァン・ピーブルズ MVP が『スウィート・スウィートバック』の前年に撮った作品。
西瓜男の悲喜劇である。
醜男が、ある朝、目覚めたら、絶世の美男子に変身していた、という話は、マルセル・エイメの『第二の顔』。
(そのパクリがアベなんたらの『他人の顔』)
この映画では、ごく普通の白人の勤め人が、ある朝、目覚めたら、マックロの黒人に変身していた、という発端。
黒い肌をして「オレは白人だ」と叫んでも、ただ空しい。
変身後を演じるのは、ゴットフリー・ケンブリッジ。
「中味はシロイんだ、信じてくれ」といえばいうほど、おかしい。
不条理な哄笑がつづくうち、やがて、人間性の深淵が、ほの視えてくる(?)ようなトラジ・コメディなのである。
『墓にツバをかけろ』 [BlackCinema]
『墓にツバをかけろ』(1959)
2009.01.06
これは、DVDを購入して、やっと観た。
公開時は、まだ子供だったから、紹介記事をよんでコーフンしたのみ。
「白い肌をした黒人」の物語。
弟(黒い肌の黒人)をリンチで殺された兄の復讐は、ボスの女を寝取ることから始まり……。
クリスチャン・マルカンのやりたい放題。
まあ、単純な活劇で、この時期のフレンチ・ノワールだから、ジャズも愉しめる趣向だ。
原作および脚本は、才人ボリス・ヴィアン。
といっても、最初は、アメリカ黒人作家の「問題作」翻訳というふれこみで刊行された。
「白い仮面をかぶった黒人」の物語を、ヴィアンは「黒い仮面」をかぶって書いたわけだ。
この仮面の「二重化」をあんまり面白がってもしかたがないけれど……。
多芸多才の寄席芸人ヴィアンの悪趣味?
それを肥大させたフランス文化の「黒人文学コンプレツクス」を考えるべきかも。
リチャード・プライス『フリーダムランド』 [BlackCinema]
スパイク・リー『インサイド・マン』 [BlackCinema]
よく出来たハリウッド製サスペンス。
という以上の感想が湧いてこない……。
『サマー・オブ・サム』 (1999)とか、『オールド・ボーイ』 (2013)とか、わけのわからないものを観せられるより、こういう安定路線のほうがいいのは確かだけれど。
『クロッカーズ』 (1995)と較べてみれば、作家的後退は否定しようもない。
ブラックネスを感じ取れたのは、3場面くらいだった。
人質にされた黒人の子供が、ブラックばかり的にするストリート・シューティング・ゲームに熱中して親爺を呆れさせるシーン。
容疑者として「ターバン野郎」を片っ端からしょっぴいてきて、署内で恫喝をかけるシーン。
つまらない主役を押しつけられたデンゼルが、一瞬だけアドリブのように見せる「地」の表情と仕草。
ウォルター・ヒル『デッドロック』 [BlackCinema]
『シティ・オブ・ゴッド』 [BlackCinema]
『Wellcome to DEATH ROW』 [BlackCinema]
ホームページ更新日記2006.11.015
音なしにはいられない
かつての「音なしではいられない」状態がもどってきている。
調子が上向きというより、むしろこれが当たり前だから可もなし不可もなしといったところだろう。
主にインターネットラジオ利用だが、快適な環境を探すのに手間がかかった。マシーンは買い替えだろうな。
遅ればせながら、ドクタ・ドレーの『クロニクル』を繰り返し。
これはDEATH ROW のベスト・アルバムでもあり、さすがの重量感だ。
付録で、ドレーとスヌープ・ドギー・ドッグのデュエット「Nothin' but a G Thang」のMTVが入っている。
ドレーのソロはあまり印象に残らないけれど、このトラックはいい。スヌープと並んでもカリスマ性がある。
あとは、ドレーとアイス・キューブによる「ナチュラル・ボーン・キラー」だな。
それにしても『Wellcome to DEATH ROW』のDVDは最高だった。
これが「もう一つの」アメリカだと。
2PACの犬死にのような銃撃死についても、ようやくというか、得心がいった。
ああなるしかなかったわけだ。
八ヶ月のあいだに150曲つくったアベレージも、死の予感という説明ですべてぴったりくる。
伝説は必要なのだが、生きていては伝説化しない。
『トリプルX ネクストレベル』の、サミュエル・L・ジャクソンとアイス・キューブの掛け合いにある。
「それはだれの名セリフだ」と訊くサミュエルにキューブは「トゥーパックさ」と答える(字幕は「ラッパーさ」だったが)。
映画自体は、ヴィン・ディーゼルが降りてしまって、急遽主役を振られたキューブはその手の華のあるアクション・スターではないから、おかげで劇場公開もなしの低調さだった。
ブラック版007シリーズにはならず。
とにかく、いま何を聴くか、といったら、HIPHOPしかないみたいな……。
『ストレイト・アウタ・コンプトン』 [BlackCinema]
『ストレイト・アウタ・コンプトン』を観てきた。
(このページはメモリアルのためにつくっているけれど、今日の分は例外)
先行ロードショーの三日目。
平日の午前中とはいえ、盛況だ。
正直、期待を大きく上回る完成度とパワーに圧倒されっぱなしの、2時間半。
これは、ブラックシネマの頂点を極めたといっていい傑作ではないか。
映画館の大画面と大音響で鑑賞するのがふさわしい作品は、年々ますます少なくなっている。
まして、もう一度、この映画館に来てみたいと思わせるものなんて……。
この作品ほど映画という「環境」の偉大さをストレイトに発信するものは、近年ほんとうに見当たらない。
監督は『セット・イット・オフ』のF・ゲイリー・グレイ。
上画像の後列が、アイス・キューブ、 F・ゲイリー・グレイ、ドクタ・ドレー。
50セントの『ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン』にしろ、ビギー・スモールの『ノトーリアスB.I.G』にしろ、ギャンダスタ・ラッパーの伝記映画(サクセス・ストーリー)に期待するものはあまりなかった。
せいぜいが、CDアルバムの付録につく特典映像みたいなものか。
最近の『ジェームズ・ブラウン』にしても、「偉人伝」の様式になっているところが気色悪い。
しかもその偉人の業績には、いたるところに「ただし黒人の」という注釈が注意深く、しかし目立ちすぎないような細心の配慮をもって刻まれているのだ。
こうしたポリティカル・コレコクネスの産物を、ブラツクシネマと呼ぶことは出来ないだろう。
N.W.A.の軌跡は、伝説をつくる素材に事欠かなかった。
成功とともにやってきたメンバー同士の反目、仲間の早すぎる死、デスロウ・レコードをめぐる数々のスキャンダル、「ファック・ダ・ポリス」への警察組織の過剰反応、ラッパー仲間の内ゲバを煽る興行師……。
もちろん、材料豊富なだけでは、傑作はつくれない。
ここには、監督グレイをはじめとする制作者・出演者の初志がある。
ブラックシネマの原点、N.W.A.(主張あるニガズ)の主張の原点、それを回復しなければならない。
これは、ロス暴動に収斂していった「一つの時代」の回顧ではない。
終わってしまった「伝説の季節」を美化するものではない。
自然と口をついてくる「ファック・ダ・ポリス」の叫びは、まったく現在のものだ。20年前と変わらぬ現在のものだ。
ブラザー、何も変わっちゃいない。
マーク・フォースター『チョコレート』 [BlackCinema]
ジョン・シングルトン『サウスセントラルLA』『ワイルド・スピードX2』 [BlackCinema]
ジョン・シングルトン『サウスセントラルLA』 01年製作
2003年3月15日土曜 VIDEO
タイリース・ギブソン スヌープ・ドッグ ヴィング・レイムズ
『シャフト』のリメイクがあるなど、シングルトンも作品を撮る機会に恵まれなかった。
これは手馴れたストリートの青春もの。
ジョン・シングルトン『ワイルド・スピードX2』 03年製作
2004年4月17日土曜 VIDEO
ヒット作のシリーズ二作目ということで、漫然と観ていた。
DVD特典のメイキングを観て、ようやく監督がシングルトンであることに気づいた。
まあ、主役はチューナップカーなのだけれど。
撮影現場でいかにも楽しそうな監督の姿が印象に残った。
映画館では 観ることのできない特典だった。まあ、たしかに。
このシリーズ、ヴィン・ディーゼルとミシェル・ロドリゲスが復活した第四作から、ハイパワーの戦闘アクションとして、拡大に次ぐ拡大を遂げていく。
戦車も、飛行機も、ドローンも、この連中とスーパーカーの敵ではない!?
次は、宇宙ロケットか。
ボブ・ラフェルソン『ノー・グッド・シングス』 [BlackCinema]
ボブ・ラフェルソン『ノー・グッド・シングス』 02年製作
2003年2月7日金曜
原作はダシール・ハメット「ターク通りの家」。
オー・ノー・グッド、というしかないな。
ハメット独特の不条理感は、このような映画化をこうむることそれ自体の不条理さに換骨奪胎され……。
ってな、意味定かならぬ感想を綴らせる結果になるわけだよ。
ノー・グッド。
コンチネンタル・オプの役をサミュエル・L・ジャクソン。これだけでもびっくり。
ファム・ファタールにミラ・ジョヴォヴィッチは、まあいいとして。
黄色い男に扮したステラン・スカルスガルドの低調さにはがっかりした。
この俳優は『エクソシスト・ビギニング』でやっと真価を見せてくれた。
とにかく国際色豊かな配役はハメット精神にふさわしいものなのだが。
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2015-02-17
アーネスト・ディッカーソン『ボーンズ』 [BlackCinemaスター]
エルドリッジ・クリーヴァーの死 [BlackCinema]
エルドリッジ・クリーヴァーの死
1998年5月1日金曜
『ジャッキー・ブラウン』を観た翌日だった。
元ブラック・パンサー党幹部クリーヴァーの訃報に接した。
後年の思想的混迷の様相は、豊浦志朗『叛アメリカ史』に詳しい。
晩年の生がどんなだったか全く知らない。
半年後の11月15日、同指導者ストークリー・カーマイケルが逝った。
「国内に50、国外に50のヴェトナムを作り出せ」といった派手なスローガンが思い出される。
騒々しくて空疎な「オオボラ」だったのか。
違うだろ。
現在のUSAの状況をまさに「預言」した? のでは?
同じブラックパンサー党の幹部にラップ・ブラウンがいた。お喋りなので「ラップ」の愛称で呼ばれたのだ。
想えば、パンサーの男たちは「ラップな」やつばかりだったんだな。
ストークリーが20年後に生まれていたら、ストリート・ミュージシャン・ラッパーとして頂点に立ったかも。
エルドリッジが演説する映像とかは観た記憶がない。
けれど、アイス・Tやアイス・キューブの「アイス」は、SOUL on ICE からとったんじゃないかな、やっぱり。
ラリー・コーエン『ホットシティ』 [BlackCinema]
1998年7月13日月曜 VIDEO
『ホットシティ』 原タイトル『オリジナル・ギャングスタズ』
――なんとアイス‐Tの第四アルバムと同じ題だ。
ブラック・ムーヴィーの短い歴史が、黒い暴力と黒いセックスをそれ自体としてのみ「黒い仮面」として商品化させられるという屈辱を含みながらも、90年代の黒人自身による表現として全面開花してきた過程に必然的に(?)生まれた不可思議な作品である。
早い話が人物を黒人に置き換えただけの典型的な「現代やくざ映画」。
二十年ぶりに戻ってきた故郷で悪辣な稼業を営むギャングたちを実力でたたきだす元ギャングスタズ。
年のせいでなまってしまった体力を嘆きながらも、あこぎなまねをする新興のギャングたちに対決するセリフもおなじみのものだ。
――おれたちの時代にはこんな汚いマネはしなかった。
カタギに迷惑かけちゃいけねえ……。
パム・グリア、
フレッド・ウィリアムソン、
ジム・ブラウン、
ポール・ウインフィールド、
そして黒いジャガーことリチャード・ラウンドツリー。
すべてブラック・マッチョ時代の往年のアクション・スター。
東映やくざ映画でいえば、鶴田浩二、若山富三郎、菅原文太、高倉健、藤純子のオールスター・キャストの復活のようなもんだ。
かれらが二十年ぶりに荒廃した故郷の街に帰ってくる、これが『ホットシティ』の物語。
かつてのアクション・スターたちが物語で体現する「オリジナル・ギャングスタズ」とは、いったい何者なのか。
かれらの存在は抽象的な正義にすぎない。大衆的なヒーロー像。
しかしアメリカの都市黒人において、二十数年前に在ったマッチョ・ヒーローの像は絶対に抽象に帰すことのできない存在だろう。
かれらは過去からの亡者ではない。
現実の歴史につながる。
現実の歴史につながって、かれらは「自衛のためのブラック・パンサー党」と呼ばれていた集団を呼び戻しているのだ。 ブラック・コミュニティを自衛し、子供たちを麻薬から守り、女たちを暴力から守り、男たちにブラックマンの尊厳を与える集団――アメリカ社会がもはや永遠に失ってしまった理想。
こうした理不尽な夢をブラック・シネマの多くが内包していることを否定する者はだれもいないと思える。
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2015-02-12
クェンティン・タランティーノ『ジャッキー・ブラウン』 [BlackCinemaスター]
クェンティン・タランティーノ『ジャッキー・ブラウン』 97年製作
1998年4月30日木曜
良くも悪くもブラックシネマの一時期は、
タランティーノ・スタイル(というか、タランティーノ=レナード・タッチ)によって幕を閉じられた。
ポストモダン?
脱イデオロギー?
脱ナショナリズム?
脱黒人至上主義?
ヒロインはパム・グリア。
すべての者はブラック・クイーンに平伏すのだ。理屈はない。
70年代の黒人エロ映画でシコシコやって育った悪ガキがハリウッドの頂点に立って、パム・グリア賛歌のやりたい放題をやったわけだ。
ブラック・エロスの女王。
話は原作(エルモア・レナード)のユルさを拡大したようなところがあるし、他の役者も居心地悪そうだったが。
すべてをかっさらったヒロインのドアップに、ボビー・ウーマックの「Across the 110th Street」がかぶってくる。
パムの全身がシャウトする。このラスト。
これだけなんだな。これが映画だっていう瞬間。
だれがなんといおうと映画は女優だ。
この呼吸は、かつての東映任侠映画が藤純子に捧げたオマージュの質と同じ。まったく同じなのだ。
ビル・デューク『奴らに深き眠りを』 [BlackCinema]
『グリッドロック』 [BlackCinema]
『モハメド・アリ かけがえのない日々』 [BlackCinema]
ダレル・ジェームズ・ルート『輝きの大地』 [BlackCinema]
フォレスト・ウィテカー [BlackCinemaスター]
スパイク・リー『ゲット・オン・ザ・バス』 [BlackCinema]
パム・グリア 『コフィ』 [BlackCinemaスター]
パム・グリア 『コフィ』 73年製作
1997年7月23日水曜 試写
ブラック・スプロイテーション・クイーンの伝説的作品。
時ならぬ復活は、
『ジャッキー・ブラウン』公開の前宣伝のため。
クェンティン・タランティーノのプロデュースによるリヴァイヴァルだ。
タランティーノはポストモダンのホワイト・ニグロ。
一昔前のノーマン・メイラーのコピーだ。
その感性はともかく、観続けていたという「不良映画」の質が70年代の東映B級フィルムと見事にシンクロニシティを呈していたことは驚きだった。
そういえば千葉真一(ソニー・チバ)主演のカンフー映画は日本でより以上に、アメリカの黒人観客に人気を博したという。
その「仁義返し」が『キル・ビル』だったわけだ。
パムのブラック・スプロイテーション時代の作品は、その後、多くを観る機会があった。
そのレポートは、いずれ、近いうちに、このページで。
アイス・T [BlackCinemaスター]
ヴィン・ディーゼル 『ピッチ・ブラック』 [BlackCinemaスター]
ヴィン・ディーゼル 『ピッチ・ブラック』 00年製作
2001年7月22日日曜
初主演作の『ピッチ・ブラック』はイマイチのSFだった。
続編の『リディック』のほうがもっとガッカリさせられたが。
真価をみせたのは『ワイルド・スピード』
『トリプルX』でも、まだ巨体をもてあましているようなところがある。
自動車泥棒がスパイにリクルートされるまでの前半を過ぎると、どうでもいいって話に失速していく。
007とシュワルツェネッガー・アクションのミックスで、ディーゼルの個性が際立ってこない。
アーシア・アルジェントとのコンビがわずかに異彩を放っていた。
これも、まあ、たんにバッド・チューニングだっただけかも。
最新作はコメディ『キャプテン・ウルフ』(2006)
これなんかも、シュワおやじがたどった路線の二番煎じの気がするし。
大当たりを待つしかない大物スターだ。
……などと書いたのが、数年前で。
待望の続編『リディック:ギャラクシー・バトル』 (2013)が実現した。
ドル箱となった『ワイルド・スピード』シリーズ。
何の事はない、これが、007のような複合エンタメ・アクションに肥大した。
とくに、ザ・ロックが常連に入った第五作目くらいから。
最新の『ワイルド・スピード SKY MISSION』 (2015)は、仇役にジェイソン・ステイサム。
不死身の相棒役は、リアル世界で事故死を遂げてしまったが……。
まだまだ拡大していきそうなシリーズだ。
ヴィング・レイムズ『ローズウッド』 [BlackCinemaスター]
ヴィング・レイムズ 『ローズウッド』 96年製作 未公開
1998年1月12日 VIDEO
ジョン・シングルトン監督の傑作。
残念ながらVIDEOで観るしかなかった。
体裁は歴史ドラマだが、差別の実相を正面きってあつかうヘヴィな作品は敬遠されたということか。
なんとも惜しいことだ。
ジョン・ヴォイト マイケル・ルーカー ドン・チードル
レイムズといえば、『ミッション:インポッシブル』 シリーズの常連。出番はだんだん少なくなっているが。
準主演で仇役をやると、ピッタリくる。
その意味では、ウェズリー・スナイプスとの殴り合いデスマッチ『デッドロック』 (2002)がベスト。
他に、『サウスセントラルLA』 (2001) 『ドーン・オブ・ザ・デッド』 (2004)
『ザ・トーナメント』 (2009)
ロンドンの街中を「競技場」にした殺し屋オリンピック。
バカっぽいドンパチ映画で「勝ち残って当たり前」の役がよく似合う。
っていうか、「不死身の怪獣ファイター」専門のイメージになりつつある?
『ソルジャーズ・アイランド』 (2012) 『MAFIA マフィア』 (2011)
いや、これは。 観たのを後悔する1本。
マリオ・ヴァン・ピーブルズ [BlackCinemaスター]
マリオ・ヴァン・ピーブルズ
主演作を並べると、これはもう、B級アクションスターそのもの。
しかし、『ハートブレイクリッジ』(1986)で、イーストウッドを喰ってしまった鮮烈さを忘れるわけにはいかない。
それに先立って、『エクスタミネーター2』 (1984)の、気色の悪い悪役があった。
ブラックシネマの時代に監督に進出。
『ニュージャックシティ』『黒豹のバラード』『パンサー』と、記念碑的な監督&主演作を撮った。
『シュリンジ』 (1993)
狼男ホラー・アクション。
B級ぶりが似合ってくるのは、すでにこのあたりからか。
監督・主演作として
『ギャング・イン・ブルー』 (1996) 『ワイルドスティンガー』 (1998) シナリオも担当。
あとは主演のみだが、キヤラクター的には同一。
一定していて、華がない。
『サイバー・ソルジャー』 (1996) 『クレイジー・シックス』 (1998)
『クロッシング』 (1999) 『カリートの道 暗黒街の抗争』 (2005)
その他の作品も含めて「名作」のたぐいは一つもないけれど。
監督をやれば、不器用さが目立つし、演技もだんだんと愚直になっていく。
メッセージ性の強さが「作品性」を弱めてしまう、という典型。
久しぶりの監督・主演作が『バッドアス!』 (2003)
伝説のブラックシネマ『スウィート・スウィートバック』 (1971)制作のインサイド・ストーリーで、おやじのメルヴィン役を演じた。
これがゴールだとすれば、何とも……。
アイス・キューブ 『デンジャラス・グラウンド』 [BlackCinemaスター]
アイス・キューブ 『デンジャラス・グラウンド』 96年製作 未公開
1997年9月22日 VIDEO
未公開作品をVIDEOで観るという機会が増えてきた。
監督は『輝きの大地』のダレル・ジェームズ・ルート
共演はヴィング・レイムズ
テーマは南アフリカとアフリカ系アメリカ人の関わり。
キューブは製作も兼任。
「吊り目のコリアン野郎を叩き出せ」のライムで売り出したラッパー キューブも、俳優としてはまだ大ヒットに恵まれない。
『アナコンダ』『スリー・キングス』『ゴースト・オブ・マーズ』『トルク』など、そこそこのアクション演技しかみせていない。
キューブでなくては務まらないという役は、映画デビュー作『ボーイズン・ザ・フッド』のみなのだ。
残念ながら。
最近は、『バーバーショップ』 (2002)とか、『ライド・アロング ~相棒見習い~』 (2014)とか、コメディのシリーズ作でよく見かけるのであるが……。
サミュエル・L・ジャクソン [BlackCinemaスター]
サミュエル・L・ジャクソン 『187 ワンエイトセブン』 98年10月
よくある「暴力教室」もの。
なかでも、ダントツの後味の悪さで記憶にまとわりついている。
とはいえ、サミュエル・L・ジャクソンの過剰すぎるオーバーアクトが、かえって救いだったような。
後から思い出すと、笑えてくるのが不思議だ。
『パルプ・フィクション』 (1994)
ある意味、最もタランティーノ・スタイルの黒人スターがサミュエル・Lだ。
『パルプ・フィクション』でジョン・トラヴォルタと殺し屋コンビに扮して、無駄口を応酬する移動(任務を果たしに行く)シーンなど。
これはタランティーノがエルモア・レナード小説の映画的タッチを、フィルムに反転させることにみごと成功したシーンでもあるが。
ジャクソンの持ち味を余すところなく切り取った。
アフロヘアのズラが徹底的に似合っていないところも、また得がたい個性なのだ。
後につづく、この人の複雑な陰影とさまざまのキャラクターのすべてはココから発しているような。
ブラック・タフガイの外見で凄んでみせるほど滑稽で笑えてくる。
『シャフト』 02年6月8日土曜
このリメイク版『シャフト』なんかがいい例だろう。
並べてみたのは、オリジナル版『黒いジャガー』(1971)
『ノー・グッド・シングス』 (2002) 『フリーダムランド』 (2006)
作品リストを見なおしてみると、じつにいろいろと多彩に登場しているな。
アメリカ大統領役もあったし。
何を演っても、サミュエル・Lが突出してしまう。
黒いセールスマンとか、ホラー・ホテルの支配人とか、蛇使いの狂信者とか。
フツーでない男をフツーに「地」で演じてしまうので、観るほうの有り難みも目減りするのかもしれない。
『ノー・グッド・シングス』 と『フリーダムランド』。他の作品は、申し訳ないことながら、ごっちゃになっている。