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30年遅れの映画日誌・1981年補遺 [日付のある映画日誌1979-81]

遺失物の保管庫1981年
捜しものは見つかりましたか?

1981.02.05 木曜
『昼下りの決斗』
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1981.02.14 土曜
『女子学園・悪い遊び』
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1981.02.18 水曜
『アバランチ・エクスプレス』
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1981.02.20 金曜
『ロイ・ビーン』
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1981.02.21 土曜
『霧笛が俺を呼んでいる』
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1981.04.03 金曜
『不良番長・口から出まかせ』
『不良番長・猪鹿のお蝶』
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1981.04.04 土曜
『隠し砦の三悪人』
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1981.04.18 土曜
『ミスター・ミセス・ミス・ロンリー』
『赫い髪の女』
『一条さゆり・濡れた欲情』
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1981.05.06 水曜
『愛のぬくもり』
『ラブハンター 恋の狩人』
『OL日記 牝猫の匂い』
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1981?
『ニューヨーク1997』
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1981.05.18 月曜
『アニー・ホール』
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1981.05.20 水曜
『死刑台のエレべーター』
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1981.05.21 木曜
『美女と野獣』
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1981.05.22 金曜
『実録安藤組襲撃篇』
『博奕打ち・いのち札』
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1981.06.24
『ワイルドバンチ』
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1981.07.19 日曜
『明日なき追撃』
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1981.08.29 土曜
『ダーティメリー・クレージーラリー』
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1981.09.30 水曜
『JAWS』
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1981.10.02 金曜
『大いなる眠り』
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1981.10.10 土曜
『タクシードライバー』
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1981.10.17 土曜
『エクスターミネーター』
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1981.10.25 日曜
『沙漠のライオン』
『戦争の犬たち』
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1981.10.29 木曜
『逃亡地帯』
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1981.12.07 月曜
『パルチザン前史』
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1981.12.21 月曜
『名探偵登場』
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30年遅れの映画日誌・1979年補遺 [日付のある映画日誌1979-81]

遺失物保管倉庫
観たことも忘れてしまっていた作品のリスト?

1978.12.13 水曜
『竜馬暗殺』
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1979.02.02 金曜
『ミスター・グッドバーを探して』
『ミッドナイト・エクスプレス』
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1979.02.16 金曜
『賞金稼ぎ』
『赤穂城断絶』
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1979.04.10 水曜
『帰らざる日々』
『サード』
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1979.05.16 水曜
『博奕打ち外伝』
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1979.07.06 金曜
『グローイング・アップ』
『ケンタッキー・フライド・ムービー』
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1979.07.09 月曜
『ひと夏の経験』
『桃尻娘 ラブアタック』
『もっとしなやかに もっとしたたかに』
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ウォルター・ヒル『ストリートファイター』 [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌。三年目。 映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。

 1981年12月27日日曜 曇り
 ウォルター・ヒル『ストリートファイター』

 三鷹オスカー

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 チャールズ・ブロンソン&ジェイムズ・コバーンのコンビが最高。ストリートファイトの腕だけで不況の時代を渡っていく男たちの体臭が臭うロード・ムーヴィー。
 これはヒルのデビュー監督作。当たり外れはあっても、この人の映画はほとんど観ている。『ウォリアーズ』のような単純明快な話がいい。

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最近の『デッドロック』は、黒人・刑務所版「ストリートファイター」だった。
 メインはウェズリー・スナイプスとヴィング・レームズの対決なので、コバーンにあたるマネージャー役がいない点が物足らなかったが、しいていえば、ピーター・"コロンボ"・フォークの役がそれに準じる。人に血を流させて金儲けに励むけれど、どこか憎めない男。


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マーティン・スコセッシ『ラスト・ワルツ』 [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌。三年目。 映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。

1981年10月13日火曜 晴れ

 マーティン・スコセッシ『ラスト・ワルツ』

 新宿

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 正味はコンサート・フィルムでも、これは作家が一生に一度しかつくれない作品だ。

 スコセッシ映画では『ニューヨーク、ニューヨーク』はともかく、『ミーン・ストリート』なんかは、まともに「音楽」映画だったのだと納得する。ゴダール
風にいえば、あるシーンのために特別の曲を選ぶことはそのまま映画を「撮る」プロセスにほかならない。初期のスコセッシは「音楽なしでは生きられなかった
時代」の空気をごく自然に発信していた同時代人だ。

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 これは70年代の退役兵士の詩だ。

 だからなんど観ても青春の甘酸っぱさに陶然としてしまう。「50歳になるまでロックを続けられるか」というロビー・ロバートソンの言葉は、要するに、引き返していく者のセリフだった。それがボブ・ディランとザ・バンドを決定的に、そしてシンボリックに分けた。

 どんな時代にも終わりが来る。
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 30過ぎたらフツウの生活にもどること。映画『ラスト・ワルツ』のメッセージはこのうえなく明快だった。


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マイケル・チミノ『天国の門』 [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌。三年目。 映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。

 1981年10月1日木曜 曇り

 マイケル・チミノ『天国の門』

 銀座

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 『ディア・ハンター』のように感情移入することは難しかった。

 鉄道資本による開拓移民の虐殺テロ。ハリウッド西部劇においてはタブーでありつづけたテーマへの挑戦。――と、そんな公式的な評価にとどまってしまう。

 シネラマ大画面、大音響、大殺戮……。空しく身体のなかに響いて轟きわたる。

 作者の情念過剰がマイナスのほうにばかり拡散し空転していく。

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 『ディア・ハンター』の辛さとは逆に、辛いだけの空虚な映画だった。

 チミノはこれで大コケしたと映画史に残るわけだ。

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 映画のインサイド・ストーリー『ファイナル・カット』を後で読んだ。裏話のほうがずっと面白かったことも、余計に辛かったです。 

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ロジャー・コーマン『血まみれギャングママ』Bloody Mama [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌。三年目。 映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。

ロジャー・コーマン『血まみれギャングママ』Bloody
Mama

 1981年9月4日深夜 自宅

 吹き替え版のCMつきという悪条件にもめげず、収穫であった。

 シェリー・ウィンタースは『陽のあたる場所』といい『狩人の夜』といい、気の毒な殺され役のイメージが強かったけれど、機関銃を撃ちまくるオニババに大変身。四人の息子をギャングに育て上げた中年太りの貫禄は感動モンだ。人間バケルものですな。

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 長男役のブルース・ダーンも良かったが、なんといっても末弟役のロバート・デニーロである。クスリ漬けでハイになってチャップリン・ウォークを見せるところなんか泣かせるね。まだ無名だったスターがコーマン・プロの低予算映画で魅せる、溌剌たる「勇姿」に大満足。
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 しかし映画館に行ってない期間が何ヶ月になったのかな……。

 81年の5月までは快調に本数を消化していた。ところが、後半から翌年にかけて執筆スケジュールがタイトになった結果、惨憺たるアベレージに転落したんである。


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土本典昭『水俣の図・物語』 [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌。三年目。 映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。

1981年6月24日水曜 晴れ
 土本典昭『水俣の図・物語』

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 水俣サガ外伝となるのか。良くも悪くも芸術家ドキュメント。作り手にとって「水俣の季節」は終わってしまったのだということを知らされる。

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 この何年か前、京都で、「土本プロ水俣全作品」上映プラス「ユージン・スミス水俣写真展」の合同イベントに少し関わったことがある。映画会場は京大西部講堂、写真展会場は京都会館。
 短い期間だったけれど、貴重な体験をさせてもらった。


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鈴木清順 『殺しの烙印』 [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌。三年目。 映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。

1981年5月28日木曜 雨
鈴木清順
『けんかえれじい』
『殺しの烙印』『悪太郎』

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 新宿
 清順大会、三連打であった。
 これで『東京流れ者』があれば……。と、空を仰いだ。

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松田優作『ヨコハマBJブルース』&杉本美樹『0課の女・赤い手錠(ワッパ)』 [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌。三年目。 映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。

1981年5月18日月曜 曇り
 工藤栄一監督・丸山昇一脚本・松田優作主演『ヨコハマBJブルース』

 野田幸男監督・杉本美樹主演『0課の女・赤い手錠(ワッパ)』
 宇都宮


 宇都宮の映画館までわざわざ行ったのではなく、宇都宮の友人を訪ねたさいのロスタイムに映画館に入ったのであった。


 二本とも、すっかりカルト・フィルムになってしまった。

 初代「ゼロ課の女」は74年の作品。あの頃の東映プログラムは洩らさず観ていたはずなのに、なぜ見逃したのか、理由はとんと思いつかない。懐かしいような不思議な感情にとらわれた。

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 しかし作品そのものは、杉本美樹が出ているという他、まったくヒデーもんだ。良識の欠如は、東映二本立て路線の「B面」番組の基調だからいいとしても、
リンチ・シーンのえげつなさには吐き気がした。明らかに「連合赤軍事件」の兄弟殺しをなぞっていることがわかるだけに余計おぞましかった。

 『BJブルース』は、優作の異色作になるようだ。「遊戯」シリーズとはあまりに違う軟弱イメージに戸惑ったけれど、こちらのほうが素顔に近いのだろう。丸山脚本のとぼけたハードボイルド・タッチともどもなかなかのダンディズムだな。

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フォルカー・シュレンドルフ  『ブリキの太鼓』 [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌。三年目。 映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。

1981年4月28日火曜 晴れ

 フォルカー・シュレンドルフ

 『ブリキの太鼓』

 新宿

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 この年観たベスト作。
 理屈は無用。グロテスク・リアリズムをとことん堪能した。ああっ。
 ニュージャーマンシネマの時代が始まっていた。

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ティント・ブラス『サロン・キティ』 [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌。三年目。 映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。

 1981年4月6日月曜 雨

 ティント・ブラス『サロン・キティ』  新宿

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 スケベ大王ブラス、何を勘違いしたか。ヴィスコンティの向こうを張ったかのような歴史ドラマじゃった。
 ヘルムート・バーガーがなにか可哀相???

 初公開はこの二年前で、タイトルも『ナチ女秘密警察/SEX親衛隊』
 洋エロ専門館配給だったから、さすがにチェックできなかった。こっちのタイトルのほうが観客も勘違いせずに済んで良かったのでは……。

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 この時期のブラスはどうも評価しかねる。最近の作品のように、ただのエロ作家に徹する潔さが欠けていたのだろう。
 次作(一般公開はこちらが先)がハリウッド製史劇(ローマ皇帝役のマルコム・マクドゥエルだけは観る価値あり)のような『カリギュラ』。
 次々作が大谷崎原作の『鍵』。
 いったいどういう位置にいる作家なのか、あるいはただの山師めいた三流なのか。さっぱりわからなかった。

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 今ならわかる。アメリカにラス・メイヤーがいるなら、イタリアにはティント・ブラスがいる。

 日本には? 一芸に邁進する作り手はいるか。

 画面も無数のボカシでずたずただったもんな。しまいに目がちらちらしてくるし。こうした苛苛感、焦燥感の不健康さは、体験していない人には説明しにくい。

 この手の野蛮な修正はまだまだ洋エロの世界を支配してやまないのであった。


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サム・ペキンパー『ワイルドバンチ』 [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌。三年目。 映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。

 1981年3月29日日曜 曇り
 サム・ペキンパー『ワイルドバンチ』

 浅草六区

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 サム・ペキンパー『ワイルドバンチ』。
 この映画を観るのももう十回目。
 東京では初めてだ。
 最初に観たときの、胸の悪くなるような衝撃。何度も観るにしたがって、それは詩情に高まっていった。何度も何度も観て、一つひとつのシーンを心に刻みつけるように没入した。


 併映は、ペキンパーの悪作『キラーエリート』と、フランコ・ネロ主演の『サハラクロス』。



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ウィリアム・フリードキン『クルージング』 [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌。三年目。 映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。

1981年3月28日土曜 晴れ

 ウィリアム・フリードキン『クルージング』

 新宿

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 夜の真っ黒な影とハードゲイの風俗。アル・パチーノの潜入捜査官をそこに投げ入れると……。

 意図は鮮明なんですがね。それに知らない世界の刺激も強烈だし。

 パチーノはギャングが似合うのか、刑事が似合うのか、はたまたゲイに変装してゲイに開眼する不安なナイスガイが似合うのか。いろいろと混乱しますな。『セルピコ』みたいに、シンプル至極な正義派のメッセージのほうが疲れないことは確かだ。

 まあ、わたしはきわめてミーハーなだけの、スクエアな身持ちの人間ですな。



 この日は他に、横山博人『純』大島渚『青春残酷物語』をはしご。一日分の映画体験としてはシーサンパラパラ。こんな日もありますか、ってことで。


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マーテイン・スコセッシ『ミーン・ストリート』 [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌。三年目。 映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。

 1981年3月23日月曜 曇り
 マーテイン・スコセッシ『ミーン・ストリート』
 三鷹オスカー

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 観逃していた『ミーン・ストリート』をやっと観た。
 併映は『タクシー・ドライバー』。こちらは三度目くらい。名画座ならではの組み合わせだ。
 基本的には、ハーヴェイ・カイテルの映画。脇のジョニー・ボーイ役のロバート・デニーロの印象も強い。知性のかけらもなく、したい放題に暴れまくって自滅していくチンピラ。いつの時代にもある、漂流する青春の暴力ドラマ。

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 それが共振してくるのは、画面を占拠する70年代ロックの響きなんだろう。


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ロマンポルノの名作再見 [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌。三年目。 映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。

1981年3月22日日曜 曇り
 西村昭五郎『団地妻 昼下がりの情事』

 近藤幸彦『女高生レポート 夕子の白い胸』

 山本晋也『未亡人下宿 あの道この道教えます』

 新宿

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 『昼下がりの情事』と『夕子の白い胸』は、日活ロマンポルノのトップを切る二作。
 71年の11月と12月公開。
 ロマンポルノは路線としては続いていたけれど、すでに「歴史」になりつつあった。今さら、感想はなし。
 『未亡人下宿』シリーズは、たこ八郎のための映画だった?
 山本晋也のピンク映画監督キャリアのデータはここ
http://www.jmdb.ne.jp/person/p0150530.htm

8104.jpg白川和子の右手首のあたりの「ブラック」が墨塗りされている塗り跡。


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『レイジング・ブル』に震えた [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌。三年目。 映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。
 1981年2月23日月曜
 マーティン・スコセッシ『レイジング・ブル』
 新宿
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 ぶるぶると震えがくる映画だった。
 デニーロ&スコセッシ、最高の達成だ。
 思えば、スコセッシがまだ「スコシージ」と表記されていた頃から、この作家の歩みを追いかけていたんだな。まるで自分自身の七転八倒を重ね合わせるみたいに。
 

 スコセッシ・ベストは
 『レイジング・ブル』
 『明日に処刑を……』ボックスカー・バーサ
 『ミーン・ストリート』
 この三本がベスト。『タクシー・ドライバー』は別格というところ。あまり「らしくない」作品だ。

 『明日に処刑を……』には、スコセッシのすべてが詰まっている。貨物列車(ボックスカー)の壁面に磔刑に処せられたデヴィッド・キャラダインにキリスト像を暗示させるモチーフ。それよりも、彼に追いすがって走るバーバラ・ハーシーが忘れられないです。

 30年代ノスタルジア路線の一本。『俺たちに明日はない』に始まって、『ボウイ&キーチ』もそうだし、ウォルター・ヒルのデビュー作『ストリートファイター』もそうだった。


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マルセル・カルネ『天井桟敷の人々』 [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌。三年目。 映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。

 1981年2月14日土曜
 マルセル・カルネ『天井桟敷の人々』

 新宿文化シネマ2

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 伝説のフィルムをニュープリント版で観る。

 アルレッティとか若き日のジャン=ルイ・バローとか。この映画でしか知らない俳優も含めて、スターの映画ではなく、スペクタクルの映画だ。二十世紀の大衆大通りの、モブシーンのための映画なんだな。

 戦争に負けて映画で勝った国フランス。作品は永遠に残るから、なるほどこれが民主主義の勝利だ。

 三時間をこえる上映。インターミッションをはさんだ「映画館体験」、至福の映画時間に身をまかせて、言葉もなくただただ溜め息。

 いいなあ。

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鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』 [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌。三年目。 映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。

 1981年2月5日木曜
鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』

 有楽町 日劇文化

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 申しわけない。この映画はダメだ。
 作品がではなく、こちらの鑑賞力のいたらなさ。
 イメージの断片をとりまとめることができないまま、幕が下り、劇場の外に押し出された。寒かったです。
 二度三度と観れば、何かの言葉も浮かんでくるのだろう。ところが、もう二度と観たくないという気分のほうが強かった。清順映画と相性は悪くないはずなのだけれど。


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スタンリー・キューブリック『シャイニング』 [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌。二年目。  映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。

 1980年12月
 スタンリー・キューブリック『シャイニング』

 吉祥寺

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 期待外れ、というのが正直なところ。
 原作の初期キング本特有の、ベビーブーマー世代の濃厚な自己形成物語なんて、キューブリック様にとってはクソ以下だったんだろうが。
 監督の内面のほうがホラーな場合、作品はアンチホラーになるってこと?

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 しかし、シェリー・デュヴァルの顔は怖かったな。
 底なし沼のようにパカッとあいたムンク叫びの口。だけど本当に怖いのは、「何か」を怖がっている眼なのだ。観客にとってはちっとも恐ろしくないドラマの状況をひたすら怖がっている眼。きっと、ニコルソンを狂騒的なオーバーアクトに追いこんだ天才キュブ様の妄執が怖かったんだろうな、と思うことにした。
 ニコラス・レイ『夜の人々』のアルトマン・リメイク『ボウイ&キーチ』の印象しかなかった。顔がアップになるだけで「怖い」スターなんて絶無じゃないか。


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前途多難とはいうも、低迷はつづき [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌。二年目。 映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。
 ところがこの年度の手帖だけ消えていて……。日付は欠損。パートカラーで失礼。

 べつに多忙だったわけでもないのに余白だらけ。本数も異常に低下した1980年。
 この年、おそらく50本にも達していないのでは……。

 話題作だから観た『クレイマー、クレイマー』
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 スティーヴ・マックィーン『トム・ホーン』
 マックィーン遺作『ハンター』はもう少し後に観る。
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 石井聰互『狂い咲きサンダーロード』
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 ティント・プラス『カリギュラ』
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 アンジェイ・ワイダ『大理石の男』
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 何回目かのスタンリー・キューブリック『博士の異常な愛情』『時計じかけのオレンジ』 
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 記憶に引っかかってくるのは、これくらい。
 低迷はつづく。翌年、翌々年は、執筆生活のあおりで、やはり百本にとどかず。


 父親が死んだのが、三月。
 危ないと伝えられて京都にもどった。医師はなにやら不明快なことしか言ってくれない。今日明日の心構えはしておいてほしいが、あんがい長引くかもしれないなどと。
 他のことはひとまずおくとしても、かかった医者に関してはとことん運のない人だった。最後までヤブに当たったらしい……。
 臨終に立ち会うことはできた。大量の濁った血をごぼりと吐いて、それが絶息の瞬間だった。喉につかえてくる痰や血を自力で取り除けられなくなっていた。命が尽きたので、下水管から溢れる汚水みたいに血痰が飛び出してきたのだ。
 最初に降りてきたのは「やっと死んでくれた」という想いだった。64歳だったが、とうに壊死して久しかった。じっさいの死は目に見えるゴールだったにすぎない。
 とはいえ、現実にはそうも簡単に片づかないことばかりで……。


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テオ・アンゲロプロス『旅芸人の記録』 [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌。二年目。 映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。
 ところがこの年度の手帖だけ消えていて……。

 79年 or 80年 (岩波ホール)??
 テオ・アンゲロプロス『旅芸人の記録』

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 三回観た。
 四時間のフィルムを観るために三回通った。

 映画館を出ると、現実の風景が映画のように見えないので苛立たしくなることが稀にある。

至福の映画体験はそんなふうにして無惨に打ち破られる。



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フランシス・コッポラ『地獄の黙示録』 [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌。二年目。 映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。

1980年2月24日日曜
 フランシス・コッポラ『地獄の黙示録』
 有楽町 有楽座 11時50分の回

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 壮大きわまりないアホ大作。「映画は戦争だ」を逆転して「戦争は映画だ」の時代の先駆けとなった。

 コッポラにはまだ反省があったが、そのうち反省も抜け落ちスペクタクルだけが前面に出る。そして……戦争も映画も区別を喪ったアメリカ型グローバリゼーションが常態となり、「9.11」をむかえるのだ。 



 「戦争=映画」という壮大な愚挙を空疎としりぞけられない点がまことに辛かった。それどころか、涙が流れてならなかった。

 つまりわれわれがアメリカの戦争と無縁ではありえないアジア人であることを、画面からいやおうなく知らされるからだ。ドアーズの「ジ・エンド」やワグ
ナーの「ワルキューレ騎行」をBGMにした、戦闘ヘリによる超低空爆撃と銃撃。羽虫のようになぎ倒されるヴェトナム農民たちに、たしかに、B29に追われ
る自分の背中を重ね合わせてしまった。空襲のときに生まれてもいないわたしのうちに、惨禍の記憶が眠っていると感じたのだった。

 スクリーンと戦場との境目が消えていく予兆だったのか、この映画は。

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ライナー・ファスビンダー『マリア・ブラウンの結婚』 [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌。二年目。 映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。


 1980年2月……
 ライナー・ファスビンダー『マリア・ブラウンの結婚』

 新宿

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 ファスビンダー作品、一般公開としては初めて。しかし『リリー・マルレーン』もそうだが、この人の社会派路線は、もうひとつネジがゆるい。
 数年後にどさどさッと観る機会があり、詳細はその項目に。


 死してなおカリスマだ。『ベルリン・アレクサンダー広場』の一挙上映という暴挙(?)にはびっくりしました。  




 武蔵境での暮らしも落ち着いてきた。

 アパートの二階で、下の部屋の暖房がオンドル効果になっていたのか、ずいぶんと暖かい部屋だった。東京の冬はこんなに過ごし易いのか、と感心することしきり。


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アンジェイ・ワイダ『灰とダイヤモンド』 [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌。 映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。

 1979年11月2日金曜
 アンジェイ・ワイダ『灰とダイヤモンド』
 新宿東映
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 チブルスキーのマチェックにまた逢いたくなった。
 テロリストの無念と滑稽。暗殺も祖国への想いもすべて徒労に終わり、サングラスの奥には空洞があるばかり。
 ポーランド映画の名作は、だいたい自主上映で観てきていた。一般館での上映だと違った気分にもなる。
 マチェックに青春を重ね合わせることのできた世代はわたしよりずっと上だ。

 考えてみれば、ポーランドの戦後初期の混乱を描き、冷戦状況の只中につくられたこの映画は、前後数十年の幅で広範な影響力を持った。80年代にさしかかり、同国は「連帯」の運動によって大きく変貌を遂げようとしていた。
 ワイダもその渦中に飛びこんで『大理石の男』『鉄の男』をつくることになる。『灰とダイヤモンド』の時代は終わりを告げようとしていた。

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 イェジー・アンジェイフスキーの原作は、数多くの過誤と悲劇のエピソードの集積だ。マチェックの物語はその一つを構成するにすぎないけれど、灰と瓦礫におおわれた故国を象徴する力を持った。持ちつづけた。


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スタンリー・キューブリック『2001年宇宙の旅』 [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌。 映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。

 1979年11月1日木曜
 スタンリー・キューブリック『2001年宇宙の旅』

 渋谷

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 二度目の正直、というか。
 ところが、またしても、しっかり眠ってしまった。
 宇宙飛行士の出てくる映画は必ず眠ってしまうというクセが出た。スクリーン上のロケット操縦室と映画館の座席が心地よくシンクロするらしい。

 またの機会に……。


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30年遅れの映画日誌・番外 幻の曲馬館レコードをふたたび聴く 3 [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌・番外 幻の曲馬館レコードをふたたび聴く 3
 『地獄の天使』は、最初の東京公演で、主役の二人が相次いで重傷を負い、以降の日程もいったん白紙にもどりかけたことがある。

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 クライマックスに車を炎上させる見せ場は、京大西部講堂で、いわば偶然に実現した。セイブのメンバーが愛用の「軽」を廃車にするという。そこから「ほたらその汚いNコロ、芝居のなかで燃やしてまえ」と飛躍した。
 炎上といっても、火炎瓶を叩きつけ、「劇中」で炎につつまれるシーンを観せるだけだ。
 旅公演の自然な勢いで「劇作品」がエスカレートしていくのは、こんなふうに通例だった。西部講堂公演以降、自動車の炎上は定番のシーン(バイカーがテントの周囲を「爆走」する設定も加わった)となる。

 数カ月の後、それらのエスカレートの質が、集団の存続をゆるがすような原理的な批判にさらされることになろうとは?


炎の舞踏会
詞 翠羅臼  曲 中進一  ボーカル 鬼河原屍



雨の降る品川駅
詞 なかの・しげはる  曲&ボーカル 桜井大造


燃ゆる難破船
原詞 アルチュール・ランボー  曲 夏稲明  唄 曲馬館

(最後の二曲は『海峡伝説――道化と鞦韆(ブランコ)』の劇中歌。オリジナル盤では連続しているが、ここで分離したのは、ファイル容量の問題から。深い意味はない)。


 おれが一番好きなのは『道化と鞦韆』なのだろう。


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30年遅れの映画日誌・番外 幻の曲馬館レコードをふたたび聴く 2 [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌・番外 幻の曲馬館レコードをふたたび聴く 2

 風を喰らって時は天井知らずのまま。
 布川徹郎は、さっと逝ってしまった。

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 時間が逆行してぐるぐる行きつ戻りつしてるイメージをぴったり当てる言葉はないかな――。
 フィルムはすでに回りだしていたが、監督は、タイトルを考えあぐね、だれかれとなく訊いていた。酒を飲むと、酔わないうちに必ずその話題が出てくる。お鉢がこちらにもまわってくる。
 「何か思いつかないか、物書き?」
 おれは「昭和の迷路」にこだわっていた頃。昭和の迷路じゃ呪文にはなっても、映画タイトルじゃないし。
 「風ッ喰らい」は『地獄の天使』の芝居のなかにあった科白。それ以上のタイトルは出てこなかったようだ。

 けれども、映画監督という人種は、相手を常に被写体として、フレームの枠におさめて見ているのだな。それを気づかせてくれたエピソードについては、そのうちどこかに書いておくつもりだ。



サーカスの唄'77
詞 中原中也  曲 夏稲明  唄 曲馬館



さようなら
詞 中原中也  曲 猪狩芳清  唄 曲馬館


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30年遅れの映画日誌・番外 幻の曲馬館レコードをふたたび聴く 1  [日付のある映画日誌1979-81]

30年遅れの映画日誌・番外 幻の曲馬館レコードをふたたび聴く
1 

 芝居は空中に消えていくものだ。だから、今の瞬間のおれたちを見てくれ。
 ――何度となく役者からそう聞かされた言葉だ。
 芝居公演とはべつにレコード盤『夢魔と狂騒』が制作されたのは、やはり、記録にとどめておこうという方向の模索だった。それは、機関紙『曲馬館通信』とは別個の情宣活動だったといえる。

 四畳半的な環境で音量をしぼってこのアルバムを聴いても、芝居の「感動」はよみがえらない。わずかに、その「記憶」それのみが回復してくるにすぎない。初めてこの盤によって曲馬館という存在を知る者の脳髄にどう響くのか。それはわからない。想像したくもない。

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 1979年の冬に保谷の稽古場(木造藁ぶき)が全焼した。翌日、焼け跡に行ったさい、レコード盤の在庫が融解した残骸を見つけて、胸を突かれた。「まだ残っていたのか」と想うと同時に、しばらく前まで半年ほど稽古場で寝起きしていたにもかかわらず、それが在ることを気にもとめなかった事実に思いあたったのだ。
 その感傷は、焼け跡に立ち尽くす無残さをさらに募らせて止めどなかった。

 近年、CDで復刻されたことは知っているが、購入はしなかった。

 ここにデジタル化した曲は、ほとんどアルバムのなかのソロ。全21タイトルの半分にもみたない。ソロ曲といっても、千代次、美希、百合ら女優のものは、結果的に外れてしまった。

泪橋エレジー
詞 翠羅臼  曲&ボーカル 桜井大造



サーカスの唄'74
詞 中原中也  曲 桜井大造  ボーカル 大谷蛮天門

 (レコード盤の針飛びがそのまま。ごめん)


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時は逆流し、風に逆らった我らの往く道は [日付のある映画日誌1979-81]

 30年遅れの映画日誌。

 布川徹郎『風ッ喰らい時逆しま』

 1979年9月13日木曜 恵比寿 シネプラザ試写室


 完成作を観るのもすでに何回目か。
 監督布川徹郎、撮影・編集長田勇一。
 78年曲馬館『地獄の天使』  東京京都大阪沖縄旅芝居興行に併走したドキュメンタリー・フィルム。
 チラシの色調が画像にはよく反映されていない。

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 布川の代表作は『バスター・オン・ザ・ボーダー 幻の混民族共和国』になるだろう。ここから豊浦志朗『叛アメリカ史』船戸与一『非合法員』が生まれた。
 わたしが好きなのは最初の作品『沖縄エロス外伝 モトシンカカランヌー』のほうだ。

 竹中労や平岡正明といった怪物の圏内から出発した布川は、船戸与一という別種の怪物を誕生させる触媒となった――といえる。ドキュメンタリーに関する嗅覚では一流のものがあった。




 この作品にたいする不満を説得力あるかたちで展開できた者はおそらくだれ一人いなかったに違いない。『風ッ喰らい時逆しま』がこうむった不公平は作者としては受け入れがたかったろう。「解体」状況にあった曲馬館のなかで非難が布川個人に集中してしまった事実はたしかにあった。その意味では、布川と曲馬館の関係は最終的に名状しがたい「不幸」を結実させて終わった。しかしあの時期、「不幸」でない関係などあったろうか、とも思う。

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 芝居の記憶は残っているが、それは不定形な混沌にすぎない。かたちとして残っているのは、写真とかフィルムとかレコード盤とかだ。『風ッ喰らい時逆しま』は決して芝居に従属した記録映画ではないけれど、他ならぬ作品の自立性を問われたときその弱さを露呈した。しかしその脆弱さとは、曲馬館という集団に深く内在していることがやがて了解されてきた。 
 この作品にたいする不満を説得力あるかたちで展開できた者は集団のなかで一人もいなかった。
『風ッ喰らい時逆しま』がこうむった、こうした不公平は作者としては受け入れがたかったろう。集団の重力が衰える時、その成員のエネルギーはマイナス・ポイントの点検に向かう。マイナスはたいていは個人の傾向に表われるものとして認識される。この時期、集団によって批判の対象として選ばれた個人(集団の成員)は少なくない。

 

 

 


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マイケル・ホイ『ミスター・ブー』 [日付のある映画日誌1979-81]

 30年遅れの映画日誌。映画を観るためには映画館に出かけるしかなかった時代に。
 1979年9月15日
 マイケル・ホイ『ミスター・ブー』
 テアトル新宿

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 『ミスター・ブー インベーダー作戦』と二本立て
 笑った笑った。79年度のベスト作。
 厨房でジョーズ男とブーが一騎打ちするカンフー・アクションが最高。長大な腸詰を振り回して防戦するブーの武器はジョーズ男に食いちぎられて、どんどん短くなっていく。ちょうどヌンチャクの短さになったとき、俄然ブルース・リー状態に変身したブーの反撃が始まるのだ。
 詳細は、平岡正明の『香港喜劇大序説―香港中国人によるもうひとつの文化大革命』『キネマ三国志』などを参照のこと。名著である。

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 シリーズは次の四本をはじめ八作。

 鬼馬双星 Mr.BOO! ギャンブル大将 Games Gamblers Play 74 79年三作目として公開

 半斤八両 ミスター・ブー The Private Eyes 76 79年3月シリーズ初公開

 Mr.BOO! インベーダー作戦 The Contract 78 79年二作目として公開

 新Mr.BOO! アヒルの警備保障 Securly Unlimited 81 82年公開

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 平岡によれば、許冠文マイケル・ホイは70年代香港の現実を暴力ではなく喜劇に転倒させることによって暴き立て、世界性を獲得した、ということだ。
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