ボーン・イン・ザ・USA [30年遅れの映画日誌1989]
アレックス・コックス監督、ルーディ・ワリッツァー原作・脚本、エド・ハリス主演『ウォーカー』
1989年1月8日日曜 歌舞伎町
USAから中米「衛星国」へと「粗製濫造ー派遣」されたエージェント独裁者の物語。
19世紀の話は「過去」になっていないという皮肉。
原作本の翻訳(ヘラルドエンタープライズ)は、すでに入手困難な状態のようだ。
野谷文昭の序文、今福龍太の解説と、しごく生真面目なつくりなので、流通していないのは、残念である。
参考サイト→
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=2345
この日はもう一本。
ビル・コーチュリー『ディア・アメリカ 戦場からの手紙』
ヴェトナム反戦記録フィルム。
ショートタイマー(短期従軍兵士)たちの戦場からの手紙によって構成される。
ナレーションを担当するスターの豪華さ。
バックに流れるロックの郷愁。
やはりブルース・スプリングスティーンの「ボーン・イン・ザ・USA」が、この映画のためにつくられたかのように、いつまでも鳴り響いている。
ロッセリーニ&バーグマン『ストロンボリ 神の土地』 [30年遅れの映画日誌1988]
『ロボコップ』初代 [30年遅れの映画日誌1988]
チャン・イーモウ『紅いコーリャン』 [30年遅れの映画日誌1988]
シャーロット・ランプリング『蘭の肉体』 [30年遅れの映画日誌1988]
ゴダール&バルドー『軽蔑』 [30年遅れの映画日誌1988]
『ビッグ・バッド・ママ2』 [30年遅れの映画日誌1988]
マンゴー頭に針千本 [30年遅れの映画日誌1988]
ターミネーターの次はロシア人 [30年遅れの映画日誌1988]
フィリピン映画祭 at 大蔵村 [30年遅れの映画日誌1988]
フィリピン映画祭 at 大蔵村
1988年7月29日-31日
マイク・デ・レオン『シスター・ステラL』
ペゲ・ガリアーガ『バッド・バナナーズ』『金・銀・死』
マリル・ディアズ・アバヤ『モラル・カルナール』『ベビー・チナ』
アボデラ・クルーズ『よろこびの神秘』
リノ・ブロッカ『マニラ 光る爪』 74年 エドガルド・M・レイエス原作
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2014-12-20
マイケル・チミノ『シシリアン』 [30年遅れの映画日誌1988]
「アジア映画の新しい波」 [30年遅れの映画日誌1988]
イシマエル・ベルナール『彼女の選択』 フィリピン
メイベル・チャン『秋天的童話』 香港
エドワード・ヤン『恐怖分子』 台湾
1988年6月19日日曜
「アジア映画の新しい波」と銘打ったホール上映
もう一本は ベイ・チャンホ『ディープ・ブルー・ナイト』 韓国
これは何年か前に観た。
『秋天的童話』(秋の童話)は後に、 『誰かがあなたを愛している』のタイトルで一般公開。
ノワールの人気スター チョウ・ユンファの本領がよく出たシリアス・コメディだったが、ヘンなタイトルで一般化してしまった。
『ディープ・ブルー・ナイト』にも共通する在米アジア人の辛苦がテーマ。
ほぼ同時に、台湾映画のホール上映、『ディープ・ブルー・ナイト』の単館ロードショーがあった。
やっと『ブラック・サンデー』 [30年遅れの映画日誌1988]
バラード-スピルバーグ-大日本帝国 [30年遅れの映画日誌1988]
VHS日誌だけれど [30年遅れの映画日誌1988]
このリストはもう、 VHS日誌。
日付の意味も薄れてくる。
ビデオデッキはけっこう、壊れては買い替えての連続だった。
作品「上映」を実行するビデオデッキが映画館以上に「お友達」だった時期があったわけだが、機械は機械。
どこのメーカーのどの型が特別ナイスだったと憶えているような思い入れは、まったくない。
ソフト(テープ)もハード(マシン)も、すでに骨董品あつかいだろう。
身近な製品の多くが、10年にみたないサイクルで「死んで」いく。
想えば、長生きしてきたもんだ、と下らない感慨につつまれる。
いま持っているビデオデッキは、中古品を捜しまわって買ったものだが、稼働するのは年に一度くらい。
このまま、我が家でいちばん長命なビデオデッキとして残るのだろうか。
映画館時代の終わりの始まり [30年遅れの映画日誌1988]
1988年3月
このリストのうち、試写と映画館は、それぞれ一本ずつきり。
やたらと本数が多いのは、レンタルビデオ習慣がはじまった時期を示している。
〈洪水はわが魂にもおよび〉
当時はまだ、一泊二日のシステムで、VHSを観終わって、テープを巻きもどし、翌日に返却して、べつの作品を借りてくる、というサイクルだった。
週末は一日分延長になるので、ついもう一本借りることに。
いやでも毎日観るから、本数はやたらに増えるわけだ。
新作よりも、「ビデオでもういちど観たい」が新鮮な体験だった頃。
ビデオショップは、小さな店が出来ては短い期間で閉店していくのが通例。
そのたびに、入会金300円とかが無駄になって無常観にとらわれるのであった。