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ゆきゆきて奥崎 [30年遅れの映画日誌1987]

 1987年6月18日木曜 晴れ
 原一男『ゆきゆきて神軍』 新橋 試写

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 画面上で観るかぎり(そのかぎりにおいて)、奥崎謙三という存在は最高に光り輝いていた。
 奥崎の「思想」にとってドキュメンタリー・フィルムとは最適なメディアだったようだ。
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 ただし作品自体には思想はまったくない。
 想像を絶してはた迷惑な人物にふりまわされる苦痛に直面するとき、この作り手の創造性は猛然とかきたてられてくるらしい。
 『極私的エロス 恋歌1974』から一貫している。
 その意味では、原一男と「主役」奥崎との出逢いはまさしく一期一会といったものだろう。

 作者は、奥崎の思想を抽象的なレベルにおいては、かけらも理解していない。
 共感できなかったことは当然としても、この徹底した非理解ぶりには合点のいかないところがある。
 もっとも無理解だからこそ作品の独特な緊張度が得られたわけだが。
 (主役との疎隔感は、井上光晴の晩年を撮った『全身小説家』においても、変わらなかったようだ)。
 偶然の所産にしろ、これは原のベスト作だ。これ以上の作品は望めない。
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 個体としての奥崎は最近、生存を止めた。
 奥崎死すとも『神軍』は残る。
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