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石井隆『死んでもいい』 [afterAtBL]

  ラスト・シーンがすべてだ。
 いや、これはシーンですらない。一つのポートレート、静止画だ。映画の最終出口だ。
 煙草をくゆらせながら一筋涙を流す女、大竹しのぶのストップ・モーション。これで映画は終る。このワンカットを追いつめてくるために映画のすべてはあった。

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 ああ、これで充分だと納得した。
 ここに至るまでの映画の全時間は要するにおまけだった。だがまさしくここまで追いあげてくる映像の運動は運動としてあったのだろう。
 このカットだけでも石井隆、健在ナリといってやりたい気がした。まさしくこれは映画的感動なのだろう。

  西村望原作による石井脚本監督映画ときては、観る前からさぞかし薄暗いネトネトした執念深い話だろうなと、うっとうしかった。
 大竹しのぶが土屋名美という名の女を演じるのはミス・キャストではないか、と観ながらもずっと思っていた。雨、出会い、強姦…。と、一応、石井ドラマの定石はそろってくる。だけどどうやってこの人妻が「土屋名美」になりおおせるのか、合点がいかなかった。
 話はどういじくっても三角関係、不倫ドラマでしかない。若い間男(永瀬正敏)は石井劇画の強姦男のイメージには少し可愛すぎるし、夫役の室田日出男はやはり芸達者すぎて、不倫ドラマの被害者役をいかにもうまく四畳半ドラマの枠組みで演じきってしまうのだった。

  大してこんなものは、わたしは観たくないのだ、と思いつつ、芸達者によって仕方なく観せられるという進行。最初の関係は、モデル・ハウスの屋内。一度やってみたいな、という市民的欲望をくすぐるようにも、この強姦シーンはほとんど合意的和姦。
 暴力的局面なんてものではない。逃げようとして開けた窓のそばに押し倒されて、吹きこんでくる雨に濡れる床面が、唯一のそれらしい書き割り。
 起き上がると髪の毛からびちゃーと水がたれて、もう一発は二階でしっぽりやろうと女がさそうところでドラマはもう「火曜サスペンス劇場」不倫篇に移行してしまうみたいだ。
 女性主導の第二ラウンド、週刊誌が書きたてるほど激しくはないベッド・シーン、さて終わって一服していると亭主が早速「現場」にふみこんでくるという展開。要するにどうしようもなく日常的なのだ。

  大方こういう、とくに観たくもない進行で、――ラスト・シーンになってやっと救われた。

『ミュージックマガジン』 1992.11
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