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トルコ映画『鉄の大地 銅の空』 [afterAtBL]

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  制作ヴィム・ヴェンダース、撮影ユルゲン・ユルゲスとドイツ人の協力を得てつくられたトルコ映画。
 ズルフュ・リヴァネリの第1作である。ユルゲスはモロッコ人移民労働者と初老のドイツ女とのデスペレートな純愛を描いたライナー・ファスビンダー作品『不安と魂』のカメラマン。
 リヴァネリはユルマズ・ギュネイの『群れ』『路』などの音楽で知られていた。
 ギュネイ作品を紹介しながら獄中にあったギュネイに取材したドイツ映画『獄中のギュネイ』を観た限りでは、ドイツとトルコの映画的交流は冷たいものだった。しかし本作にこめられた協同にはその先入観を打ち破るものがある。これもギュネイという稀有の蒼ざめた才能がまいた系譜の一つなのだろうか。
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  豪雪に閉ざされたトルコの寒村。酷薄な自然の中にも〈中枢-従属〉の搾取構造は顕である。貧困は更に過酷な収奪をもたらすというサイクルに組み込まれている。
 ドラマはすべて、この白一色の雪におおわれたせ界で進行する。夜の闇でさえ白くほの明るいにしても、一切の希望はない。その中でしばしばともされる火が恩寵の証しのようにも強烈なイメージとして焼きついてくる。
 繰り返し繰り返し現われるかがり火、そして破局の後の静謐なラスト・シーンを彩どる松明の火。

  残酷な自然とは人間に与えられた永遠の美の風景でもある。
  物語はこの脱出できない環境に置かれた人間の普遍的寓話に近付く。寓話であっても20世紀終末近くの歴史の一駒に他ならない。

  翼さえあったなら。
 雪一色の世界を疾駆する白馬の群れ。
 息をのむばかりに美しいシーンである。
 別の村をめざして逃げた男女は、狼に襲われることを恐れながらも吹雪の高原の只中に力尽きて、白く凍りついた姿に果てていく。
 村人たちはこの酷薄な従属システムにあっていつしか救世主を求めるようになる。村のアウトサイダーがその役割に祭り上げられる。そして村の権力者がそのことに脅威をおぼえる。こうした不合理な人間精神のメカニズムについてはすでに手垢のついた寓話だ。
 外部からの収奪者、メシア、内部の裏切り者。図式はすでに明快だ。村人の〈共同幻想〉がつくった救世主は村長の密告によって捕えられる。殉教によってドラマは終わる。
 そのあと雪の村の全景にともっていく灯りの美しさ。これが覚醒へのメッセージであるラスト・シーン。
 美しすぎることに届く言葉がない。

『ミュージックマガジン』1993.12
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