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ひとコマのメッセージ   対談・崔洋一vs野崎六助 [AtBL再録2]

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崔洋一
映画作家。一九四九年長野県生れ。作品に『十階のモスキート』『性的犯罪』『いつか誰かが殺される』『友よ静かに瞑れ』『黒いドレスの女』『花のあすか組』『Aサインデイズ』

野崎 崔さんは『愛のコリーダ』の助監督、『バスター・オン・ザ・ボーダー』のプロデューサーというかたちで名前が出てたわけですが、いまやっと『十階のモスキート』という作品でデビューされる。それはたまたまであるかも知れませんが、もっと早く出てきてもよかったという感じを受けるんです。その辺は一九八三年の映画状況にからめてどのような感じをもっておられますか。
 ようやく公開も決ったということで、どうしても『モスキート』が基準になっちゃうんですけど、それは非常にひょんな出会い――いってしまえば日本映画産業の抱えているいい加減さ――の中でのデビューの仕方ってのがひとつ。それと、主観的には早く撮りたかったというのは当然あるわけですが、ぼくがもてる企画――直接的には映画会社と切り結ぶこと、オーバーにいえば世の中との切り結びですね、それがなかなか合わなかったというのが一点あったんですね。ここ二、三年は二十代後半~三十代前半の映画監督が比較的多く出た年ですよね、その中でやや遅れた――というよりちょっと遅かったとはいえるんじゃないかな。
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野崎 それはライバル意識みたいなこと?
崔 それが不思議にね――ぼくはずっと職業で助監督をやってきたでしょ、そういう中での人間関係ってのが比較的大事なヒトなんですね――それと殆ど関係ないかたちで出て来た人が多かったしね。他の連中がデビューしたときには、そういう「撮れる状況」ってのは意識したんだけど、結果的には出来上ったモノだけがそういうことであって、ライバル意識とはちょっと別のことだな。

野崎 『モスキート』はひとつのプログラム・ピクチュアだと思うんですよね。いい替ればB級作品てことだし、いまの日本映画には作る状況はあまりない種類の映画ですよね。そこで崔さんの主張なりは別にストレートに出さなくてもいいという感じはあった――その枠内で力量のあるものを作ればそれでいい。だからデビュー作としては非常に気負いのないものになっている。もっと悪い条件で撮ってる人はたくさんいると思います。たとえば、今年デビューした人に開しても――『悪女かまきり』の梶間俊一にしてもね。それと二、三本撮った若い監督ってのは、なんか売れてしまうとちょっと変貌してくるっていう気が……。
 それは、ぼくも圧倒的に感じている。ぼく自身もロマン・ポルノを引き受けたりテレビをやったりするんですけど、それとは別に変貌してくるっていうか――非常に俗っぼい言いかただけど、原初のこころざしがどんどん淘汰されてくのはあまり好きじゃないね。
野崎 ひとつの側面として、資本に買われるみたいなことがあるでしょ。
 うん。それをいちばん感じたのは『オレジロード・エクスプレス』(大森一樹)観たときね。かれ、あれが最初ですけど、メジャーはね。
野崎 大森の場合、マイナーの頃から観てるんだけど「なんじゃ、コレ」って感じで、あんなのが買われたってどうってことはない(笑)。

 俗称「自主製作」(?)8ミリ派(?)の、このごろの出かた――あらかじめ上昇志向を軸に置いてある傾向がチラリと見えると、あまりいい気持ちはしないね。
野崎 へんな話なんだけど、文壇の中の小説書きで売れてく連中の意識と、若い映画作家のある部分というのは殆ど共通してるんじゃないか。自己の表現意識に関しても、社会性をどういうふうに描くかに関してもね。例えば『家族ゲーム』(森田芳光)なんかを観ても、非常に細部に凝った映画だと思うけど、それ以外なにもないわけですよね。
 ぼくはそこが面白いと思ったけどね。『の・ようなもの』を観たときにもそう思って、案の定というか。どんどんそうなってくるね。

野崎 暫く前ですけど李学仁が在日朝鮮人映画作家の第一号だという触れ込みで出てきましたよね。かれの作品意識の古さは別にしても、在日朝鮮人ではじめて映画を撮ったという気負いかた――日本人の生皮を引き剥いでやりたいとか、ひとつの型にはまってるといえるかも知れないけど告発意識みたいなものがあって、――ジョニー大倉が本名で出るというトピックも含めて、そういうことが『異邦人の河』にはありましたよね。変な較べかたで中しわけないんだけど、崔さんの場合にはそういうのがあまり表面には出てこないですよね。
 そうですね。学仁が『異邦人の河』を撮ったときぼくが思ったことと、いまの自分はあまり変っていない。ぼくの側から言えば、それはいつかオトシマエをつければいい――それが第一作目か二作、三作目かちょっとわからんけど、でもオトシマエはつける、ということでいい。そういう意味で学仁が持っていた精神的な昂揚した部分――気負いというか、いま野崎さんがおっしゃったようなものは、ぼくの中にはあまりないですよね。ア・プリオリにはない。


野崎 ちょっと『狂躁曲』の話をしてもいいですか? あれを原作にして撮られるということですが。
 じつは全然うまくいってないんだよね、弱ったことにさ(笑) いろいろ問題はあるんだけど、『狂躁曲』に関しては絶対にやると、どういうかたちになるかは、まだちょっとわからないんだけども。
野崎 梁石日の世界に魅かれたということ?
 本人に会って、特に(笑)……。
野崎 作品自体に関していえば、かれも告発みたいなものは引っ込めてますよね。ちょっと中間小説的な面白さに行く危険性はあるんだけれども、タクシードライバーの疲労感――東京中グルグル・グルグル廻っている、なんともいえない疲労感ですね――そこから逆に今の東京という日本の首都を捉え返すという視線――。
 そう、その視線を感じたな、読んでみて。で、瞬間的にぼくなら出来る、というよりも「俺しかいない」というのがあった。だから例えば『伽耶子のために』小栗康平が撮るのは当り前なわけね。あれはああいう人たちが撮ればいい。いまヤバイのはああいうことが全て『狂躁曲』も含めて十把ひとからげにされてしまうことのほうがよっぽどヤバイ。周辺の若い役者志望なんか、在日朝鮮人の党派性の中では浮足だってる部分も随分いるみたいだけど、何でそんなにガタつくのかわかんないんだよね。

野崎 『十階のモスキート』に話を戻しますが、批評なんかは気にするほうですか?
 気にしない、全然。そりゃ、褒められれば人並みにうれしいけどね。批評もね、『モスキート』に関してどこかできっとアンチが出てくるだろうと思って、じつは期待してた部分があったわけ。それが、一個のゆるやかな、映画というものを基準にしたムーヴメントの中で「若手を叩くのはちょっと」みたいな傾向があるでしょ。俺は一つそれが気に喰わないわけね。だから真っ向、誰かいってくると思ってたら、それが極端なかたちであらわれたものはいまのところないわけですよ。なんとなく褒めてるのか、好きなのか嫌いなのかようわからんやつが大半であって――で、どこでスリ替えられてゆくかというと、内田裕也で全部スリ替えられてゆく。
野崎 なるほどね。でも、『モスキート』の公開メドがたってない時点で「こりゃ、どうしようもない」とか腐すひとがいたとしたら、そりゃ、そっちのが非道い話だ(笑)。
 さっき、李恢成を小栗がやるのは当然だという話が出ましたが……。

 『伽耶子のために』に関してはね。あれはああいうかたちがいいんじゃないですか、というね……。
野崎 いや、李恢成の文学全体に対する評価みたいに感じたんだけど。
 それはなきにしもあらずだけど、例えば「武装するわが子」という短編なんか好きだし、『見果てぬ夢』にも感ずるものがあったしね。素材の把みかたが非常に巧みなかただなと思うね。
 金石範の昔の小説なんかも好きだな、『鴉の死』とかね。チラッと、ああいうのもやってみたいなという気が横切るときもあるね。
野崎 あれを映画に? どういうイメージになりますかね。
 済州島で撮るわけにはいきませんからね。具体的になると何かに置き替えなきゃなんないかも知れないけどさ。俺は別に時代劇をやるつもりはないし。例えば現実の人間でいうと文世光なんかの顔とちょっとダブったりすることがあるわけ、『鴉の死』の主人公がね。さっき『異邦人の河』の学仁の話が出たけども、その辺が『異邦人の河』から『詩雨おばさん』、『赤いテンギ』と流れてゆくかれとぼくとの違いじゃないかと思う、多分ね。


野崎 崔さんの仕事を見てるとプログラム・ピクチュアの中の何気ないひとコマからメッセージをこっち側が受け取らなきやいけない、それだけチョコットしかいわないというかね。そういうような見方が暫く続くのかなという感じがするわけです。
 そうね。具体的にはそういう形態が多くなるかな。
野崎 いまのお話でいうと、『鴉の死』の主人公と文世光の顔がオーバー・ラップするみたいなところは、何らかの犯罪者の映画の中のひとコマでパッと出てくるようなね。そういう見方をする客はあまり多くないですよね。

 話は突然かわりますが、感じとしては同世代でもう一人や二人――学仁とエールの交換してもつまんないし――ほんともう一人は出てほしいというのが凄くあるな。金秀吉さんの『ユンの街』というシナリオを読ませてもらったんだけど、はっきりいってつまんないのね。『異邦人の河』とどう違うのかなって気がしてね。だいぶゆるやかになったラヴ・ストーリーなんだけど。でも友愛映画の融和映画を撮ってもしようがねえだろ、俺が。
野崎 『異邦人の河』のとき、韓朝日連帯をめざす「緑豆社」の運動に、頑張りたいと思った人がワッと行くような状況があったわけでしょ。
崔 でも、現実はまるで違ったわけでしょ。
野崎 現実には背負い切れなかった。
 俺はそういうのはしたくない。
野崎 背負い切れないというのはかなり悲惨な事態ですよね。
 ヤバイよ、やっぱり。
野崎 そういう志操、気負いみたいなものがずっと底に流れてると思うんですが。崔さんは「ヤバイ」といったけど、李学仁にしたらそこら辺のことでしょ。
 かれはかれなりの、かなり追いつめられた問題意識というものはあったと思う。ただ俺はこれからもそういう組織のしかたはしたくないと思ってるな。少なくとも目の前の現実には側してないもの。そういう思考法で映画を作るってのは、もっとやれるべき部分かいるわけでしょ。だから「どうぞ」ってなもんかな。
野崎 でも、崔さんの仕事は「日本人のものだ」っていう通用の仕方をしてゆく可能性が凄くあるでしょ。

 そういうことはあるんじゃない。でも最終的には崔洋一は崔洋一であって崔洋一以外の何者でもないってことでしょう。そういうこともひっくるめて、ぼくはぼくの中で日本にオトシマエをつける――無形有形の同胞諸君を巻き込もうとは思わないけども――これはやりたい。どこでやるかといったら、映画でやると。それはお題目のようにあるんだけれども、現実の中でいうとそのことは非常に困難なことが多いね。
 例えば『狂躁曲』のことに話を戻せば、シュチュエーンョンとして主人公を日本人にしちゃまずいんだろうかという案が非常に多かったわけですよ。これにはさすがに俺もビックリした。「冗談だろう」ってね。ところがかれらは真剣なんだ。じゃあ、何か面白かったかっつたらね、「ドライバーの生態が面白い」って。
 とっかかりはそれでもいいよ。でもそれが日本人の主人公であるということは決定的に駄目だ。それは全く明快なことでしょ。あの原作を読んで、「これはシビアすぎるよ」っていう人もいたわけ。何がシビアなんだって俺は聞きたいよ、逆にね。だから、従って、李恢成『伽耶子のために』は成立しても、『狂躁曲』は成立しない部分がそこらへんにあるというのかな。それは割りと俺がやってゆくうえでずっと付きまとってくることかな、俺が仕事をしてゆくうえで。


  『潤の街』、金佑宣〈キム・ウソン〉監督、金秀吉〈キム・スギル〉脚本は、一九八九年公開。
  『狂躁曲』は、『月はどっちに出ている』として一九九三年に公開。


「日本読書新聞」1983年7月18日号

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