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土本典昭『海盗り』 [AtBL再録1]

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 開巻、下北の小正月。酒宴である。うまそうなおでんが煮込まれている。
 こうした場面から入ってくる映画に、わたしは、久し振りの旧友との再会のように土本典昭の映像世界に出会う、あるなつかしさをおぼえた。だが映画はそんな感慨からはひどく遠いところまで観る者を運んでゆく。見終って数日、おかしな悪夢に捉われた。――日本列島が下北半島に呑み込まれてゆく。肥大した下北半島と壊疸を起こしたようにボロボロに崩れて消失してゆく列島のその他の部分。

 原子力基地へと再編されてゆく下北のドキュメントとしては、これは、まだ序章を形作るのみだろう。これはまだ入り口である。そういう気がした。「日本の中の第三世界」と作者が規定する下北の人々は、まだまだ記録されることを欲して、生き暮しているだろう。かれらと出会わねばならない。そういう予感がした。またしても観客は、土本という作家のまなざしを通して、「下北元年」に立会わされてしまったのではないか。
 かつて水俣三部作(及び医学篇三部作)によって、「水俣元年」を指示されたように――。

 下北は今、「ウラン濃縮、核再処理工場、廃棄物貯蔵という[三点セット]の核燃料サイクル基地」化の危機にさらされている。しかし、必ずしも反対運動がある処に、カメラが持ち込まれたのではなかった。むしろ映画完成が運動の一要素を形成しているような印象ももった。だからこそなお、「下北元年」の主張が響いてくるようである。
 これに先立って、『無辜なる海』『水俣の甘夏』と、非土本作品である「水俣映画」を見る機会があった。そしてそこで、何年間計画かの壮大な水俣叙事詩が予告されたことでもある。
 しかしまた当然に、原発半島化へのこだわりの執着は、次なる「下北もの」を、用意せずにはおかないだろう。水俣の海と下北の海は、その時、どんなふうにつながってくるのか。つきない興味と戦慄ではある。

 映画は、豊漁のシーンで、いったんは終えられる。わたしはここで、鮭が木槌で一匹一匹撲殺(屠殺を連想させるような残酷さだった)される様子を、初めてみた。それへの少なからぬ驚きと一種暗澹たる興奮とに、ひかれるうちに、『海盗り』は終る。

「ミュージック・マガジン」1984年6月号


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