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怨恨の明確な対象――ブニュエル試論2 [AtBL再録2]

つづき

 とにもかくにも『欲望のあいまいな対象』は、或るブルジョアジーの愛の物語であり、同時に、かれのテロリズムヘのおびえという形を借りたそれへの距離の測定だった。
 開巻、車に乗り込んで行先を命じた銀行家が、その自動車ごと爆破されるシーンである。これは実に理路整然とした必然的に用意されたオープニングである。単にラストにも爆発のシーンがあるからという構成的な問題ではなく、この銀行家に扮するのが、ブニュエル映画のヨーロッパ凱旋を決定付けたフランス人プロデューサー、セルジュ・シルベルマンであったという意味で、こうある他ない幕間けなのである。何故なら、これはテロリズムにおびえるブルジョアジーがいつも間一髪のところでその難から逃れる(と同時並行にいつも性欲の昇華からも逃げられているのであるが)逆ピカレスクの映画なのであるから。
 たえず主人公の身辺ではかれを追いたてるように爆弾テロがあり、かれでないかれの同類が犠牲に供されてゆく。具体的にはこれは、七〇年代の街頭闘争の一つの形が、作者の意識に投げかけた一つの影であり、表出としてはあくまで折り目正しくアンドレ・ブルトンにのっとったシュールレアリスティックなテロリズム行為なのである。
 無差別に標的とされるのはあくまで折り目正しくブルジョアジーであってブルジョアジーのみでなくてはならない。このテーゼこそが二〇年代という薄命の青春においてシュールレアリストのモラルを支えていたのであり、それは群衆に向って無差別に引き金を引く自由でも、群衆の真只中において自分の頭蓋に一発打ち込む自由でもない、やはり限定された目的化された錯乱でなければならなかった。

 ――爆発から逃がれた主人公は、一人の女からも逃がれるために、セビリアでの生活を清算して、パリ行きの列車に乗り込むのである。かれを追ってくる一人の女がいる。痣だらけの顔に絆創膏、このまま去ってしまうなんてひどいとかなんとかいう間もあらばこそ、男はバケツー杯の水を女の頭から浴びせかける。彼女が恋物語の相手コンチータ(ブニュエルの妹と一緒の名である)。
 すでに、一人の女を二人の女優(キャロル・ブーケアンヘラ・モリーナ)が演じ、それを別の一人の女優の声で統一して吹き替える、という話題性がこの映画に関しては常に語られる。彼女の性格は、月並みに言えば夜は処女のように昼は淫婦のようにといった類いで、十七歳の女によって初老のブルジョア男が魂と金を吸い上げられるのだ。単純化すれば二重人格の女を外的な印象もはなはだしく違う二人の女優が演じるわけで、この多面性が何より滑稽で、翻弄される面白さなのである。

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 さて、バケツー杯の水の別れ方は、列車の物見高い乗客たちの好奇心を著しくくすぐるところとなったので、かれは破恋の物語を、ヨーロッパを逃亡的なベクトルで横断する列車の中で、語らされる破目になる。破恋とは、男の一方の側だけのものであることを、映画の観客は、水だらけになったコンチータが列車に乗り込んだ場面を見たあとなので、知らされている。映画の語り口の進行はこうしてオーソドックスなのであるが、この一つの逃亡行でもあるような列車の進行という二重構造は看過されてはならない。

 コンチータはいつも偶然の作用のように男の前に現われ、突然何の予告もなく消えてゆく、本当に消えるのではなく、再び偶然の直撃のように出現するために――。最初はパリ。母親と同居するアパートにせっせと通い詰めて金を貢ぐ。金を出すと母親は遣り手婆のように席を外すので、意を果そうとするが、いつもいつも欲望を待機させられる。
 邸にむかえようとするが、大金を積んで先に母親と話をつけた手順に幻滅した、自分は金で買われる女ではない、とコンチータは消えてしまうのである。次に現われた時、男はやっと彼女を別荘――その近辺ではテロリストの銃撃戦が頻発している――に招くまでに進む。ようやく二人は寝台に横たわるのであるが、男の焦燥の指は、彼女の革の貞操帯の上を空しくすべるのみだった。
 別荘の、こうした夜が幾晩か続き、女は傍らに寝るという以上の欲望の充足を許さないのだが、一方では、自室にギター弾きの青年を連れ込みさえしている。怒りに燃えた男は二人を叩き出し、この恋路をもはやこれまでと絶望するのである。
 空ろな胸の男が旅路に傷心を癒そうとし、コンチータが国外退去(理由は明確にされないのだが『ブルジョアジーの秘かな愉しみ』の主人公をつけねらうテロリストの女が当然に連想されてくる)となっていて、再び外国で、出会うことは当然の展開である。
 フラメンコ・ダンサーとして生活している彼女が、一途な愛に「忘れ難い君の面影」的せりふと貞淑な一面を見せると、それだけでもう男はすべてを許してしまう。睦まじく語らう二人に、時間を告げる声がかけられ、コンチータはダンスの合い間に仮眠する時間をとっておかなければならないのだ、と説明して階上へのぼってゆく。
 幸福の余韻にひたって彼女を待っている旅行者の紳士に、どんな仮眠なのか一度確かめてきたらいい、という半ば嘲弄の耳うちがされ、男はそのキャバレーの怪しげな階上にのぼってゆく。――と、そこは別にしつらえたストリップの舞台で、今の今、貞操を誓ったばかりの女が真っ裸のフラメンコを観光客(ほとんど日本人だったね!)の前で踊っているところを、男は発見せねばならなかったのだ。
 再び失意と幻滅と裏切られた傷があり、再び、女の手練手管の弁舌が重ねられ、いつのまにか男は、コンチータのために家を買い与えているのである。それも権利書付きで。長い道のりを、ようやく自分のものになったと、女を征服しようとすると、彼女は明日の真夜中に訪ねてくれるなら全部あなたの女になると予告する。
 またしても予告。

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 その時刻に男を待っていたのは、鍵のかかった戸口で、また現われたギター男と痴態を見せつけて、さんざんにかれを罵倒するコンチータなのだった。それでいて次の朝、わざわざ釈明をきかせ、真の愛があることを訴えるのもコンチータだった。男の反応がもうゲバルトにしかなかったことは致し方なく、女の顔を傷だらけにしたあげく神の呪いをぶちまけて、セビリア発パリ行の列車にとびのってゆくのであった。
 ――以上が、かれが列車の中で同乗の客に向って語る話の大要である。

つづく


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