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Ice T. & Ice Cube 『トレスパス』 [afterAtBL]


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 Tとキューブが、銃を乱射しながらラップするMTVを前に観たことがあって、ちょっと興奮した。この映画は少しその興奮が劣る。何故だかわからないけれど。
 どうせコマーシャル・ラインにのってしまったブラック・コンテンポラリーだから、何の違いがあろうか、といってしまえば元も子もない。
  どうせウォルター・ヒルがロバート・ゼメキスと組んで、おまけにライ・クーダーの音楽だ。これじゃバック・トゥ・ザ・ボーダーラインのけったいな映画になるんだろうな。
 その通り、白んぼ野郎が撮った黒んぼ映画。白人がつくったブラック・シネマだ。
 この感触の違いというか、臭いの違いは何なのだろう。よくわからないのだ。
 ラップ界の二大アイスが主役を張って、Tは『リコシェ』よりも精彩がない。計算違いだ。キューブはもうけ役だが、それを充分に生かしきれない。
 ラストのタイトルバックにかれらのラップがかぶさってきてやっと安心した。観ていてこの居心地の悪さは何だろう。

  廃工場に隠された黄金の秘宝を探しにきた白人二人。黒人ギャングの抗争にまきこまれて脱出不能になってしまう。人質をとってたてこもるが、敵は圧倒的火器で迫ってくる。こういう「極限状況」アクション、何か似た映画があった。
 そう、村川透の『野獣都市・天使の囁き』だった。爆薬の物量とか銃弾の規模でははるかに上回っても、アクションのキレは村川の作品に一歩ゆずると想い出す。
  視点は白人の側。これはそのまま映画の思想だ。観客は、善玉でもないのにこいつらが脱出できるかどうかの進行で観なければならない。思い入れはできない。あるとすれば、こいつらが敗ければ映画が終ってしまう、という心配だけ。
 またこれはウォルター・ヒルの変形西部劇なのだ。しかし随分な図式性ではないか。襲撃する黒人はアホで虚勢ばかり張り、無策で、最後は仲間割れ……という物哀しさ。

  アクション映画であると同時に、結果は、悪相の映画となった。クロンボの悪漢面の映画。これがどいつもこいつもすばらしいワル面だ。
 表情のアップだけが生きている。それに較べて白々しいのは二人きりの白人の顔。だが白々しさが映画の視点なのだ。
 これだけのアクション映画を撮れる職人がブラック・シネマにはいない現状なのだろう。
            
   『ミュージックマガジン』 1993.6
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