SSブログ

マカヴェイエフ『ゴリラは真昼、入浴す』 [afterAtBL]

  マカヴェイエフよ、どこにいる。これは、あの東欧崩壊のドミノ崩し状況のうち最も悲惨なユーゴスラヴィアのバルカン化現象の報道を目にするたびに胸をよぎる問いだった。
311a.jpg

  ところがここに、そんな問いなどハナから馬鹿にするような哄笑的新作が送り届けられてきた。この哄笑はしかし、あまりにも慎ましくかつあまりにも教科書的だった。過大な期待をはぐらかすように、これはまあ、ベルリンの壁崩壊に関するささやかなラフ・スケッチというべきものだろう。
 マカ氏の作品誌でいえば『保護なき純潔』あたりに一番よく似ている。基調はノスタルジア。もの哀しくコミカルでまさに小品。口に手をあててオホホと取り澄ましている哄笑で、マカ作品すべての熱烈な支持者には薄気味悪くなる摩訶不思議な上品さだ。
 草むらで小休止のピクニックを楽しんでいるような作品であり、ゴリラがむらむらと欲情しているような作品ではない。

  これを観る前に或る小説を読んでいた。冷戦下のスパイ小説のパロディだが、舞台は北海道。ソ連支配の独立共和国で、その首都札幌が東西に分割されているという設定。結構、面白かったのだが、歴史はある都市では、現在、とてつもない不均衡のスピードで動いているのだろう。
 この映画に現われるベルリンは、ヴェンダースのそれほどではないにしても、すでに色褪せたセピア色の記念写真のように見えてならなかった。あるいはマカ氏は今回は「東欧民主化」の小春日和をライト・アップしたかっただけかもしれない。

  45年前のスターリン映画『ベルリン陥落』の着色版をぬけぬけとコラージュし、そこに現在のレーニン像撤去のニュースをパラレルにサンプリングしてくる。
 こんな技法一つとっても常識的にいうなら、かなりにハズレタ作家といってよい。しかしどんな不穏当な形で語られようとも、ここに流れるのは社会主義体制崩壊からの無邪気な開放感の一色でしかない。社会主義圏の終焉が一つの予定調和的ユートピアと思い描けるほどに磐石の状況にわれわれは生きているのではないのだが……。
 とにかく、しかしマカヴェイエフは、またしても祖国からではなく異国において健在を発信してきた。
 ブニュエル以降、ヨーロッパの生んだ最高の怪物が真っ昼間から湯あみしているような作品を歓迎したいわけではないにしても、これはともかく嬉しい作品である。

311aj.jpg311bj.jpg
『ミュージックマガジン」1995.01


nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。