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アルメニア映画『アヴェティック』 [afterAtBL]

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  ディアスポラ(本国を追われた流民)の時代を予感させる厳しい映像だ。すでに亡命者とは浪漫的な観念にすぎないのかもしれない。
 ここに登場するアヴェティックというベルリン在住のアルメニア人とは何者なのか。線路に隣接していて電車が通るたびに轟音と振動とが起こるアパートに住んでいる。とても住めないような劣悪な住宅。表に出たかれはアスファルトの道路の真ん中にばったりと倒れる。大地にひれふすのではない。そんな地表はどこにもない。車が走り交うベルリンの道路だ。
 倒れ伏したかれが夢見るのはもう戻れないかもしれない故郷のこと。その心象と回想をつなげながら映画は進行していく。極めて静謐な画面には一ヶ所だけパラジャーノフを想起させるような流れが見つけられたが、手法的な面での影響があるにしろ、偶然の相似はわずかにすぎない。

  この映画にはどんな象徴的意図もこめられていないと語る作者ではあるが、といって何も読み取らないで過ぎることは出来ない。アルメニアの負った歴史、二つのジェノサイド――ボリシェヴィキ革命直前のものとペレストロイカ以降のもの。
 そして大地震、いまだにあれはロシア人による軍事的陰謀だと信じている者も多いという。それらの民族の物語が排除されるわけもない。どれだけかれが自分を映画国の市民と主張するとしても。

  子供時代の回想。
 フィルムを燃やして遊ぶ子供たち。クロサワとアントニオーニの映画の一部だという。炎は特権的なイメージとして作品を横断している。
 虐殺の炎、アパートの部屋で布をベッド・カバーを燃やす炎。炎上する古いフィルムを映すのは現代の作家の証言でもある。室内でちろちろと舌なめずりする炎は、通過する電車の衝撃で不安そうに揺らぐ。
 ベルリンはこうした映画的ディアスポラのセンターなのだろうか。故郷の大地、雪に覆われた山並み。そこにはいつも欲望を秘めた裸女たちが誘惑の手をさしのべている。炎と共に繰り返し出てくるのは数多の神聖なるふるさとの女たちだ。失われてしまった記憶、失われてしまった土地の霊。破壊され廃墟と化した村を逃げ延びていく家族の足下を消え残りの炎が舐める。かれらの背には十字架と本の一頁が……。

  美しすぎる映像の詩もバルカン的な引き裂かれた世界像に規定されないでは成立しえなかった。


『ミュージックマガジン』1995.4

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