マリオ・ヴァン・ピーブルズ『パンサー』 [BlackCinema]
マリオ・ヴァン・ピーブルズ『パンサー』95年製作
1997年1月10日金曜 VIDEO
公開されたが、映画館にはいかなかった。
淋しい作品だ。
脚本はおやじのメルヴィン。
『バッドアス!』に、 『スウィート・スウィートバック』がオークランドの場末の映画館でポルノ三本立てとして初公開されたとき、ブラック・パンサー党の党員で満員になったという伝説のシーンがあった。
スパイク・リー『クロッカーズ』 [BlackCinema]
スパイク・リー『クロッカーズ』95年製作
1996年12月22日日曜
『ハスラー2 カラー・オブ・マネー』につづくマーティン・スコセッシとリチャード・プライスの監督・脚本コンビの実現になるはずだったのが……。
リーが脚本をブラック向きに書き直した。まるごと自分の作品にしてしまうリーの手腕は見事。
デルロイ・リンドーに注目。
画像は原作翻訳本のカバー。
プライスという人はシナリオではウェルメイドの一級品を書くのに、
小説となると『フリーダムランド』もそうだが、常識はずれに長大な作品に仕上げてしまう。
『クロッカーズ』の原作もそうで、ストーリーを犠牲にしてまで、延々たるドキュメンタリズムの密度で押しまくってくる。
モーガン・フリーマン『ボッパ!』 [BlackCinema]
ジョン・シングルトン『ハイヤー・ラーニング』 [BlackCinema]
ジョン・シングルトン『ハイヤー・ラーニング』95年製作
1995年9月4日月曜 恵比寿ガーデンシネマ
いわゆる学園もののドラマ枠に、ネオナチの台頭と新たな人種差別の根を浮き上がらせる。
主演格は、黒人のオマー・エップスではなく、白人のジェニファー・コネリーとマイケル・ラパポート。
黒人のみの集団劇で鮮烈な主張を前面に出したブラックシネマが、黒白混合のドラマに方向転換をみせていった。
成熟とみなすか、焦点がぼやけたとみなすか。
評価が分かれ始めた。
シングルトンは何をやってもスパイク・リーほどには狡猾ではないから。
教師役を演じたラリー(ローレンス)・フィッシュバーンが圧巻。
彼の存在によって何とか統一感は保つことができたようだ。
ボアズ・イェーキン『フレッシュ』 [BlackCinema]
アーネスト・ディッカーソン『サバイビング・ゲーム』 [BlackCinema]
ジョン・シングルトン『ポエティック・ジャスティス』 [BlackCinema]
ジョン・シングルトン『ポエティック・ジャスティス』93年製作
1994年3月29日火曜
ジャネット・ジャクソン 2PAC・シャクール
ドライヴインでホールドアップにあって射殺される恋人の後釜役が2PAC。
数年後に来た2PACとビギー・スモールの射殺事件を想えば、なんとも意味深の役柄ではないか。
ラスヴェガスで2PACは、デスロウ・レコードのプロデューサーだったシュグ・ナイトとともに銃撃され、死亡。
一部のメディアは、ウエストコーストとイーストコーストの「対立」を大げさに書きたてる。
銃撃犯の黒幕はビギー・スモールだという説は有力だった。その半年後に、ビギー・スモールも銃撃を受けて死亡した。
報復説の拡がりをとどめるものはなかった。
「真相暴露本」の犯罪ノンフィクションも何冊か出た。
世界を獲得したギャングスタ・ラッパーたちをめぐる根強い伝説がある。
成功と同時に起こってくる愚かな抗争劇。
それは、映画で描かれるドラッグ・ディーラー・キングたちの興亡そのままなのだった。
「もう沢山だ」という気分が蔓延したのも当然だ。
アレン、アルバート・ヒューズ『ポケットいっぱいの涙』 [BlackCinema]
マリオ・ヴァン・ピーブルズ『黒豹のバラード』 [BlackCinema]
マリオ・ヴァン・ピーブルズ『黒豹のバラード』93年製作
1993年10月27日水曜
ブラックシネマの最盛期に作られるべくして作られたブラック・ウェスタン。
マカロニのまがいものよりもっといかがわしい。
ピュアに真っ黒だ。
Too black, too strong.
この愚直なばかりの不器用さ。おやじメルヴィン(MVP)の出演が嬉しい。
ブラック・ウェスタンは、後に、シドニー・ポワチエとハリー・ベラフォンテが共演した『ブラック・ライダー』(1971)を観る機会があった。
監督も兼任したポワチエのギャンブラー・スタイルは、まったくのバッド・チューニング。
較べてみるまでもなく『黒豹のバラード』の志しの高さに打たれる。
マリオ・ヴァン・ピーブルズ『バッド・アス』 [BlackCinema]
2005年10月6日
『バッド・アス』を観るまで、10年以上あいてしまったわけだ。
この10年の落差は大きすぎる。
レイトショーの単館上映で、客もまばらだった。
『スウィート・スウィートバック』の制作インサイド・ストーリーだ。
メルヴィンの役を息子マリオが演じた。
閑散とした上映館(ポルノ専門)が、口コミで集まってきた客であふれてくるシーンは、やはり感動的だ。
彼らのほとんどはブラック・パンサー党員だった。
「メルヴィン・ヴァン・ピーブルズは映画界のマルコムXだ」とする異見もある。
父親との葛藤と和解とは、ブラックシネマの重要なテーマの一つ。
そこに普遍への通路があった。
その点では、マリオ・ヴァン・ピーブルズはよく頑張ったといえるだろう。
最近は、役者としても精彩なかった。
この作品で、親父メルヴィンを演じて、親父と重なってくる部分がやはり、息子マリオのベスト演技。
皮肉なことだ。
おまけに、これは、監督作品としても、彼のベストではないか。
ベスト・パフォーマンスとベスト・フィルム・メイキング。それが70年代の伝説的映画への讃歌か…。
10年(今となっては、さらに10年の加算!)の落差に、ますます居心地悪くなる。
メルヴィン・ヴァン・ピーブルズ『スウィート・スウィートバック』 [BlackCinema]
メルヴィン・ヴァン・ピーブルズ『スウィート・スウィートバック』71年製作
1993年10月5日火曜
ブラックシネマ不朽の大傑作。ベスト・オブ・ザ・ベスト。
これを凌駕するものは現われないだろう。
この作品なくしては、ブラックスプロイティーションの時代も、『黒いジャガー』もパム・グリアも『吸血鬼プラキュラ』も、現われえなかった。もちろん、ブラックシネマの時代も…。
ポルノを撮るというふれこみで作られたブラック・メッセージ映画。
ヒーローは売春宿の用心棒。スウィートバックの仇名の由来は、バック(尻)のセックス・アピールだ。
ブラック・エロスの発露は、そのままホワイト・アメリカへの叛逆だった。
ファーストシーンは、娼婦に可愛がられる少年スウィートバックの童貞喪失。メルヴィンの息子マリオの映画初出演。じっさいにも「ヤッタ」という伝説が残っている。
いきがかりで白人のCOPを殺してしまったスウィートバックは、逃げに逃げる。
アスホールな白人国家にそのスウィートなケツを向けて。
逃亡こそが彼の存在の証しだ。
逃げつづけるメルヴィン・ヴァン・ピーブルズの肉体が「黒いペニス」そのもののように画面を制圧する。
その興奮。
そして彼は言う。
「Watch Out !」
スウィートバックはもどってくるぜ。カリを返すために。
画像は、制作ノート&対訳シナリオ&サウンドトラック版CDブックの表紙。
初期のアース・ウインド、ファイアが聴ける。
DVDなど、まだなかった時期。CDブックで我慢するしかなかった。
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メルヴィン・ヴァン・ピーブルズは、この作品の前に『ウォーターメロンマン』を撮っている。
不条理におかしなブラック・コメディだ。
いずれ、このページで紹介しよう。
MVPの最近の作品に『アート・オブ・エロス』の一挿話『ブルーン・ブルーン・ブルーン』がある。
これはべつに観なくても損はしない。このオムニバス競作はニコラス・ローグの『ホテル・パラダイス』が目玉。他はなんだか信じられないような駄作が混じっている。ミカ・カウリスマキの『狂熱の白日夢』とか、ひどいもんだった。エロ映画だって性根入れてつくれよっての。
まあ、MVPには関係ないけど。
息子のマリオMVPがつくった『バッド・アス』に期待しよう。
ウォルター・ヒル『トレスパス』 [BlackCinema]
ウォルター・ヒル『トレスパス』92年製作
1993年4月28日水曜 公開直前の試写
正確にいうとブラックシネマではない。
観ようによっては「黒人は劣等人種だから」銃器のあつかいも知らん、という問題あるサベツ映画だ。
圧倒的な火器と人員を持って包囲しながら、たった二人の白人にやっつけられてしまう。
むかしの西部劇の「インディアン」と同じだ。
設定も展開も切れ味もほとんどムナシイけれど、出てくる黒人俳優の存在感が凄い。
主役じゃなくて脇役のほう。それだけでも価値ある。
監督の手腕は関係なかった。
アイス・キューブ アイス・T
二大ギャングスター・ラッパーの激突も、この筋立てじゃ生きない。
ギャングがギャングの役を演じても似合わん。ってわけでもないが。
http://atb66.blog.so-net.ne.jp/2014-12-31
『ザ・エナミー・ストライクス・ライヴ』 [BlackCinema]
『ザ・エナミー・ストライクス・ライヴ』
パブリック・エナミー コンサート・ライヴ・フィルム
1993年4月8日 VIDEO
まあ、このころはエナミー一辺倒だった。
コンサートで観るとやっぱり、フレイバー・フレイヴのパフォーマンスがだんとつに目を引く。
チャック・Dだけのグループではなかった。
「ブラック・ナチ」と呼ばれるにいたった発言で話題になったプロフェッサー・グリフは脱退していた時期だったか。
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アーネスト・ディッカーソン『ジュース』 [BlackCinema]
スパイク・リー『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』 [BlackCinema]
1992年12月8日火曜
スパイク・リーの第二作。
ブラックにして、NYインディーズ。
これを観ると、マティー・リッチがいだいたような「敵意」を理解できる気がする。
マティー・リッチ『ストレート・アウト・オブ・ブルックリン』 [BlackCinema]
マティー・リッチ『ストレート・アウト・オブ・ブルックリン』91年製作
1992年11月29日日曜
当時19歳のリッチのデビュー作。
製作・監督・脚本・主演の自伝的作品。
正直なところ、この程度の愚直で拙劣な作品が商業ベースに乗ることが不思議になった。
ブラックシネマの勢いといってしまえば、それまでだが。
リッチの次回作はなかった。
ラップなら一発屋も腐るほどいたが、映画ジャンルでは珍しい。
ブラックシネマの先行する作り手たちが恵まれた教育を受けた中産階級出身であることをリッチは批難した。ひるがえって、ゲットーの暮らしをリアルに体験してきたのは自分だと誇った。
その主張それ自体は原則として正しかった。
ラリー・フィッシュバーン『ディープ・カバー』 [BlackCinema]
ビル・デューク『ディープ・カバー』92年製作
1992年11月29日日曜
潜入捜査官もの。ラリー・フィッシュバーンの存在が光る。
『キング・オブ・ニューヨーク』のギャングとか、 『理由』のマッチョ刑事とか、脳ミソのないキャラクターもぴったりくるけれど、やはりこの作品のように、過去のトラウマを背負った陰影深い役柄に本領を発揮する。
『ボーイズン・ザ・フッド』の父親役や、 『ハイヤー・ラーニング』の教師役までこなしてしまう演技の幅は並ぶ者がいない。
それらのフケ役は、サミュエル・A・ジャクソンやモーガン・フリーマンなどの年代のスターに回るものなのだが。
『マトリックス』シリーズでブレークしてしまったのは、何か面映い気がする。
カーレン・トーセン『ハーレム135丁目』 [BlackCinema]
カーレン・トーセン『ハーレム135丁目』89年製作
1992年9月26日土曜
Oh poor Jimmie, 気の毒なジミー、貧しかったジミー。
『ハーレム135丁目 ジェイムズ・ボールドウィン抄』を観て、胸を去来したのは、おおよそそういう想いだった。
それでしかなかった。
気の毒なジェイムズ、その豊かな才能に見合うだけの傑作すら書くことができず、去ってしまった。
師であり、友人であったリチャード・ライトを非難するつまらない貧しい文章を書き、ヘンリー・ジェイムズ的な巡礼物語『もう一つの国』が代表作であるような、文学的生涯。
それもまた「アメリカ人の生活には第二幕がない」ことのありふれた例証にすぎなかったようだ。
ビル・デューク『レイジ・イン・ハーレム』 [BlackCinema]
ジョン・シングルトン『ボーイズ’ン・ザ・フッド』 [BlackCinema]
スパイク・リー『ジャングル・フィーバー』 [BlackCinema]
マリオ・ヴァン・ピーブルズ『ニュー・ジャック・シティ』 [BlackCinema]
マリオ・ヴァン・ピーブルズ『ニュー・ジャック・シティ』91年製作
1991年6月8日土曜
公開時、映画館に入れなかった客があふれ、騒乱状態になったという伝説がある。
暴動寸前のキケンな臨場感を帯びた一作。
その分だけ作品的生命は短いだろうと思わせる。
90年代ブラックシネマの中心点には、常にスパイク・リーとマリオ・ヴァン・ピーブルズがいた。
この二人が対照的な二極をつくっていた。
一口にいえば、ブラック・アメリカンの苦悩をドラマ化する方向と、クライム・アクションにメッセージを託す方向。
前者の典型がリー、後者の代表がピーブルズ。
この時代に発信されたブラックシネマのすべては、この二方向を持った。
リーのように暴力を世界の一要素とみるか、それとも暴力を世界の避けがたい中心とみなすか。
個人的にいえば、こちらを支持したい。
すべてを叩きつけた監督デビュー作という意味では、マリオのベストだが。
愚直すぎるブラック・ナショナリズムの匂いをふりまく一方でみせる不器用さが少し気になった。
ウェズリー・スナイプス(ドラッグ・ディーラー・キング)の儲け役が光る。
アイス-Tの刑事役も悪くはない。
ピーブルズは役者としては引き立て役に徹した。
スパイク・リー『モ' ・ベター・ブルース』 [BlackCinema]
スパイク・リー『モ' ・ベター・ブルース』90年製作
1991年2月23日土曜
単独で何の期待もなく観たなら、失望ももっと少なかったろう。
しかし『ドゥ・ザ・ライト・シング』の次回作という先入観なしには、この作品にむかえなかった。
前作からの進化までは望まないにしても、同レベルの余韻くらいは無意識に要求しているわけだ。
この作品の限界とは何か。
リーの示したジャズ観の月並みさ、とくにジョン・コルトレーンを「引用」するさいのセンチメンタリズム。
そしてデンゼル・ワシントンがまったくジャズマンに見えないこと。
その二点に尽きる。
『トレーニング・デイ』までのデンゼルは、正直なところ、黒人にさえ見えなかった。
シドニー・ポワチエよりももっと白人に見えた。
比較するのはよくないと知りつつ、クリント・イーストウッド監督、フォレスト・ウィテカー主演の『バード』を思い浮かべてしまう。
まったく問題にならないくらい『バード』のほうが優れているのだ。
スパイク・リー『ドゥ・ザ・ライト・シング』 [BlackCinema]
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スパイク・リー『ドゥ・ザ・ライト・シング』89年製作
1990年11月25日日曜
スパイク・リーの早くきすぎた代表作。
というよりブラックシネマ全般でのベスト作(客観評価での話だが)。
ふりかえってみれば、動きはすべて92年のロサンジェルス暴動に収斂していっている。
それを産みださざるをえなかった主観情勢はブラックカルチャーの断片というかたちで広く遍在していたのだ。
パブリック・エナミーより政治的にずっと穏健なリーが、穏健さゆえに、そうした断片の最も巧みなサンプリングを映像によって示すことができた。
(エナミーはリーの依頼で挿入曲 Fight the Power をつくった。)
映画が爆発の予兆だったというのはたんなる結果論。
多くの才能がブラック・レヴォルーションの一部に、ただ避けようもなく所属していたのだ。
リーを否定した者、乗り越えようとした者、そして他ならぬリー自身も、これ以上の作品をつくりえなかったわけだ。
ドゥ・ザ・ライト・シング。まともにやれよ。
黒人自身による黒人自身のためのブラックシネマ。スタッフも黒人、観客も黒人。それが全米メジャーの映画商業市場の一角を占めた。そして、日本にも輸入流通をはたしたのだった。
ここから十数年、じつに多くの黒人監督が輩出し、それ以上に多彩な俳優たちがスクリーンに現われてきた。
クロニクルをめくれば、第一ページにこの映画がある。
チャールズ・レイン『サイドウォーク・ストーリー』 [BlackCinema]
『ジャック・ジョンソン』 [BlackCinema]
スパイク・リー『ジョーズ・バーバーショップ』 [BlackCinema]
Straight Outta Compton [BlackCinema]
《週末の全米映画興行成績は、 N.W.A 伝記ドラマ「Straight Outta Compton」が興収1324万ドル(約16億円)でV3を達成した。》
All Cinema Onlin のニュース(8.31)から。
http://www.allcinema.net/prog/news.php?lPageNum=2&lDataCount=9401
このニュースに興奮した。
ことわっておくが、この数字は、「Straight Outta Compton」が、『ミッション・インポッシブル ローグ・ネイション』や『ジュラシック・ワールド』などの巨額の宣伝費を投じたハリウッド超大作を制し、それらをはるかに上回る観客動員数を記録したことを意味する。
だが、日本での公開は未定らしい。日本には、アメリカ本土のように「黒人観客層」が存在しないからな。量的にも質的にも。
日本でも公開せよ、という応援サイトもあって、日本語字幕つきの予告篇を視聴できる。
https://www.change.org/p/%E6%98%A0%E7%94%BB-straight-outta-compton-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A7%E3%81%AE%E5%8A%87%E5%A0%B4%E5%85%AC%E9%96%8B%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%82%8B
映画は、現在のアイス・キューブ(映画俳優)とドクタ・ドレー(音楽プロデューサー)がコンプトンのストリートを再訪するところからはじまる。イージー・Eはすでに故人だ。
ドラマでキューブ役に扮するのは、彼の息子。やはり、そっくりだ。
N.W.A Niggaz wit Atittudes(根性ワルの黒ん坊)――(註1)
劇中、「おれたちがファック・ダ・ポリスを歌った時代(25年前)とおれたちニガズの状況はまったく変わっていない」という科白が語られる。これが、この映画の(支持される理由も含めて)すべてを表わしている、といっても過言ではない。
建て前は民主主義、黒人にたいしては警察国家、対外的には(非対称的)戦争国家。これがアメリカだ。
N.W.A、パブリック・エナミー、ブギダウン・プロダクションズなどの、ギャングスタ・ラップが出現した80年代の後半。HIPHOP はワールド・ミュージックを席巻し、その勢いは、もちろん、音楽シーンのみにとどまらなかった。
ブラックシネマの秀作が次つぎと制作され、その多くは日本でも公開された。90年代、ほとんど東京の映画館で観ることができた。
それらは過去のものになったのだろうか。
ブラックシネマを観つづけた日々。
このブログでも、当時の日誌を順次アップしていく予定だが、もう少し後のことになりそうだ。
「Straight Outta Compton」
N.W.Aの短い活動、パブリック・エナミー、ブギダウン・プロダクションズのクリス・ワン。ドレーの立ち上げたデス・ロウ・レコード……。その延長にあった、2PACとビギー・スモールの銃撃死。(註4)
それらは「伝説」に祭り上げられるのだろうか。
早すぎる伝記映画の試みは退行的な「懐古趣味」におちこむのだろうか。
――その点は、「Straight Outta Compton」本篇を観とどけてみないと確定できない。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
(註1)「ニガー」「黒んぼ」などの〈差別語〉は、この場合、プラスマイナスの両義性をおびている。この深淵と跳躍を理解できるか否か。――(註2)
黒人自身は、これを自分への尊厳をあらわす用語としても、本来の意味の侮蔑語としても、適宜、使い分けている。
(註2)このあたりに、黒人英語の翻訳不可能性という問題があるのに違いない。たとえば、よく使われる二重否定の構文にしても、直訳すると、否定をとおして肯定を語る(否定を介してしか肯定を伝えることができない)という黒人文化の基底的なニュアンスが抜け落ちてしまう。
日本語は、そうした断絶を反映する語法を必要としてこなかったからだ。一部の在日朝鮮人作家の文体を数少ない例外として――。
数年前、ドナルド・ゴインズ(註3)の『ブラック・デトロイト』が翻訳されたさいにも、この問題が発生した。むろん翻訳が悪いとかいうことではない。訳者は今は直木賞作家になっている東山彰良。この時、ゴインズに注目したセンスに感動した。
しかし、日経の書評欄で★★★★★の絶賛があった他は、まったく話題にならず消えてしまった。
(註3)ゴインズは元ギャングスタの犯罪小説作家。服役後、70年代に短い作家活動のさなかに射殺された。HIPHOPカルチャーのヒーローとして、その作品は長く支持されつづけている。
(註4)ドキュメント・フィルム『ライム&リーズン』だったと思うが、インタビューで、キング牧師についてのコメントを求められたドレーが一瞬浮かべた嘲りの表情が印象的だった。「キング牧師がおれたちのラップを聴いたらどう思うかだって?」
ドレーが一瞬浮かべた表情には、はっきりと「バカなことを訊くなよ。質問者は本当におれたちの歌をわかってるのか」という感情がほとばしっていた。しかし、すぐにドレーは老獪な商売人の仮面で本心を覆いかくし、実にあたりさわりのない公式発言を答えるのだった。「そうだな、キング牧師も、おれたちの歌を気に入ってくれただろうな。彼の死が残念でならないよ」と。